Spicaー1ー

 テレスアリア兵の救援。

 その方策が決まった時点で、マケドニコーバシオ……というか現国王へのこちらからの要求を上乗せする使節が選ばれ、また、陣を張ることになるアカイネメシスとの折衝、船の艤装など、準備が慌しく始まった。

 やると決まった以上、次は時が要となる。

 支援に行ったは良いが、テレスアリア兵が全滅していました、では笑い話にもなりはしない。


 基本的には、マケドニコーバシオもミュティレアもアカイネメシスとは緩い共生関係――同盟ではないものの、ヘレネスの特産品と東方の特産品を取り引きする窓口として、通商面での条約はある――なので、入港や補給に関してはそれなりに便宜を図ってもらえることとなった。

 また、それと合わせ、現在封鎖されている黒海からギリシアヘレネスへと至る航路で滞留している物資に関し、商取引を行うための商船を同行することとし、都市市民とアカイネメシス双方に利益の誘導を行うことも忘れていない。

 出せる船は三段櫂船が四隻と、帰りにテレスアリア兵を乗せる予定の糧秣輸送用ガレーが四隻。他に商用の輸送船が五~六隻だが、こちらは基本的には兵站線として使い、アカイネメシスの港とミュティレアを往復しているので、戦闘で使うことはない。

 兵士に関しては、俺の軽装歩兵と黒のクレイトスの重装騎兵が選ばれた。王の友ヘタイロイや、各軍団の幹部ももちろん参加はするが、表立ってどちらかの勢力に加担するわけではないので、重装歩兵を伴わない即応性を重視した編成だ。


 王太子が指揮し、きちんと王の友ヘタイロイで分担して行った仕事だからか、恐ろしく早く、そして、簡単に準備が終わっていた。

 いや、そこに不満があるわけじゃないんだが、楽な仕事はどこか物足りなさも感じてしまう。これがあるべき形、と言われればそうなんだろうけどな。


 キルクス達が意気揚々と出港していった十二日後。クレイトス達が着いてから九日後には、王の友ヘタイロイが出陣する準備も整った。

 後は命令ひとつでいつでも進軍できる。

 そんな昼下がりだった。エレオノーレに呼び出されたのは。

 無視出来なかったわけじゃない。

 ……キルクスの件は、敢て口に出して注意を促す必要性すら今は感じていないんだし。

 ただ、既に準備が終わっている手持ち無沙汰な時間で、することがなかったから、顔を見せておこうと気まぐれを起こしただけ。出兵すると決まってからは、その準備に追われていて全く相手にしていなかったし。


 円堂ではなく、正式にエレオノーレが住んでいる十二神神殿の奥へと向かう俺。

 基本的にエレオノーレはお飾りなので、円堂には式典以外の時間はいないことが多い。というか、変に会議に口を出されても邪魔なだけなので、民会だけでなく、政務官や将軍の打ち合わせにも参加させていない。

 適当に来賓に挨拶し、アゴラや体育館で運動し、程々に家庭教師が勉強させるという、一般的な貴族の息女の生活を行っている。

 そう、あくまで、人気取りで祭り上げているだけなのだ。政治的な決定権は、一切保有していない。


 世話役の奴隷に案内され、扉を開ける。

 ポツンと、エレオノーレが椅子に座っていて――扉を開ける音に釣られたように顔を上げて俺を見た。

 昔と違って、肌も髪も整っているとは感じた。衣類も絹の高価な服で、家事をしていないからか、腕や指も綺麗で怪我は無い。銀糸の髪飾りだけが、往年を偲ばせている。

 ただ――、表情は、どこか精彩を欠いているようにも見えた。

 ずっと昔、最初に出会った日の夜に感じた瞳の輝きは、感じられない。


 ここは、普段は家庭教師に勉強を教わっている部屋なのか、広くは無いが書物や物書き台などが規則正しく配置されている部屋だった。

「戦争……止まらないんだよね?」

 エレオノーレがアデアの件について口にしなかったから、俺も婚約の件には触れずに、気楽……と言うと変かもしれないが、肩肘張らずに話し始めることが出来た。

「ここに来るまでに、そんなのは散々見てきただろ。お前は、たまたま祭り上げられただけだ。座ってろ、もうそれしか出来ん」

 エレオノーレの正面に用意されていた椅子に座る。

 今更といえば今更なのかもしれないが、しばらくここを離れ、また、昔の事を思い出すことが多かったせいか、今のエレオノーレの視線は、出会った当時と比べて下を向くことが多いことに気付いた。

 昔はもっと、正面から、刺すように俺を真っ直ぐに見ていたのに。

 沈黙が流れる。

 昔と違って、エレオノーレからは話しては来なかった。

 微かに嘆息する俺。

「……まだなにかあるのか?」

「確かに私は、安全な町で座っているだけだけど、でも、分かるの」

 顔を上げたエレオノーレ。しかし、視線がぶつかると逸らされてしまった。

 俺の婚約でこうなったのか。いや、それはあくまで切っ掛けで、兆候は昔からあったのかもしれない。

 確かに、少し昔まではお互いがお互いを一番理解している……ような気になることが多かった。だが、俺には王の友ヘタイロイの皆が出来たし、エレオノーレも、なにか、俺とは別のモノがその場所を埋めているんだと思う。

 距離が離れれば気まずくなる。

 もとより、俺はエレオノーレに気に入られようとなんてしていなかった。人間関係を構築するつもりがなかった。我を通す過程で、エレオノーレの命を守ろうとしただけ。

「まるで予言の神に仕える巫女になったみたいに、あちこちで死んでいく人の声が聞こえるの……ずっと。私が、なにもしなかったら、そんなことならなかったはずなのにって」

 つい出てしまった溜息は、エレオノーレの話によるものなのか、なんとなく隔たりを感じる今の距離に関するものなのか、自分でも分からなかった。

 ただ――。

「気のせいだ。お前自身が動かせる事態なんて、たかが知れている。キルクス達でさえ、自分自身の意志で戦いを選んだんだ。結果を受け止めるのも自己責任で、それをお前が負う必要はない。まあ、なんだ……悩んでるなら、相談役の女官でも手配しておく。喋ってれば少しは楽になるだろう」

 ――エレオノーレの悩みに関して言うならば、そんな問題を俺に相談されても困る。

 人は、いつか、必ず、死ぬ。

 だから、味方は守り、敵は殺す。それ以外の他人がどうなろうが、俺は気にすることは出来ない。理由は背景はどうあれ、敵味方に配されたならヤることは、ひとつだ。

 そこで迷っていたら、死ぬのは自分自身か、自分の仲間だ。

 大切ながあるのなら、それ以外には冷酷にならなければならない。

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