Hoedus Secundusー7ー
石を振り回す風切り音が聞こえる。波が弾けて、しょっぱい飛沫が顔に掛かった。
船は、始めはまだかなり距離があるように見えていたんだが、あっという間に倍ぐらいの大きさに見えるほど近付いてきている。
乗り込むチャンスは短いな。躊躇していたら海に落ちる。
だが、恐れはないし、緊張も無い。この程度の危機なら何度も潜り抜けてきた。
鋭い艦首どうしが引っ掛かりかけて、次の瞬間、右に回頭を始めたこの船の横腹ギリギリを敵の衝角が霞め、……横に並んだ。
――今だ!
投石兵の援護の一斉投擲後、間を空けずに――よけるのも手間なので、前にいた何人か踏み台にして、敵艦へ向かって跳躍する。
敵船の位置は、訓練で体得した距離だ。
いける!
敵味方の放った石礫が、俺の周囲を飛び交っている。足に敵からのが一発、肩に味方からのが一発当たったが、どっちも急所には程遠い。
しかし敵も雑魚じゃないようで。跳躍した頂点から自然落下に切り替わり、当に着艦しようというその無防備な時に、右の太股と右腕を軽く槍の穂先で引っ掻かれた。
指先と足先に力を入れ、身体の状態を確かめる。かすり傷だ、戦う上での支障は全く無い。
しかも、槍を装備した兵士は数名程度――多分、小隊長クラス――で、大多数は投石兵だ。
一気に攻め落とす作戦に変わりも無い。
「うらぁああ!」
甲板に両の足が付くやいなや、剣を抜き力任せに大きく横に薙ぐと、盾を構え遅れたひとりが上半身と下半身にきれいに両断され、盾に当たったひとり――ぶつかって勢いがそがれたが、体重を掛け、強く踏み込んで振り抜く――は、その横にいた二人を巻き込んで海へと転げ落ちていった。
振り抜きざま、腰を捻って急速に剣の軌道を変える。
左足をさらに一歩踏み出す。
二列目が一列目と同じように払われた時、飛び移った際に突き出されたのと同じ槍が目の前に迫り――。
上体を後ろに反らし、右手で槍の穂先のすぐ後ろ――木の柄になっている部分を掴む。
ふん、と、鼻で笑うと、目の前の槍兵が焦ったように槍を押したり引いたりしたが、陸戦に不慣れなお国柄らしく、それはお話にならないぐらい非力な抵抗だった。
槍を強く引いて相手の手から引き抜き、そのまま半円を描くように手首を返し、穂先を敵の側へと向ける。俺の意図を察した槍兵とその付近の投石兵の表情が恐怖で歪むのが見え――。
自分を律していたなにかが切れた。
楽しい。
頬が緩む。
逆手に持った槍で、槍兵を突き殺す。鎧皮を貫く抵抗が手に伝わり、すぐに肉を裂く柔らかい感触に変わった。そのまま、槍兵の後ろにいたもうひとりの腹も突き破る。長くは無い槍だったので、そこまでが限界だった。
槍を持っていた右手を離し、ついでとばかりに蹴転がすと、即席の障害物に足を取られた投石兵が何人か甲板に転がった。
その隙に剣を振り下ろし、転がった敵を叩き潰し、剣を跳ね上げて更に横に薙ぎ払う。
甲板に密集して石を投げ合っていたからか、剣を振るうたびに面白いぐらい敵が両断され、また、吹っ飛ばされて海へと落ちていった。盾や鎧の重さのせいか、浮かび上がってきてもいないようだった。
やはり、狭い甲板で戦うのは楽な仕事だ。
後列の敵は同士討ちを避けて手が出せないし、船の横幅は完全武装した兵士の場合、三~四人が立てば限界で、背後を取られる心配が無い。
剣を振りぬいた後の時間ももったいないので、最早石を投げようともせず盾で防備を固めているだけの一列を、踵で押し出すようにした蹴りで吹っ飛ばした。
だが、そうして船の中程まで攻め入った瞬間、場が不意に開けた。
人ひとりが横になれるだけの間を開けて、残りの敵が船尾に集まっている。
しまった!
反射的に横に飛んで回避しようとしたが、狭い船の上だと思い出し、短くステップを踏んで跳躍をキャンセルし、小さな丸盾を着けた左腕で頭を守る。
狙って防いだわけじゃなかったので、盾にはじかれた石の衝撃で左腕が軽くしびれた。
そして、その痺れに意識が向くより早く、腹に数発、そして太股、向こう脛にも激痛が走った。
「……ッツ!」
腹の一発が、腹当よりやや上にぶつかり、呼吸を乱した。鈍い痛みが肺に響いている。だが、足はまだ動く。何箇所か皮膚が裂けてはいたが、動脈も無事だ。出血量は多くない。なら――。
無理を押してでも、一気に距離を詰める!
投石兵の最大の弱点は、投擲まで投石器を振り回して速度を乗せる必要があることだ。次の斉射までくらってやる義理は無い。
投石兵を援護するつもりか、それとも足を止めた俺に追撃するつもりなのか、小型のペルタを持った剣兵が前に出た。
悪足掻きだ。
まず牽制に右腕だけで剣を振り剣兵の突進を踏み止まらせ、次いで振り抜いた後、柄の上を手を滑らせた。柄を長く持ち直し左腕を添えて、全力で敵の膝より少し上の位置を水平に払う。
柄を含めれば、短い槍に匹敵する長さの剣だ。跳んでかわせないギリギリを薙いでいる。何人かの敵が盾で防いだが――盾の中央より下の一撃にバランスを崩し、バタバタと転がっていった。
甲板に溢れていた敵は、もう両手で数えられるだけにまで減っていた。しかも、既に船尾まで押し込んでいる。下がる場所が無い以上、間合いを取る作戦はもう出来ない。
俺に向かって大きく見開かれた眼に、俺は……そう、俺は、最も俺らしい高笑いで応じた。
「は、はははっあああ!」
足元に転がる敵の首を踏み砕き、盾の隙間を縫って敵を突き、斬る。
敵の反撃が、ひどくゆっくりに見えた。こんなの、当たるはずがない。
遅い、弱い。
歯ごたえは無いが、逆に面白いぐらい簡単に斬ることが出来るから、おもちゃとして壊していく。敵を綺麗に両断出来ると、気分が良い。失敗して腹が裂けるだけだったり、手足を切り落としただけの場合は、イラつくので嬲ってから殺した。
ただ、どうも、盛り上がりきれないところでお楽しみは終わってしまった。甲板に動いている人間は居ない。というか、生きていないと一目でわかる物体しかそこにはなかった。
ふう、と、鼻から溜息を逃がし――ああ、折角だし、階下の漕ぎ手も殺しておくか、と、思い直して階段の方へと歩を進める。
この船には、船室から甲板に上がる階段は一箇所しかないので、ひとりずつ順繰りと武装した漕ぎ手が階段を昇ってきた。
バカじゃねえか? と、思いながら、それを頭を叩き割って静かにさせていく。まったく、もう少しくらいは工夫して欲しいものだ。
甲板の木材が厚いのか、それとも剣や槍の腕が悪いのかは分からなかったが、下から突き上げられることも無くただただ作業が進んでいく。
階段の下の死体の山だけがどんどん高くなっていった。
「こ、降参する」
二十人ほど斬り殺した時、得物を持たない少しばかり身なりの良い漕ぎ手が出てきた。適当に聞き逃して、近寄らせてから首を刎ねた。このままだと階段そのものが死体で埋まる。
「ま、まいった」
「捕虜になる。奴隷にされてもいい。だから――」
階段の下で騒いでいる二人を突き殺す。
捕虜を獲ったところで、今は管理維持が出来ない。奴隷として売るには一度退かなきゃいけないが、そんな時間的猶予も無い。戦場に連れて行けば、敵の本隊と呼応して騒がれる危険もある。海へ飛び込ませて逃がすのは、明日の敵をひとり増やすだけの愚作だ。
殺すしかないだろう?
それに――。
さっきから、もうずっと、心臓が熱かった。腹の底から力が溢れてくる。笑いが止まらない。
そう、これだ。
しばらく大人しくしていたせいで鳴りを潜めていたが、この感覚が俺は好きだった。戦うこと、人を殺す手の感触。断末魔の叫び声。恨みがましく睨む視線。その目から光が消える瞬間。
油断の結果ではあったが、多少の傷さえも逆に心地良いくらいだ。
我慢していたからこそ、余計に昂ぶった感覚の収まりがつかない。
全部殺してすっきりしないと、味方の船に戻った後で、またあの始まりの夜と同じようにエレオノーレと衝突してしまいそうだった。
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