Maasymー9ー

 また少しだけ間が空いて――、その沈黙が嫌だったのか、エレオノーレがやや無理したように訊ねてきた。

「こっちに戻ってきては、くれないの?」

「俺が居ても、どうにもならないと思うがな」

 不和の芽が出た以上、隔離以外の手段は無い。火種は、燻り続けている。消えることは無いだろう。今回は、商売の成功の中で、更に手を広げようとしての利権争い――多分、軍の編成に失敗ってことは、将軍職について揉めたはずだ。後は、兵士の人種割合についても――だったが、状況が悪化すれば、失敗の原因として、少数派に対する大虐殺が起きかねない。

 昔、俺は、その二つの民族の違いを、力で押さえつけようとした。そして、エレオノーレは寛容を以って融和しようとした。

 だが、結局はどちらも失敗した。


 エレオノーレの都市から来た代表は、キルクスの発言力が強そうではあるものの、アテーナイヱ人とアヱギーナ人それぞれが監視し合う体制はそのままだった。

 俺が行って恐怖で黙らせることは出来るかもしれないが、所詮は一時凌ぎの劇薬だ。自治を望む二つの勢力が分裂するのは、必然だろう。

「そんなことないよ! アーベルが居た頃は、その、もっと――」

 もっと、どうなのか言葉に出来ていないエレオノーレを尻目に、ふん、と、鼻を鳴らして俺は現実を突きつけた。

「当時も問題は山積みだった。あの頃は、お前がそれに気付けないほど鈍感だっただけだ」

 エレオノーレは、違う、とは言わなかった。その代わりに――。

「なんで、こんなことになっちゃったんだろうね」

「うん?」

 どの事件を指すのかが分からずに首を傾げれば、エレオノーレは一度だけ俺と視線を合わせた後、壁のオイルランプに視線を向けて、まるで独り言のように呟いた。

「こんな風になるなんて、村から逃げた時は思いもしなかった」

「お互いの望みをかなえただけだろ? 俺は……強くなりたかった。お前は、他人を救いたかった」

 後悔しているというよりは、どこか拗ねたような言い草に、軽く手を振って皮肉っぽく笑いながら言い返した。

「うーん」

 しかし、エレオノーレは同意せず、すっきりしない顔で唸っていた。

「なんだ?」

「私が、ね。助けたいなって思ってたのは、こういうことじゃなくて、手が届く人に少しだけ優しくしたいって言うか、そういうちょっとしたことだったんだ」

「それじゃ、抜本的な解決にはならないだろう」

「そうだよね……。でも、それで良いと思ってた。そのぐらいのことしか、出来ないって思ってた。世界にふたりぼっちで、過剰分でほんの少しだけ誰かの手助けをするような。そんな風にささやかに生きたかった」

 前も、似たようなことを聞いた気がするが――。

「その伴侶が……」

 うん? と、俺が返事をすると思っていなかったのか、エレオノーレは不思議そうに首を傾げた。その表情の半分を、オレンジのランプの灯が照らしている。

「俺じゃなかったというだけだろ?」

 俺もミエザの学園に来て、思うところが無いわけでもないが、それでもささやかに生きたいと思ったことは無かった。命があるなら、その限りを尽くしたい。燻る余生よりも、最後は燃え尽きることで終わりを迎えたい。


 エレオノーレは、怒るわけでも、悲しむわけでもなく……なんというか、余り真剣に受け止めていないような、例えば、服にスープを溢してしまった時のような、ちょっと困ったなぁ、なんて顔で頬を掻いていたけど……。

「……どうなんだろ」

 と、結局、どこか曖昧な笑みだけで誤魔化されてしまった。


 肩透かしをされたような気もするが……。

 いや、まあ、別に良いけどな。

 肯定されたかったわけでも、否定されたかったわけでもないし。どちらの態度であったとしても、別に、なにかが変わるわけでもないし。

 いつだって、エレオノーレは俺の都合なんかにお構いなしなんだし。

「ね」

 食事を終え、テーブルに肘をつき――別れた時よりは、少し膨らんだ胸を協調するような姿勢で、身を乗り出してきたエレオノーレ。

「ん?」

「時々は、話に来て良い?」

 言葉の意味を量りかね、二~三度瞬きしてみるが、エレオノーレの表情は変わらなかった。断られるとは思っていない顔だ。

「なぜ?」

「……無駄なことかもしれないけどさ。多分、そういう無駄なことを積み重ねられなかったせいかなって、思うんだ。ふたりぼっちが、いつの間にか、別々になっちゃったのって」

「まあ、ラケルデモンを出てから余裕なんて無かったしな」

 と、俺は客観的な事実を言った――かつ、言葉足らずのエレオノーレの動機を、補強してやった――つもりだったんだが、どこか俺を非難するような目でエレオノーレが口を尖らせた。

「そういうことじゃないんだけど。ああ、ううん、そういうことなのかも。忙しくしてたもんね、アーベル。商売について覚えたり、船での規則を作ったり。独りでなんでもできちゃったから、余計に、なのかな」

 不満そうに話し始めた割に、表情が途中でコロコロ変わって、最終的には腕を組んで悩み始めた。

「ん?」

 なにを悩む必要があるのか悩んだ俺に、片方の目だけを開けてエレオノーレが訊ねてきた。

「……ここに来て、友達は出来たんでしょ?」

「ああ、まあ、そうなるのか?」

 世間一般で言う友達とは少し違う気もしたが、戦友はそれ以上の信頼関係であると思ったので、そう返事をした。

 頷き返してきたエレオノーレは、そのまますぐに質問を重ねた。

「昔はどうだった?」

「概念そのものが無かったな」

 ここに来る前は、敵か味方、後は其々の能力で人を分類していたと思う。

 そんな中でエレオノーレを……。うん、少し、別の場所に仕舞っていた気がする。優秀な人物の棚でもなく、味方の棚でもなく――。うん、強くもない女が、手持ちの全部を賭けて、一度、俺を負かせた。それを、意思とか運とか、そういうのも全部込みで、勝負に勝ったヤツ、として、ひとりだけ別の場所に仕舞っていたのかもな。

 感服した、だから、後はもう傷付いたり、奪われたりしないように、大事に……。

「そういうことなんだよ、きっと、私とアーベルが擦れ違ってばっかりだったのってさ」

 見識の相違ってヤツか?

 いや、ううん、エレオノーレは俺を友達だと思っていたってことなのか? ……そう言われた所で、判断に困るだけだな。

 友になるには……悪いが、能力が足りていないと思う。船の連中をいつまでも部下としてしか見れなかったのと同じだ。

 対等じゃない相手と、対等な関係を結べるとは思えない。


 同意出来ずにいる俺に、柔らかく目を細めて見せてから――。

「時々、無駄な話をしよう。ぼんやりと、目的も無く町に出てさ、なにか適当に食べたりしながら。吟遊詩人の歌を聴いたり、遠ざかっていく船影を見送ったりして、さ」

 エレオノーレは、随分と暢気な提案をしてきた。つか、船を見送るって、また海岸の町まで俺を引っ張っていく気かよ。

「いつか、休みが取れたらな」

 完全休養日も無いわけではないが、当分は難しいだろう。

 どうせ先の話、と、俺は軽く――延び延びになっている内にエレオノーレの方も忘れるだろうと、右手を上げて応じた。

「うん、きっとね」

 エレオノーレはすっきりと笑って……つついているだけだった食事の遅れを取り戻すように、急いで頬張り……、学習しないのは相変わらずなのか、またむせていた。

 話しながら、話を聞きながらも食い終えていたので、二人の真ん中にあったコップに水を注いで、エレオノーレの方へと押しやる。

 ありがとう、と、小さな聞き慣れた声がした。

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