Hassalehー8ー
潮風が流れているとはいえ、戦場に撒き散らされた血の匂いは濃く漂っている。斜め後ろを俺達が抑えていたので、敵は上手く後退出来ず、結局全滅するまで抵抗していた。
近くに転がっている死体から、ひょいと兜を奪い取る。血や土が少し付いていたが、曲がってもいないしまだ使えそうだ。俺以外の兵士達も――というよりは、無産階級や奴隷で構成された雑兵達の方が張り切って戦利品を漁っている。
ポン、と、兜を右手で放って遊んでいると、キルクスに苦笑いを浮べられた。略奪は下級兵がするから可愛げがある、とでも、言いたげな顔だ。ラケルデモンでは、いつでもどこでも、盗れる時にぶんどるのが基本だが……。まあ、金のある国はまた違うんだろう。
ふん、と、鼻を鳴らして金をねだる視線を向ければ、違う違う、と、キルクスに緩々首を横に振られ、意味ありげな視線を肩の方に向けられた。
キルクスの視線を追えば、どっかで見たことのある顔の将軍が、周囲を少年の護衛兵に囲まれながら俺たちの方へと歩いてくるところだった。
後始末か。これはこれで厄介だな。
とはいえ、一応、この部隊の名目上のリーダーはキルクスだ。俺は、あくまで雇われ部隊長。こういう時は変に口を挟まないほうが無難だ。揚げ足を取られかねない。
俺はこれみよがしに口を閉ざしてみせ、キルクスの右の座についた。
将軍達が目の前に着く。付近の兵士が、そっと退き、俺達と将軍達の様子に物見高い視線を向けてきた。
「我々の活躍により、先遣隊は全滅を免れ、敵の攻勢を退け、また、決戦におきましても充分な支援を行えたのではないかと自負しております」
前の市民会の事を根に持っているのか、開口一番、キルクスは得意そうに切り出した。
司令官の方も、これだけの兵士の視線と実績があっては無視も否定も出来ないのか、顔こそ面白くなさそうにしているものの、丁寧に頭を下げた。
「この度のご活躍、アテーナイヱ市民としての模範となるような戦功と言えましょう」
微妙な言い回しに悔しさが滲んでいるな。
政治的には正解なんだろうが、どこか卑屈にも聞こえるのが、少し可笑しかった。
ま、これで後は、敗残兵の逆襲や付近の海域に出張ってきているであろうおこぼれ狙いの海賊や武装商人を警戒しながら、拠点に溜め込んでいた物資をかっぱらって港へ戻ればキルクスとの契約は終了、だ。
んで、正規軍が留守の隙に、居留アヱギーナ人を仲間にして、アテーナイヱから脱出。俺は晴れて軍閥を組織……ってな。
そんな、見通しを立てていた時だった。キルクスが、余計なことを口走ったのは。
「我々も本隊に合流し――」
「いや、君達の働きで、正規軍の損害は極めて軽微だ。支援の必要は無い」
将軍は、態度こそ丁寧であったものの、強い口調でキルクスの話を遮った。
が、ここで引き下がるぐらいなら、来る意味はなかったと思っているのか、キルクスが……相も変らぬ迫力の足りない声で追いすがる。
「ですから、今回のような共同作戦を」
「残すところは敵のアクロポリスの占領であり、敵軍は既に主力を喪失している。分かるか? そもそも、戦闘が行われる可能性すら低いと言えよう」
戦果を笠に着ての交渉のつもりなんだろうが……良い判断とは言えない。ここでキルクスが勝つには、手持ちの兵も少な過ぎるし、合流しては逆にこの将軍の下についたと見られる危険の方が大きい。戦果はうやむやにされる。そうさせないためにも、一刻も早い帰国と世論操作が必要だった。
キルクスにもそれが分からない訳でもないだろうに……!
「油断が思わぬ反撃を招くこともありますよ。ここは、現地に詳しくなった我々に先陣を任せてみては?」
キルクスのその発言でようやく意図が読めた。敵のアクロポリスへの一番乗りを狙っているのか。そうすれば、多分、戦後処理においてアヱギーナを差配しやすくなるんだろう。
――が、市民会での登場順から考えるに、キルクスには過ぎた申し出だ。まだ役職も実績も足りない。
事実、俺の予想が当たっていたのを示すように――。
フン、と、鼻を鳴らした将軍が、嘲るようにキルクスを見据える。
「流石、家格を買った卑属は言うことが違う。我々の戦果まで安く買い叩こうとするとは」
「なんだと⁉」
キルクスの雰囲気が変わった。拙いな、逆上している。どうせキルクスにこの将軍は殺せはしないが、ここで歯向かって暴力沙汰にされると、こちらの正当性が揺らぎ、後々厄介だ。先遣隊の司令官程度とはわけが違う。コイツを殺すには、準備が足りない。
「キルクス、帰ろう。俺等の仕事は違う」
流石に平の傭兵として見られている以上、いつもの口調というわけにはいかず、俺はある程度畏まった口調で二人の割って入った。
今、大人しく、迅速に下がるなら、当初の予定通りの民衆への情報操作が出来る。キルクスの肩を掴み、視線をぶつけ――睨んでくるキルクスを強い目で見返し、現実を分からせる。
一呼吸の後、キルクスの肩から力が抜けたのが分かったので、俺は元の場所まで引き下がった。
ただ、逆に、中途半端にキルクスにつっかかられた将軍の方が引かなかった。
将軍が何事か伝令と話し、皮肉な笑みを浮かべながら、俺達に一歩近付く。
「君達にぴったりな任務がある。そちらをお願いしたいのだが、正規軍への合流を申し出るほど勇敢な君達は、当然引き受けてくれるだろう?」
勇敢な、にアクセントを置き、さっきの言質をたてにキルクスに迫る将軍。
キルクスの返事を待たず、将軍は地図を警備兵に広げさせ、森の先にある一点を指さして続けた。
「この村を制圧してもらいたい。本隊から別働隊を送り込むよりも、自由に動けるキミ達が適任だろう? なんでも、敗残兵が立てこもって、本隊の後背を衝こうとしているらしいのでね」
場所は、アヱギーナのアクロポリスとこの拠点の中間地点付近だ。
……成程、俺達を先に帰国させないには、丁度良い手だ。クソ、流石に抜け目無い。
「戦況は決している。余計な犠牲を出して、死傷者への恩給で国庫を圧迫すべきでないのでは?」
本当は、余計にややこしくなるから口を挟むべきではないと分かっているが、どうしてもすぐに引きたかったので、ダメ元で俺は提案して見た。
エレオノーレに、この後の事までを見せる気は無い。
どうなるのか、なんて、火を見るより明らかだ。ここで引きさえすれば、上手く行きそうだって言うのに。
「キミは?」
案の定、不信感……というよりおそらく他民族を下に見ているのだろう、値踏みするような目で、どう見てもアテーナイヱ兵には見えない俺に将軍が尋ねてきた。
「ここの雇われ部隊長だ」
それはそれは、と、いやみったらしい顔をした将軍は、俺から顔を逸らしてキルクスを見据えて嘲るように訊ねた。
「これは、重要な任務だとは思わないかね? キルクスくん?」
「……ええ、そうですね」
合流を申し出ていた手前、引けないと分かっているのだろう。引けば、それを責められ、先遣隊を持ち堪えさせた戦果まで霞む。もしくは、敵に通じていたから生き残っていた、なんて流言を流される危険まである。
「雇い主のお言葉は聞こえたかね?」
……ッチ。
この手のバカは殺したい……、が、今殺すと面倒事になる。せっかく積み上げてきたものがパーだ。
俺は将軍もキルクスも無視して背を向け、戦闘準備を命じるために陣地へと向かって歩き出した。
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