Ras Algethiー7ー

 町の代表団が退出し――、迎賓館に向かったことまでを扉の衛兵が伝えてきて、そのまま周囲の灯明皿に油を差し、再び退出していった。

 先生まで退出したのは意外だったが、思い起こせば、基本的には実務の場面では一緒することがなかったし、賊の征伐や演習にも参加されてはいなかった。元々は他国の人間だったと聞いているし、意識的に軍務を避けているのかもしれない。

 いや……、そもそも、先生の御歳は六十近いとも聞いているので、現場でのことは信頼して任せてくれているということなのかもな。


 注された油で勢いが増した炎で、部屋が橙色に揺れる。

 入り口から最も遠い席に微かに笑みを湛えた王太子がすわり、その左に椅子にぶっかかって足を雑に組んだ黒のクレイトスが、右にはテーブルに肘をつき、組んだ手の腕に顎を乗せたアンティゴノス。プトレマイオスはいつも通りのすっと背筋を伸ばした姿勢で黒のクレイトスの隣に座っており、俺は入り口側の席にひとりで着いた。

「さて、具体的な戦略について話し始めようか」

「どうだ?」

 開会を宣言したのは王太子で、すぐさま俺に発言を促してきたのは黒のクレイトス。

「見送りを進言する」

 はっきりと言い放つと、ヒュウと、発言を促してきた黒のクレイトスが軽く口笛で挑発し、やや不真面目な態度で俺に絡んできた。

「意外だな。あの連中に、わだかまりがまだあるとカか?」

「いや、違う。戦後処理の問題と費用からの反対だ」

 続けてみろ、と、態度ほどにはおふざけの無い目で俺を覗き込んできた黒のクレイトス。うむ、と、頷き俺は根拠についての説明を始めた。

「アイツ等の都市の人口はまだ三千に満たない。城壁外で生活している貧困層や船で雇用している浮民を入れたとしても、四千には届かないだろう。対して、レスボス島は全体で約三万の人口が確認されている。小規模な村まで含めれば、三万五千程度だろう。侵攻や都市の上層部の排除は可能だが、戦後の治安維持のために必要な兵士の数、補給線の維持費を考えれば、時期尚早だ。やるとしても、終戦直前に姿勢だけでも調停介入を申し出てからが望ましい。無理やりな理由でも大義名分が作れるからな」

 あの島は、産業規模としては問題が無い。自家消費分程度の農業は行えているし、冶金術、被服術など工業面でもバランスは悪くない。よって、占領さえしてしまえば糧秣は現地調達が可能となる。

 だが、版図に組み込むためには、軍権をこちらで独占するためにに戦闘後も相当の数の兵士をそれなりの期間にわたって駐留させる必要がある。

 統治が行き渡り、不穏分子を排除し、版図に組み込むのには……二年は必要だろう。アテーナイヱ離脱を決断しているらしいが、マケドニコーバシオに編入されたいと思っているとは考え難いし。

 だから島が安定するまでは、海上輸送で、兵員の補充や、こちらに協力的な知識層の人間に配るための進物の手配、都市の改装のための物資を運ばなくてはならない。

 だが、その海上が最大の問題だ。

 アテーナイヱとの海での交戦は、勝っても負けても軍資金の面で楽とは言い難い。しかも、こちらの海軍力――いや、そもそも、正規作戦にならない可能性があるため、基本的にはキルクス達の保持している五隻の船だけで戦闘と輸送を行わなければならない。


 ……島の奪取は、隙をつけば出来なくはないはずだ。

 上手く立ち回れば、ぎりぎりかもしれないが、その後も凌ぐことは出来、停戦まで占領し続けられる可能性もある。

 しかし、戦後を見据えれば、悪戯に状況を混乱させるだけのようにしか思えなかった。


「ここでの暮らしに、毒気が抜かれたンか?」

 奪える島を奪わない、という俺の意見に、顔こそ顰めないものの不満そうな声を上げたのは黒のクレイトスだ。

 黒のクレイトスは、基本的にはプトレマイオスよりも俺に近い性質をしている。訓練でも良く相手をしているが、部隊の指揮が上手いだけでなく、個人の技量もかなりのもので、剣の一撃は鋭く重い。賊の太股を一撃で斬り落としたこともあると聞く。

 一見すると粗暴に見える態度も、下級兵は親しみを感じているようだし、それ以上に、相手を挑発して本音を引き出すための計算でもある。

 現状、世情の割には武功を立てる場が無いと感じているのは俺も同じだが――。

 いや、まだまだ学ぶことの多い俺よりも、覚えたことを元に実地で研鑽し、自らの理論へと研究・昇華しようとしている黒のクレイトスの方が焦燥感が強いのかもしれない。

 今更意見を翻すというわけにもいかないが……。どちらかといえば本能や反射に近い部分で、自説の方向性を黒のクレイトス側に微修正しようとしたところ、プトレマイオスが割って入ってきた。

「いや、私もアーベルに同意見だ。戦闘行動は可能だが、万全を期すためにはミエザの学園の二割程度の兵士を出す必要があるだろう。戦えば勝てる。それは解っている。だが、国土の過剰拡大状態となり、土地当たりの兵数が乏しくなり隙が出来てしまう。戦後を見据えた冷静な軍の運用判断は、理にかなったものだ。ここでは、変な挑発をしてこないでくれ」

 言い合う二人だが、睨み合う形にはならない。不穏な空気にも。

 発せられたのは、黒のクレイトスの、ふむ、との、一言だけ。


 俺達は、なんというか、全体でひとつの意思を形成している生き物だ。黒のクレイトスには黒のクレイトスとしての役割と考えがあり、それはプトレマイオスも同様。他のヘタイロイも、それぞれが違った性質と用兵の方針があり――王太子が、共通の理想実現のために、最適な人間を選んで任務を任せている。

 意見や見解の対立は、むしろ、必要なことなので、これまでも相性の悪いヘタイロイ同士の議論が紛糾することはあったが、その後にわだかまりを残したことは無かった。

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