Cujamー1ー

 どん詰まりで後が無い男達を選んだからか、調練は予想以上に順調に進んでいた。


「横隊展開!」

 号令を出すと、二列縦隊の行軍陣形が左右に割れ、薄く一列五十名で厚みは二列の横隊が広がり、その後方に、五人一組の投擲支援兵の円陣が横に等間隔に十組並ぶ。

「前衛、戦闘準備完了!」

「後衛、戦闘準備完了!」


 騎兵部隊ならいざ知らず、ファランクスの方陣二つ分程度の数の歩兵は、そこまで大きな戦力とはみなされていない。現国王の持つ常備軍の重装歩兵、通称盾持ち部隊ヒュパスピスタイと比べれば、装備面でも規模でも劣っている。

 というのが、他のヘタイロイの第一印象のようだ。

 事実、前衛は三日月盾ペルタと腹当て、そして、半球型の軽量の兜、軍用サンダルに、前衛では投擲用の短槍を三本と通常の倍程度の長さの直剣サイフォスという装備内容だし。後衛に至っては、投石器と、腰に鉛の弾を入れた袋を下げ、同じ長剣を装備しているものの、槍は持っていない。

 馬匹は少数ながら配備されているが、部隊の一ヶ月程度の糧秣を運ぶ輸送隊として、だ。それらは、予備兵の五十名で運営する。


 完全に部隊が乱れなく布陣したのを確認し――。

「速足、前進」

 前方の木の案山子を指差す。

 元々が重装歩兵の訓練のための場所なので、俺の部隊にとっては近過ぎる目標――相対距離的には、全力突撃を敢行可能な間合いだ――だが、通常の運用時とは異なる事を命じるつもりは無かった。訓練とは、敵と戦うための戦術・技術を己の血肉とすることであって、単なる遊びではない。進軍には進軍の、接敵には接敵の手段があり、今回の訓練内容は、強行でない以上、基本に忠実に部隊の運用を見せる必要がある。

 防御に難がある部隊だけに、敵の投擲攻撃を避けるため、可能な限り早く敵の元へと辿り着く必要があるが、敵に接した時点で息を切らしていてはお話にならない。

 全力突撃を命じる時節がかなり重要になる。


「かなり、早いな」

 プトレマイオスが、自身の近くに置いた水時計――桶に水を入れ、その流れ落ちるまでの時間から、大凡の部隊の速さを知るモノ――を見ながら呟いた。

「いや、横列の展開にまだ少し時間が掛かっている。重装歩兵と正面きって戦うなら、先に布陣し終わって攻撃が出来るが、敵の野営地への奇襲や夜襲を考えた場合、まだ足りない。気付かれた時には、既に敵の喉元に喰らいついてるってのが理想だ」

 桶の目盛りは五つも下がっている。

 遠戦可能距離まではもうすぐだが、可能なら、もうひと目盛り少ない時間で同じ位置まで進んで欲しかった。

「笛を使わないのは理由があるのかね?」

 アンティゴノスに訊ねられたが、随分と今更だなと、思った。

「ああ……。最初に歩調をとると、自然とお互いの足音で前進速度が合うんだ。最前列以降は、自分の前のやつの背中を見ると、自然と歩調も整うし」

「ほう?」

 分かってはいるようだが、いまひとつ腑に落ちていないような顔をしたアンティゴノス。

 まあ、騎兵や重装歩兵も、互いの足音は聞こえているんだが……装備の重さや、武具のぶつかる音の関係もあるのか、同じような運用は難しい。

 俺は、少し悩んだが……、再び説明をすることにした。

「そもそも、この訓練は、本来の運用とは少し違うんだ。ええと、プトレマイオス。配下の督戦騎兵を呼んでくれるか?」

 が、やはり実地に見てもらったほうが早いか、と、少しだけ注文をつけてみた。

 プトレマイオスは、首を傾げながらも、少し離れた丘で部隊の進軍を監督していた騎兵を呼び寄せてくれた。


 馬の首の向きを変え、脇腹を蹴り、鎧に身を固めた人馬がこちらに向けて駆けて――。

「あ! 左だ、危ない!」

 不意に大声を上げる。

 プトレマイオスとアンティゴノス、それに暇だったからと見物に来ていたヘタイロイが迅速に反応する中、騎兵は、大きく円を描くようにして方向転換をした。

 陣で指示を出し、訓練を見ていた俺達よりもかなりその方向転換は遅い。

「こういうことだ。すまない!」

 駆け寄っていた騎兵に謝罪し、陣の中のヘタイロイと向き合う。

「つまり、騎兵は、確かに速度に優れるものの、急な方向転換や陣形展開には極めて難がある兵科なんだ。今回はなにも無かったが、高所から待ち伏せ攻撃を受けたら? 騎兵は、騎馬や鎧の重量、そして、その突進力が武器だが、その分、小回りが利かない。重装歩兵もだ。っと、俺の軍の攻撃が始まる、視線を戻してくれ」

 説明の途中だったが、後衛が足を止めたのを確認し、注目を訓練中の軍の方へと向けた。


 投石兵が、投石器を回転させ始めた。

 過去経験した船戦では見慣れた光景だったが、あれがあくまで足場の安定しない海上だから低威力だったのだと、訓練を始めてはっきりと実感した。

「放て!」

 五十の礫弾の斉射は、それだけで木の案山子のほとんどを薙ぎ倒した。場所によっては、二体、三体と連続して貫通している。

 ほう、と、感嘆の声が聞こえたが、ここからだ。

「槍構え、駆け足……放て!」

 礫弾に続くように、投槍攻撃に移った前衛。

 敵の布陣地点や、木の案山子は、正直、もう、それだけでなんだか分からない、木屑のようになっていた。

 が、基本に忠実に二度目の投槍と、三度の投石、そして抜剣突撃までを敢行し――成果のお披露目も兼ねた、通しの訓練を終えた。


「なにか、質問は?」

 一応、今回はプトレマイオス、そして、アンティゴノスへの部隊の調練状況の報告ではあったが、他にもそれなりに人が集まってしまっていたので、全体に向かって問い掛けた。

「突撃は、無謀ではないのか?」

 正式な討論の場ではないので、人波からそんな質問が降ってきた。多分、声からリュシマコスだと思うが……。

「ああ、事前の投擲で充分な損害を与えられていない場合。突撃は行わない。一戦後、直ちに後退する」

「意外と消極的だな」

 発言しながら前に出てきたのは、やはりリュシマコスだった。今回、組む可能性があることを聞いているからか、声は鋭い。

「ああ、どちらかと言えば、漸減を重視する。敵の消耗を誘うんだ。決戦は、一度で充分。味方全体の被害を軽減するための部隊と認識してもらっても構わない」

「正直、物足りなさはあるな。時間が無かったのは分かるが……」

 顎に手を当て、やや不満そうな顔をしているリュシマコスに、反論を始める。

「いや、今回の交戦の内容と、今後の軍のあり方を考えた上での編成だ。一時凌ぎじゃない」

「と、いうと?」

「まず、緒戦のトラキア征伐に関してだが、あの連中は、大都市も無ければ、村に充分な城壁を築いてもいない。破城鎚や攻城櫓は過剰兵器であるし、現地での製作に掛かる時間を鑑みれば、手間と必要性は釣り合わない。比較的簡単な障害物を乗り越えるためには軽装歩兵が必要で、門さえ開放すれば、掃討戦に移れる」

 ふむ、と、アンティゴノスが頷き、リュシマコスが追従した。プトレマイオスは、説明も将軍の仕事という顔で、俺の意見に口出しせずに、採点でもしているような顔をしていた。

 次に、島の攻略についてだが――。

 ある程度の話は伝わっているだろうけど、いや、だからこそ俺がはっきりとこの場で作戦の次の段階を言うわけにはいかず、ぼかした形で説明を続けた。

「海戦や、商船の護衛には軽装歩兵だし、上陸戦を行う場合にも、重装歩兵の上陸のように、浜辺に輸送船を乗り上げて、物資を揚陸し、砂地で軍を整えるような危険を冒さず、直接海に張り出した敵の城壁に梯子で侵入する作戦も可能になる。戦術の幅が広がるんだ」

 それに、あまり実行したい作戦ではないが、重装歩兵ほどの重さが無いので、座礁の危険のある浅瀬まで船を進入させずに、ある程度の距離を泳いで上陸することも出来なくはない。いや、それ以前に、重装歩兵をそのまま船で輸送した場合、衝角をぶつけ合った際に、海に落ちればそれだけで致命的だ。しかし、輸送中だから装備を外せという命令は即応性を低下させる。

 周囲の反応は悪くないので、俺は同意を待たずにそのまま続けることにした。

「そして、最終的な展望だが……そう、先ほどは、話が途中になってしまったが、騎兵の展開や攻撃の際に出来る方向転換の隙を補い、樹上や城壁等の高所からの攻撃を迎撃、または牽制し、従来の重装歩兵よりも迅速に移動と攻撃の出来る歩兵部隊となる」

「しかし、軽装歩兵では、斜線陣を組んでも、充分な壁にはならないぞ? マケドニコーバシオ軍の決戦手段は、斜線陣で重装歩兵の足を止め、がら空きの後方や側面から騎兵で押し潰す戦術だからな」

 騎兵を代表してアンティゴノスが指摘してきたので、顔をそちらに向ける。相変わらずのニヤニヤ笑いが迎え撃ってきたが――つい五日前にエレオノーレを家によこしてから、余計に笑みがいやらしくなった気がする――、俺は毅然とした態度で言い返した。

「それを否定するつもりは無い。が、ここで今回の訓練の内容に繋がるわけだが、敵部隊に対し、遠距離攻撃を行うことで足並みを乱し、損害を出させる。その日のうちに撤退とはならないかもしれないが、漸減を続ければ、援軍要請や一時的な後退は起こるだろう。そこを騎兵と同時に追撃することで、被害を抑えた形で勝利を得ることが出来る」

 反応は……やや微妙だな。

 現状、マケドニコーバシオの軍は上手く機能している。それを無理に改良することには、懸念や不安があるんだろう。

 しかし、大凡の決戦地が予測でき、互いにファランクスを組んでぶつかり合うヘレネス式の戦以外の戦場は、必ず訪れるはずなのだ。世界政府の樹立を王太子が目指す以上。装備も戦略も全く異なる世界の軍に対し、出せる戦略・戦術の幅が広がるということは、プラスに働くことは有っても、マイナスには繋がらない。

 そもそも、通常部隊の糧秣の負担を減らす意味でも、牛馬の輜重隊込みでの軽装歩兵なんだからな。補給線を独自に維持できるなら、兵站線を圧迫することも無い筈だ。


 暫く待ってみたが、やはり、俺の軍の第一印象は大きくは変わらないようだった。

 まあ、落ち込むつもりは無い。充分に予想の範囲内だ。

 軽く咳払いしてから、俺は話をまとめにかかった。

「まあ、実地に戦果を出さなければ、机上の空論というのを否定するつもりは無い。しかし、主観的になって考えてみてくれ。あれだけ槍や石礫が飛んでくる中、踏み止まれるか、前に出られるか。正攻法ではないかもしれないが、兵力と士気を削るには、こういう遣り方もあると思う」


 軍の訓練も済んでいたので、その言葉が合図だったかのように、ぽつぽつと人が帰り始めた。

 最後に残ったのは、アンティゴノスとプトレマイオス。

 軽く腰に手を当てて二人を見る。

「まあ、悪くないだろ」

 とは、アンティゴノスで。

「騎兵との合同訓練も計画するべきだったな。私の部隊との連携を、……そうだな、四日後には行う」

「わかった」

 プトレマイオスに頷き返す。

「そういえば、王太子から連絡は?」

 新都ペラに黒のクレイトス達を連れて行っているが、既に十日ほど経っている。予定では一ヵ月ってことだが、交渉が順調か不調かぐらいは伝わってきていないんだろうか?

 プトレマイオスは、自分でも気にはなっていたのか、アンティゴノスに視線を向けるが、アンティゴノスにも続報は届いていないようで、軽く肩を竦められただけだった。

「まあ、予定通りに調練は進めろよ。、対応出来るように、な」

 なにがあっても、に、アクセントを置いたアンティゴノスの言葉は、やや意味深にも聞こえたが、実際、現在の国王の出方によっては相当難しい駆け引きになる事を考えれば、あながち冗談とも言えない。

 横目でプトレマイオスとアイコンタクトをとった後、俺達はアンティゴノスに向かって頷き返した。

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