ーΠερ`ι ου’ρανου″ー
座学のためにプトレマイオスの部屋を訪ねる。
雨期である冬が近づきつつあるのか、空に雲が掛かることが増えた。まだ降り出してはいないが、気温は快晴続きだった頃と比べれば日に日に下がっている。農繁期は終わりを迎えつつあり、出稼ぎの無産階級や奴隷労働者が冬の職場へ向けての移動を始めている。
部屋の奥の椅子には、いつも通りプトレマイオスが座っている。
外套を羽織るって程の気温じゃないが、服の地を少し厚い物に変えているようだ。
入口の横には、等身大のネメアーの獅子を絞め殺すヘーラクレースの青銅の像が変わらずにおかれている。丁寧に磨かれた表面は、今日も光を鈍く反射する。
プトレマイオスの椅子の横の石のテーブルには、今度の作戦に向けてか物資の調達だったり領地での兵の動員に関する軍務の書類や木片が並んでいた。
プトレマイオスも仕事が増えているだろうに、久々の座学とあってか口角を緩めつつも椅子を勧めてきた。
記録係を買って出たプトレマイオスの少年従者が、羊皮紙への筆記を始める。
【プトレマイオス曰く】
座学は久しぶりだな。
【アーベルは答えた】
ああ、軍の編成が終わったが、装備や細々した備品の納入に、二日程空いてしまったからな。兵達には今日は完全休養日と言ってある。
【プトレマイオス曰く】
それは、アイツ等も随分と助かったろうな。初日から、広大なミエザの学園の外周を、お前のペースに合わせて半日も走らされてたんだから。
【アーベルは答えた】
速度は肝要だ。
小回りの利かない騎兵に対し、側面や後方を護衛するんだから、常歩や速歩の騎兵と同じだけ走ってもらわねば困る。
重装歩兵相手の戦闘でも然り。
足で稼いで隙間を貫く。
速度と小回りにおいて、他の兵種とは一線を画して貰わねばならん。
【プトレマイオス曰く】
まあ、速歩程度なら、足の速い者は追い抜くことも出来る速度だからな。しかし、装備の重さも計算しろよ。
【アーベルは答えた】
そのための軽装歩兵だ。
それに、、足の遅いものは投擲のための後方支援兵とし、最低限の装備にて突撃する前衛を遠戦にて支援することで役割分担を……。
【プトレマイオス曰く】
待て、今日は座学だ。
その話は、明日だ。
本日は、天の運動について学んでもらう。軍の編成に入ったからといって、学問を疎かにしてはいけない。むしろ、より重要度が増すんだ。基礎教養も重要な要素だ。
【アーベルはやや不満そうにしつつも同意した】
先に話題を向けたのは、そっちだと思うが……。
まあ、分かった。
【プトレマイオス曰く】
まず、この世界の根本についてだが、以前、医学で四つの液体から身体が構成されているというのは覚えているな?
それは、世界を構成する物質にもそれは通じるものであり火、空気、水、土の四元素が、いわゆる構成要素とされるものだ。
【アーベルは訊ねた】
いわゆる?
【プトレマイオス曰く】
うむ。例えば、水は熱すれは空気になるな?
【アーベルは答えた】
ああ。
【プトレマイオス曰く】
つまり、構成要素といえども普遍ではないのだ。そこで、先生は、更にそれらの元となる第一物質が存在すると仮定した。それが、プリマ・マテリアだ。
このプリマ・マテリアに、身体を構成する四つの液体の性質、熱、冷、湿、乾、の要素の二つが与えられることで、目に見える形での構成要素が出来上がるんだ。
【アーベルは訊ねた】
プリマ・マテリア単体では存在しないのか?
【プトレマイオス曰く】
ああ、先生もなんとかそれを取り出そうとはしているんだが……。そうだな、冬は寒いし、夏は暑いだろう?
【アーベルは答えた】
ああ。
【プトレマイオス曰く】
しかし、春や秋にも、熱と冷の要素が綱引きをし合っている以上、抽出したと単に、熱か冷、湿か乾のいずれかの性質を取り込み、例えば、熱と乾と結びついたプチマ・アテリアは四元素のひとつである火に変わってしまう。
【アーベルは唸った】
ううむ。
【プトレマイオス曰く】
難しいか?
【アーベルは答えた】
いや、原理は分かるが、少し抽象的過ぎてな。
【プトレマイオス曰く】
まあ、科学そのものが複雑な学問だからな。続けるぞ。
プリマ・マテリアに相反する性質の熱・冷からひとつ、湿・乾からひとつの性質を与えることで、四元素からなるこの月下界つまり、地上だな、の物質が構成される。ヘレネスの内外を問わず、これは共通だ。
しかし、天上界ではどうだろう?
【アーベルは訊ねた】
どう、とは?
【プトレマイオス曰く】
天上世界において、物質は変化・腐敗しない。星が腐って溶けることは無いだろう? つまり、天上界を不変たらしめる要素、第五元素が存在する世界だということだ。
しかし、だ、その仮定において気付くことはないか?
【アーベルは首を傾げた】
うん?
【プトレマイオス曰く】
与えられた要素で元素を構成するものの、それ自体は決して変わらない物質。それは……。
【アーベルは答えた】
プリマ・マテリア。
【プトレマイオス曰く】
そう。
つまり、宇宙とは、熱・冷、乾・湿に左右されない純粋なプリマ・マテリアで構成された世界だということだ。
【アーベルは訊ねた】
うん? それなら、星の輝きの理由はなんだ?
【プトレマイオス曰く】
当然の疑問だな。
星の輝きは、火によって成ってはいない。
段階を追って説明するぞ。
月より遠い星は、月下界における運動と違い、完全な永遠に続く円運動を行っているんだ。完全な円運動を行える以上、星は全て球体で、天球も完全な球体でなければならない。また、星の存在する天球はひとつではなく、四十~六十程度の天球が、連動しつつ宇宙を構成し、最も外側の天球が全ての円運動を自発的に行う第一動者。つまり、
地球は、全ての中心にあり、星々と同様に球体ではあるが、円運動から外れ、動いていない。これは、第一動者から最も遠くにあり、純粋なプリマ・マテリアが存在しないことに由来している。
つまり、星々の輝きとは、その神性であり、完全な運動と普遍性の表れである。
というのが、先生の説だ。
【アーベルは唸った】
ううむ。
【プトレマイオス曰く】
なにか疑問が?
【アーベルは答えた】
結論が手元から離れすぎて、なんとも言い難いだけだ。
言われればそうなのかもな、とも思うんだが、実際に一番近い天球に行くことも俺達には出来ないからな。
【プトレマイオス曰く】
かもな。
まあ、
それに、第一動者を定義した場合、それは、他の全ての運動の動機であり、永遠を全うした状態。最高善の体現とも言え、学問の基礎だからな。
【アーベルは答えた】
ああ、誰だっけな。エレオノーレだったかな? 船で旅していた頃、星や太陽は海に沈むと海水で消火されるだとか言ってて、噴き出したことがあったっけ。
【プトレマイオス曰く】
……ふむ。
まあ、いや、蒸し返すべきではないかもしれないが、きちんと結論を出して置けよ。エレオノーレ殿との関係も、……次の侵攻作戦で、どんな役割を負わせるのかもな。
お前も分かってはいるとは思うが、いずれはエレオノーレ殿もレスボス島攻略戦に組み込まなければならなん。名目上とはいえ、あの都市の代表でもあるのだしな。
【アーベルは答えた】
……分かってる。
【プトレマイオス曰く】
それなら、いい。
王太子がこちらに戻るまで、まだひと月程度時間はあるからな。悔いの無い選択をしろ。
そして――、私は、指導してきたお前の結論を、それが、どんなものであっても支持する。それは、お前等二人の問題でもあるからな。忘れるなよ。
【アーベルは答えた】
ああ、ありがとう。
【プトレマイオス曰く】
そういえば、エレオノーレ殿の話で思い出したが、ティアはなんとかならないのか?
【アーベルは怪訝な顔をした】
どうした?
【プトレマイオス曰く】
天文学について、面白い説を唱えてはいるんだが……。
宇宙の中心は地球ではなく、太陽だとか。その大きさは、現在考えられているものよりも大きいだとか、天球は円ではなく、無限に広がる霧のようなものだとか……。
【アーベルは興味なさそうに答えた】
間違っているなら、そう言えば良いのではないのか?
【プトレマイオス曰く】
いや、そうも言い切れないんだ。ここには、月食や、月齢を元に、星までの距離や大きさを研究している者達もいて、月下界――つまり、プリマ・マテリアが支配的でない世界は、もっと広いかもしれないそうだ。実際、
【アーベルは訊ねた】
理論の修正が必要に?
【プトレマイオス曰く】
ううむ。どうかな?
ただ、彼女の言うことが全て正しいってわけではないのも確かだ。
そもそも、最も遠い天球までの距離が無限であれば、地球もしくは太陽の周りを一周するのに無限の時間が掛かり、一度しか見られない星がいくつも出てくるはずだろう?
球でないのなら、季節ごとの星が毎年同じように昇るわけがないだろう?
【アーベルは訊ねた】
こちらとは、全く異なった論理で組まれているのか。
検証が手間だな。
ヤツの持ってる記録について、正誤を実地に確認しないと、こちらの記録や論理と照らし合わせることも出来ないぞ。
【プトレマイオス曰く】
うむ。幾つかの論理については、特に、証明するための記録が足りない。
しかし、それを指摘し、研究を促しても、な。
【アーベルは答えた】
働かないなら捨てろよ。
【プトレマイオス曰く】
仮にもかつての仲間をそんなぞんざいに扱うな。
……ただ、まあ、実際、働かなさ過ぎて追放するって話もちらほらと出て来てしまってもいるらしい。
少し話してみてくれ。
エレオノーレ殿がここに学習に来ている良い機会なんだし、少しは彼女の態度も変わってくるはずだ。
優先度は低いが、休日やなにかのついでがあれば頼むぞ。
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