Ras Algethiー8ー
トントン、トンと、地図を指で叩いていたアンティゴノスが、不意に――だけど、俺達三人の注意を集めるのを意識したタイミングで口を開いた。
「本音を言えば、避難所として使いたいがな」
「うん?」
言っている意味が分からずに、俺達は顔を見合わせ、同じように首を傾げた。
王太子に目配せしたアンティゴノスが、頷き返されたのを確認し、改めて俺達三人の方へと向かって話し始めた。
「別に、あの連中に島の名義を任せても構わないだろ? 実権をこちらが握れば。支配の最終段階における排除――いや、失礼。処罰の大義名分も、丁度良く貰えたことだしな」
出来るか? と、アンティゴノスに目で問われたので――。
名義? と、一瞬、なにを言っているのか分からずに間が空いてしまったが、すぐに俺が考えていたのとは別の絵が浮かんだ。
亡命アテーナイヱ人による、新都市国家の樹立……いや、分離独立宣言か。
どうも、かなり高度な外交の話になってきたな。
レスボス島がアテーナイヱから分離独立した上で、アテーナイヱ難民で組織した軍隊がレスボス島の上層部の不正を告発した上で、占領する。そして、アテーナイヱ本国指導部の批判を継続しつつ、独立を行う。戦災難民を抱えていたマケドニコーバシオが率先してそれを承認し――、可能なら、こちらの持つエーゲ海の東回り航路での交易により関係が良好になっているテレスアリアを巻き込んで独立を支援する。
その場合、レスボス島独立を承認した国々のラケルデモン側での参戦を嫌い、アテーナイヱが引く……かもしれない。
なら、アンティゴノスが出来るか、と聞いている内容は、俺が再びアイツ等を指揮した際に、前と同じ失敗を繰り返さないかどうか、という意味でか。
……ミエザの学園で、多少は力をつけたと思う。いや、それだけでなく、王太子や皆を認めているが、それとは別の問題で、やっぱり、あれだけいいようにしてやられたことが悔しくて……不甲斐なくて、対策をずっと温めてきていた。
だから……。
「難しくは無い、が――」
返事をした上で、戦力面での質問をしようとした俺を手で遮り、アンティゴノスが話し続けた。
「ミエザの学園から、
……は?
いや、それなら、攻略としての戦力は全く問題がない。市民が三万いようが、戦える成人男子の数は、多くともその半分以下だ。戦い方にもよるが、ここの常備軍が使えるならその程度の数的劣勢は全く問題にならない。
しかも、将軍となるための教育を受けているここの皆が来るのだとしたら、戦闘後に島を支配するのは相当楽になる。戦後の治安維持も全く問題にならないだろう。
唯一問題になるのは、軍馬の養育施設とその飼料だが、平野部の開拓と穀類の新規の作付け準備――必要な物資と人員の確保――を加える程度の話だ。
戦闘においても、戦後統治に関しても、懸念は全くなくなった。むしろ、出来て当然の難易度だ。
……しかし。
「なにか拙いのか?」
それだけの戦力を費やす意味も、ここを引き払う理由も思い当たらなかった。
隣国との関係も良好で、戦争の気配も遠い。確かに現国王との関係は、良好と言い難い部分があるが、南部の諸都市は基本的には王太子派だ。下手にちょっかいを掛けて来られるとは思えないが……。
「異母兄のアリダイオス殿の結婚に関して、な」
名前だけは知っているが、正直、パッとしない印象しか俺は持っていなかった。いや、会ったことは無いんだが、聞こえてくる噂や実績を見る限り、王宮にただ居るだけというような状態で、表立った活動はしていないはずだ。
まあ、王家の人間ではあるので、政略結婚という意味では利用価値がるのかもしれないが……。なら、その想定の範囲の利用方法で、どんな問題が?
「踊り子の子供で庶子なんだが、近くの王家から后を貰うという話が出ている」
不思議そうにしている俺に、仕方がないか、とでも言いたげに嘆息したアンティゴノスが、そう続けた。
……致命的ではないが、容認も出来ない問題だな。
基本的に、マケドニコーバシオの王家は、他国から嫁をもらうのが通例となっている。が、それは、釣り合った立場同士で結婚させなくてはならない。勲功などを考えても、王太子の庶子の異母兄の相手として出てくるなら、有力貴族か将軍の娘が精々で、それを無理を押して王家から妻を取るということは、次期後継者の地位も狙えると、現国王が宣言させたに等しい。
露骨に顔を顰めた黒のクレイトスや、奥歯を噛んだプトレマイオスに対し、アンティゴノスはあくまで平常心で話している。かつては現国王と共に戦ったアンティゴノスは、他のヘタイロイよりも年嵩が上で、若干は王宮に近い部分がある。婚姻問題も、そのおかげでもたらされた貴重な情報ではあるんだろうが……。
「現国王の姿勢は?」
たとえ婚姻関係を結ぶとはいえ、事前に……そう、その男の地位が、どこかで固定されるなら、あくまで国の安定化のためと公表も出来るはずだが――。
「後継者に関してか? 態度を保留してンだよ」
今になっても、変えてねぇンだろ? と、これまでのおふざけのふりではなく、露骨に苛立っている時の口調で黒のクレイトスがアンティゴノスに確認し――、アンティゴノスも頷いた。
現国王への忠誠心は無いのが、表情からはっきりと分かる。
いや、まあ、ここに集っている時点で、王太子派なのは当然ではあるんだが、俺以外の連中のほとんどは、元々がマケドニコーバシオの貴族なので、ここに来た最初はそれが少し意外ではあった。
それでも、一緒に過ごしていくうちに少しずつ解ってきた事として、どうも現国王への忠誠心は、国家そのものに対する忠誠心に近いものであり、現国王個人に対する好き嫌いという意味では、……まあ、そういうことらしいと言うことだ。
「島の規模は問題ない。相当の軍を保持出来る」
アカイネメシスが近いせいもあり、城壁に関しても充分なことを、かつての交易で確認している。
まあ、だからこそ攻め込む際には、上手く隙をついて内部に潜り込む必要はあるだろうが、キルクス達が海側の城壁の構造を知っているし、交易のために整備された埠頭もあるんだから、そこは船を使えばどうとでもなる。
どの程度島民を殺すかにもよるが、ある程度ならキルクス達で補充出来る――というか、アイツ等を移住させる前提なので、有能過ぎたり無能な成人男子はある程度殺した方が得になる――ので、産業の維持も問題ない。
問題は占領後に、どこが攻めて来るかだが。
「アカイネメシスの協力を取り付けられるのか?」
ふと、今回の戦争では話題に上がってはいなかったが、防衛面での仮想敵の選定に当たって思い浮かんだので訊ねてみた。
実際問題として、アカイネメシスが
正直、国の規模が大きく、多少叩いたところで潰れないアカイネメシスが軍を送ってくると厄介だった。
と、言うよりも、立地的にはアカイネメシスの錫とヘレネスのオリーブオイルを取り引きする拠点としてはかなり望ましいので、むしろ、
しかし、アンティゴノスは、今回始めて難しい顔を見せ――。
「難しいな。通商以上の関係は、現在断っているし、変に干渉してこられても邪魔になる」
と、釘を刺してきた。
まあ、変に恩を着せられたり、保護・警備を名目に軍を進駐させられる可能性もあるか。
……ふむ。
ただ、島という点を考えれば、船の補修や建造のためにアカイネメシスとの木材の取り引きは、最低限行いたいところではあるな。海路の遮断は死活問題になる。
手間賃は掛かるかもしれないが、直接取引でなく、間に商人を何段階か経由させて迂回取り引きするしかない、か。
パッと思いつく範囲での検証を終え、顔を上げる。
それを待っていたように、王太子がニヤリと笑って会議の内容を総括した。
「つまり、お前さんに任せる仕事を要約すると、第一に部隊……というより、独自の軍の編成。これは、プトレマイオスだけでなくアンティゴノスにも監督してもらう」
アンティゴノスは、戦場で失った自身の左目に軽く触れた後、どちらかといえば最初出合った時に俺に向けたような、からかうような顔で――ここで学んだ実力を見せてみろ、と、灰色の右目で俺に伝えてきた。
ただ、軍務を命じられなかった黒のクレイトスが若干不満そうに足を組み直したので、分かっている、とでも言いたいのか、王太子は、今度は若干の苦笑いで続けた。
「黒のクレイトスは、己の護衛としてペラ行きだ。北伐かアーベルの方にするかは状況次第だが、ちゃんと暴れさせてやる。それと、プトレマイオス! どうするか未定ではあるが、リュシマコスにも話を通しておいてくれ」
リュシマコスは、黒のクレイトスとは若干毛並みが違う武闘派のヘタイロイで、印象というか雰囲気では、鋭く切り込む黒のクレイトスに対し、力で圧倒しようとするのがリュシマコスだ。普段の性格は真面目な方なので、プトレマイオスと仲が良く、俺も時々は食事を一緒することがある。
黒のクレイトスともそんなにぶつかることもない手合いだし、二人が島の攻略に回った際の連携に不安は無いな。
しかし……。
実施時期との兼ね合いもあるし、具体的にどうなるか分からない部分はあるが、俺とあの二人で組むとなると、あの程度の規模で鞍替えで揺れている島程度なら余裕だろうな。むしろ、戦力としては若干過剰かもしれない。
もっとも、油断するつもりも無いし、ただ勝つだけではなく、その後の支配や周辺の影響も意識した勝ち方を狙うつもりだがな。
同じ失敗を繰り返すつもりなんて無い。人の支配も、必ず、上手くやる。やってみせる。
「レスボス島侵攻作戦は、アーベルの部隊を中心に実行してもらう。そして、土地と金を確保し――。最後のこれがもっとも難しいんだが、こちらの王宮での交渉が決裂するまでは、その状況を維持してもらう」
全員の視線を受け、俺は軽く、だが、固く頷いた。
「上手く後継者の指名が得られた場合は、どうする?」
「状況次第だな」
成程。
確かに、今決められる問題でもないか。
どこかの国がレスボス島に兵を向け、かつ、それが大規模な軍で、消耗戦となっている場合には人と物だけを回収し放棄することもあるだろうし、逆に、上手く支配出来ているようなら版図に組み込めば良い。アテーナイヱと拗れるようなら、キルクスを窓口にして、島を買い戻させる形にしても良いし――アテーナイヱ再加入派への支援金という名目で金を出させ、撤退船の安全を保証されるなら、向こうの面子を立てつつこちらも失う物は無いしな――、逆にラケルデモンに提供することで、アテーナイヱとラケルデモンの戦争後の国際関係を有利に進めるって事も出来る。
「判断は、指示を仰いでからにするか?」
「いや、その作戦を完遂出来ていると仮定するなら、継承問題が済んだ時点でのお前の判断に誤りがあるとは思えない。連絡に時間がかかる以上、急を要する場合に島と住民をどう使うかは任せる」
俺自身を試すつもり……いや、違うな、これも対話だ。俺自身の適性や癖、有事の判断を実地に検証するって意味合いもあるんだろう。
今後、俺をどの場面で活かすのか、どの場面なら任せられるのか、王太子が把握するためにも必要な過程だ。
……後継者問題は、身内の内紛ではある。だから、ミエザの学園がたとえ閉鎖されたとしても、危険にさらされるような状況にはならないはずだ。それに、アイツには、今、新しい都市の代表という後ろ盾もある。
危険は、少ない。
むしろ、レスボス島に連れて行くことの方が危ない。
エレオノーレは……、いや、バカか俺は。同じ失敗をしてどうする。
表情を改めると同時に、王太子が会議の閉会を宣言した。
「具体的な作戦会議は、ペラでのトラキア征伐案がまとまり、己が帰国してから行う。アーベル、それまでに軍の編成は終えておけよ。次の会議では、この計画に参加させるヘタイロイを全て集め、アーベルのレスボス島攻略作戦の発令時には、全ヘタイロイを召集し、今後の方策を決定する。今夜は以上だ!」
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