夜の終わりー7ー

 誰とどんな話をしようが、気が重かろうが時間は経つし、夜も来る。そうなれば必然的に寝る事になるんだが――。

 エレオノーレと散々揉めた後に顔を合わせるのがアデア、ってのもどうなんだ?


 自室で待ち構えていたアデアの横を通り過ぎ、戦争以上に疲れた身体を寝台に投げ出す。今日はもう寝ると無言で主張するものの、それで引かないのがアデアだ。

「なにか話せ、我が夫よ」

 ってく、女ってのは、どいつもこいつも。

「ハン……。これが、上手く話がついた顔だって思うのかよ」

 鼻で笑ってから、察せ、と、枕に顔を押し付ければ背後から怒声が響いた。

「違う! 誰が他の女の話を聞きたがるか! 王の友ヘタイロイの連中が我が夫に解決させろというので、苛々しながらも我慢しておるのだ! さっさと決着をつけてしまえ! そして今は、もっと別の――、気の紛れる話をしろ。どいつもこいつも、あの根暗の話ばっかりではないか」

 そういう事情だったのか、と、寝台の上で回転して仰向けになれば、膨れっ面のアデアに上から顔を覗き込まれた。

「……お前まで怒んなよ」

 ミュティレアに着いてから、文句ばっかり聞かされた一日に辟易してそう告げれば、踏ん反り返ったアデアに傲慢に言い放たれた。

「までとはなんて言い草だ! ワタシだけを見ていろ。前にも言ったぞ? 比較するなと。嫉妬させたいのか? ん?」

 善し悪しはともかくとしても、一貫した態度に閉口し――。

「現国王って、どうしてんだろうな」

「大人しいのを貰う、金で従える、権力で従える、色々あるだろう。もっとも、ワタシには全て無駄だがな」

 確かにな。

 性格は言わずもがなで、王族で、しかもそのせいで金銭感覚までおかしいからな。

「世辞のひとつも言えんのか、我が夫は?」

「世辞で良いのか?」

「良いわけあるか」

 額を軽く小突かれる。と、なぜか枕に後頭部が深く沈んだ。

 そこで流石におかしいと気付いて、まだランプが消えていない部屋を見渡せば――壁がぶち抜かれ、部屋の広さが倍に拡張されていた。船旅の後だったので、寝台の柔らかさも、木の床に毛布を敷いただけの船の寝床との差に馴染んでいないせいなのかとも思ってたが……。

 反射的にアデアを睨むが、不敵に笑われた上で――。

「折角なのだし、他国の話が聞きたい」

「他国の話?」

 いや、反発はしまい。

 勝手に俺の部屋まで拡張するなとは思ってしまうものの、元が下級役人の小部屋だったし二人で住むには、仮の塒としても狭い。実際、アデアと同室で寝るのはエペイロス以降は普通の事だったし、戦争中の景気でミュティレアが儲かっていて、アゴラやそれに付随する各種施設を拡張したのも頷ける。

 まあ、エレオノーレの一件において、他の皆の言い分が正しく、これだけやらかした後なので、文句は言えないってのが正直な所だが。更に付け加えるならば、アデアが許可した改装というなら、この都市に常駐している王の友ヘタイロイの連中も俺に味方するはずはないし。

 これが、大人になったってことなのか、単にアデアの性格に慣れただけなのかは、微妙な所だがな。

「そうだ、久方ぶりの故郷だったんだろう?」

 故郷ってな……と、内心苦笑いしてしまうが、ギリシアヘレネスの北部しか知らないアデアにとっては、南部といえば俺の故郷と認識してしまうのも仕方がないのかもしれない。

 だが、そもそもラケルデモン国内へは立ち寄らず、ラケルデモンの支配から離れた旧メタセニア領に留まっていたんだから、当時の俺がいたラケルデモン本国の中央や東岸地帯とは全く共通点はない。というか、旧メタセニア領は税制面でかなりの負担を住民に敷いていたし、南部の先進都市って雰囲気は全くない。

 見知らぬ田舎で、トラキアでやってたのと同じような仕事してた感想を聞かれても、正直、困る。

「別になにも」

「そんな事はないだろう、いいから話せ」

 エレオノーレの件で気疲れしているのに、アデアに合わせて伸張された寝床は柔らかくて沈み込むせいで、体温がこもって余計に疲れさせてくる。胸の上に、もう子供って体格でもないアデアが肘で這ってきて、顔を覗き込んでくるんだから、余計に。

「それで話題が出てくれば世話はない」

 絡まる視線を外し、仰け反る様にして枕を首の下だけに当てるも、それで諦めるアデアではない。

 無理に顔を引き上げられるので、寝付けなさそうな寝床から上体を起こすと……、アデアに膝に座られた。

 良くも悪くも、こういう所が俺とアデアの関係をこうさせたんだよなと思う。まあ、良かった事も悪かった事もどっちも多過ぎて、一概に感謝は出来ないが。

「メタセニアは、当分は使い物にならないだろうな」

 うん? と、首を傾げるアデアに更に詳しい解説を述べた。

「支配するだけならまだ簡単だが、それ以上に文化的に破壊されつくしているからな。こちらの都合のいいように刷り込む余地がある、とも受け取れるが、識字率の低さを考えれば当面は単純作業しか任せられん。教育が行き届いて、戦争に使える人的資源が手に入るには十年は掛かるだろうな」

 他にも果樹栽培を促進させワインの増産も検討するが、読み書きに不安がある以上、その商業取引はこちらが主導するしかない。再興しつつあるアテーナイヱに対抗する上で、なんとしても貿易網を張り巡らせる必要が……。

「それは、叔父殿や他の王の友ヘタイロイとする話だろう! もっと他の事を言えぬのか、我が夫は」

 具体策について考え始めてしまったところで、呆れたようなアデアの声で現実に引き戻された。

「重要なことだろう? いいか、アデア。お前は、他の国を知らない。それ以前に、精鋭である常備軍以外の兵士も知らないだろ? だから、王の友ヘタイロイがいかに特別なのかがわからないんだ」

 王の友ヘタイロイとしない話、ねえ……。配下の兵士にする話は、更に罵倒されそうだし、となると逆に王の友ヘタイロイについての話とかしか思い浮かばないんだが。

「まず、動ける市民軍はアデアが思う以上に少ない」

 取り敢えずではあるが、そのまま王の友ヘタイロイと他の都市の軍との比較を続ける。

「動かない軍隊がどこにある」

 メタセニアが今は使えないのは分かった、とでも言いたげな気のない返事をするアデアに、軽く肩を竦めて応じた。

「どこにでも。基本的に、軍隊は動かすのも、ましてや戦場で戦術的な機動をさせるのも相当に難しいんだ」

 アデアは、全く理解していない様子だがそれも仕方がないだろう。王族ゆえに、あれをしろの一言で兵隊が動いていたんだから。

 他国と違って、常備軍が主力のマケドニコーバシオ兵は、行儀が良いのも多いし。

 まあ、俺だって、好きで使えない兵士を指揮する経験をしたわけではないんだが……。

「なら、アデア。俺の軍を貸したとして、お前はこの町から出撃させられるか? 集合させた兵士を、行軍隊形にどうやって変える? 次いで、進軍速度や休息の有無、目標到達時間は? 無事、戦域に着いたとして、攻撃のための横隊展開や各部隊の配置の指示は?」

 アデアは答えなかった。

 ま、それはそうだろう。

 俺の書類仕事に関して――経路や日程、必要な物資の量と、その売買契約書等は、単に軽く目を通すだけで、他の者に任せればいいと思っていた節があるし。

 行軍中の奇襲対策の一環なので、梯団の規模や間隔も適当ではいけないのだ。

「……俺や王太子にくっついてる時、他の王の友ヘタイロイが側に居る時、お前が訓練に口出ししても上手くいってただろ?」

 どっか不貞た顔で頷くアデア。

 実際、そうなんだよな、と、思う。

 ダメな市民軍は、指揮できる人間ではなく、指揮したいと騒ぐ人間が頭になる。単なる目立ちたがり、もしくは、腕っぷしで都市内部の知識層を脅す悪ガキ。

 まあ、かつては俺自身がそうだった、とも言えるか。

「出来る事と、出来ない事をしっかりと弁えとくんだ。弱小の市民軍は、たいていが過信した都市の権力者が、理論では正しい事を自分の頭だけで理解して、それが他人にも伝わってると思って指揮している。もしもの時、お前は、そういう愚を犯すな」

 ファランクスは前にしか進まない。いや、盾に身を隠すように動くので、真っ直ぐではなくやや右側に向かって逸れていく。真偽は不明だが、両軍共にファランクスを組んだものの、交戦しようとしたら、綺麗にすれ違ったなんて笑い話もあったっけ。

「特に、訓練が不十分な兵士は、歩くだけで精一杯だからな。それでなくても隊列を崩し易いってのに、側面に回り込むような軌道や、左右で進行速度を変えるなんてのは英雄的な指導指揮と訓練の賜物なんだ。指揮官と兵士、そして状況が上手く噛み合った、奇跡に近いモノがある」

「先の戦争のことか?」

 報告は送っていたので多少の事は聞き及んでいたのだろう エスパメイノンダスに関する俺自身の感情までを知っているのかは、プトレマイオス次第だが、少しだけ感傷的になっているアデアの表情からはそこまでのことは読み取れなかった。

「先の戦闘は良い訓練になった。兵士にとっても、俺にとってもな」

 だから、含みを持たせるに俺は留めた。

 期待した一騎打ちが出来なかったから、その消化不良の感情が結果としてアデアやエレオノーレについて考える切っ掛けになった。とは、流石に言えない。

「では、十分な訓練もなく、戦わなければならぬ時はどうするのだ?」

「有利な地形で待ち伏せする。動いてバラバラになられるよりは、適当な遮蔽物の後ろで一列にさせとく方がまだ連携する。狩人なんかが少数でもいれば、更にその後方に配置して支援させられるしな。多少の技量や兵数の差はそれでなんとかなる」

 細かく言うなら、遠距離攻撃する兵士は遮蔽物もしくは前衛の影に身を隠した方が良い。投擲物の有効射程ぎりぎりで戦わせるよりも、近接戦闘の開始直前の敵が得物を構える無防備になった瞬間に攻撃させるのが望ましいからだ。

 訓練された軍隊同士の大規模な衝突なら安易な撤退はないが、小規模な小競り合いなら届くか届かないかの投石攻撃で敵が退くこともある。

 もっとも、単に退くだけならいいが、損害がない場合、思い掛けない方向から再度攻められたり、単なる野蛮人の略奪のように輜重や策源地だけを荒らしに掛かる場合もあるけど。

 下手過ぎて何が起こるかわからない怖さが、小規模な戦場には付きまとう。

 っと、兵士の指導の仕事の癖が出そうになり、長くなる前に軽くまとめると――。

「だが、自軍の移動が出来ない以上、後方や側面に回り込まれたり、決戦を避けて策源地を占領されれば簡単に崩される事も忘れるな」

「どうするのだ?」

 少しは自分で考えろ、と、アデアの頭を痕が残らないように軽く小突き。

「そうならないようにするしかないな。戦わないなら、無駄に陣を敷き続ける必要もないし、敵の指揮官が無能だったり、兵站線が弱ければ篭城も手だからな。そこは、その時になってみないとなんとも言えん」

 答えになっていない、と、小突かれた頭を手で隠しながらアデアに睨まれるが――。

「っつーか、そうした下手な戦争にならないように、王太子が情報を整理統合して戦略を立て、現場を仕切る王の友ヘタイロイがその戦場にあった戦術を立て、配下の下級指揮官が兵達をまとめて実行するって形なんだよ」

 ようやく、最初の話に戻って来た所で、あ、そうか、と、声には出てなかったが、アデアの顔に思いっ切り書いてある。

 まあ、実際にはアデアにこうした知識が必要になる状況ってのは、よっぽど切羽詰ってるって事だから、それを避けるために動かないといけないんだがな。ただ、大人しく捕虜になる女でもないので、最低限のことを伝えておくのは悪くない判断だと思う。

「お前な……。だから俺達は日々訓練して、王の友ヘタイロイ同士で新しい戦術の研究をして、装備の改革にも取り組んでるんだろ。遊んでるわけじゃないんだぞ?」

「う? うむ」

 頷いてはいるものの、エペイロスで顔合わせした際には、俺がそうした仕事を理由に避けてたからか、未だにどっか疑われてしまっている。

 日ごろの行いっちゃ、その通りなので否定も出来ないが、逆に言えば、そうした不満があるのによく俺とつがいになる気になるよなコイツは、とも思う。

 なんとなく、空いてた指先が漫ろになったので、アデアの鼻先を軽く引っ掻いてくすぐり――。

「小さい所じゃ、縁故や友人同士でまとまって、なんとなくで戦う市民軍だってあるんだぞ? んで、意思の疎通が不十分で小競り合いを繰り返すだけになって村境や国境線が膠着して、毎年遊んでたりとかな」

 メタセニアに関しても、そうだ。

 ラケルデモンとの国境の策定で、山岳で仕切られてるところは別としても、街道が通じちまってるとこはどうにかしないといけない。馬車の通れる街道は、敷くのも苦労だが、廃止するのもまた苦労が付きまとう。

 関所を設けても、そこを襲撃されたら修繕や維持で金もかさむし……。

「なあ、我が夫よ」

 まだまだメタセニア問題は多そうだと考えていると、改まってアデアに呼びかけられ、あん? と、首を傾げて応じる。

「これは、果たして妻にする話なのか?」

 瞬きする。

「なにか話せと言ったのは、お前だろ」

 何を今更と、怪訝な顔のアデアを見詰め返せば「違う」と、即答された。

「なにが」

 訊き返しても、膝の上のアデアにしがみ付かれたり揺さ振られたりされながら――。

「違うのだ!」


 結果として、暴れる――もとい、じゃれるアデアに纏わりつかれ、寝不足のおまけまでつくことになった。

 どうにも、不幸は連続して来るから困ったものだ。

 明日は、なにから手をつければいいのかさえまだ決まってないってのに。

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