Hassalehー7ー

 戻った城門を再び閉めさせ、櫓を見上げる。

「味方の上陸は完了してます」

「そろそろ仕上げだな! おい! 体力は大丈夫か?」

 俺と一緒に前進と後退を繰り返している軽装歩兵に訊ねてみる。大きく前進した今回は、流石に息を切らしているようだったが、輜重班の連中と、それとエレオノーレにチビが水を配っていた。

 やれやれ、と肩を竦め、俺はついでといった様子でエレオノーレとチビに命じた。

「今度は、本隊の連中と挨拶する可能性がある。お前等はここで待機だ」

「え?」

 戸惑った顔のエレオノーレと、露骨に顔を顰めたチビ。だけど、キルクスがすぐにチビの肩に手を乗せ――チビと視線が合うとゆっくりと頷き、作戦小屋の方へと促したので、二人はすごすごと下がっていった。

 どうもアテーナイヱの将軍は信用が出来ないからな。下手に絡まれたくはないし、戦場で珍しい女は下げとくに限る。

 概ね俺と同じ意図なのか、キルクスが二人の背中を見送ってから俺の顔を見て、小さく頷き、最後尾の投石兵の一群に混ざった。

「行くぞ! 開門!」

 門を開けると同時に、隊列を組み、俺達は前進を開始した。

 敵は、もう挑発には乗ってこなかった。が、それも織り込み済みだ。

 俺を先頭に、軽装歩兵が先行する。やや遅れた重装歩兵は、戦列を上手く組めていない。速度の方を重視させ、歩調をとっていないためだ。最後尾は、重装歩兵の壁に阻まれてここからは見えない。

 敵との距離が詰まる。

 投槍攻撃の有効射程まで俺達が来た時も、敵からの攻撃は来なかった。

「槍、投げろ!」

 横隊の軽装歩兵が槍を投げ、左右に別れ、最後尾へと戻っていく。敵の後列は、投げられた槍から身を守ろうと無理な方向転換を始め、大きく乱れた。


 そして、その一投によって、味方の展開は完全に成功していた。

 砂浜から少し内陸に進んだ平地で、笛の音に合わせ、歩調を整えたアテーナイヱ軍が前進を開始した。

 俺達ぐらいに数が少なければ別だが、通常、重装歩兵のファランクスは横列が崩れないように笛の音にあわせ、全体が同じ歩調で前に進む。場所の都合もあったのだろうが、やや薄く、しかし、その分横に広く地平線を埋め尽くすように展開したアテーナイヱ軍は、壮観だった。

 数ではアヱギーナ軍を圧倒している。

 一方、アヱギーナ軍の方は、俺たちの邪魔によって歩調を全く合わせられなかったからか、機動そのものを諦め――もっとも、重装歩兵のファランクスは、元から機動力はたいしたことが無いんだが――足を完全に止めて更に密集し、守りに徹している。

 ファランクスは、大きな盾による防御を意識した陣形なので、槍で突き合ってもそう簡単に崩せない。だから、盾での押し合いをしつつ、相手を転がしたり押し込んだりして隊列を乱れさせ、その隙間から突き殺す。

 この状況下、足を止めさせ、体力を温存しつつ戦列の維持に切り替えた敵将は、無能ではない。

 が、優秀ではなかった。


 俺達は、味方と敵が接触する前に、最後の策を解き放った。

「重装歩兵、投石兵、左右に展開! 道を空けろ! 補助兵、全速! 前へ!」

 重装歩兵が隊の中央から左右に分かれ、同じようにその後ろの投石兵が移動する。その中央の隙間を、戦列で隠していた最後の一隊が全力疾走で突き抜けてくる。

 彼等は拠点築城などを行う補助兵で、通常なら拠点を作った後は重装歩兵に合流するが、今回は、防具を全て外して身軽になってもらっている。攻撃には弱いが、その分足で稼げるし、なにより普段は大型の築城資材や機材を使っている剛力を活かせる。

「進めぇ!」

 剣で前方を指し示し、号令を上げる。

 敵が使っていた破城鎚――通常は四人で抱えて遣うところを倍の八人に持たせ、鎚の下部には、簡単だがソリをつけている。

 前方の守りを固めている敵が、こちらの狙いに気付いたのか、隊列がかすかに動揺した。

「アーベル様⁉」

「まだまだ」

 敵の槍が届くか届かないか、そこまで俺と補助兵は前進し――。

「放て!」

 破城鎚を充分に加速させて、敵陣の横っ腹目掛けて投げ飛ばした。

 太い木、その先端に青銅の銛を着けた破城鎚は、加速させて放り投げたとしても、通常なら自重でたいした距離をすべることはない。だが、急ごしらえとはいえ、ソリを付けた今は……。


 まだ夏の青さをたたえていた下生えの草が、滑走を補助している。

 勢いは、緩まない。


 敵のアテーナイヱ軍から見て、最右翼に当たる方陣のひとつを、破城鎚が食い破った。

 直接的な被害は、おそらく二十名に満たない程度だが、大きな丸太で密集を維持できず、かつ、転がった味方や死んだ味方も障害物になっている。

 ファランクスの弱点は右翼にあり、味方の突破をより容易にする歪みは入れた。

 潮時だ。

「後退!」

 命じると、後方から戸惑いのざわめきが聞こえた。おそらくキルクスと、その私兵達だろう。

「後退だ。被害を出すな! 有効射程ギリギリから投石攻撃。重装歩兵は投石兵の前面で守りを固めろ」

 俺はもう一度、命令を強いるように努めて冷たく厳しく言い放った。

 いきなりの消極策に、勢いに乗っていた前衛からも不満の声が上がったが、威嚇するように剣を払って見せて黙らせた。

 真っ直ぐに前進する味方と同士討ちになる危険もあるし、なにより、無駄だからだ。


 一瞬、こっちにいるアテーナイヱの連中だけでも突っ込ませようか、とも思ったが……。下手に犠牲が出ては、戦闘後の影響力がより低下する。残っている兵は、全て合わせても五百程度だ。俺達がアテーナイヱ正規軍に吸収されずに、安全にこの場を切り抜けるには、これ以上減らすわけにはいかない。

 そもそも、大戦力で圧倒する以上の華々しさをこちらが示すのは難しい。正規軍が出張ってきた以上、引っ掻き回す余地も無い。なら、失点にならない程度に攻勢に出た後は兵力を温存し、戦闘後にも独立行動が可能なだけの戦力を維持するのが、最善とはいえないまでも次善の策ではあるだろう。


 アテーナイヱ軍が、アヱギーナ軍の目前に迫る。戦闘に巻き込まれないようにするため、また、味方への誤射を防ぐため、俺は戦場からの離脱を命じた。

 前衛同士がぶつかり合い、足が止まったアテーナイヱ軍と待ち構えていたアヱギーナ軍が一瞬だけ拮抗し――。

 次の瞬間、俺達が入れた右翼の戦列の歪から一気に敵は崩れ、右翼のアテーナイヱ軍が陣列の突破後に方向転換し、半包囲型に持ち込んで攻め立てると、あっという間に敵は駆逐されていった。

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