Porrimaー20ー

 会議に集中しなければならない場面だとわかっている。でも、これで、少しは時間が稼げると思っていた。

 キルクスは、これで終わる。

 生きて帰って来たところで、情報不足の中での出兵を強行した件を責める事で、ここから――エレオノーレの視界から――追放出来る。

 暗い欲望が心の中で燃え上がりかけたが、クレイトスの声が隣から響き、我へと返った。

「……ンで、最終的に、そのラケルデモンからの援軍の指導の元でシケリア遠征軍をシケリアの兵士を使って壊滅させた。しかも、帰路のついでに、アルゴリダを蹂躙して無力化したンだとか。メロス島からペロポネソス半島への上陸は、これで不可能になったな。補給の当てがなくなったンだから。つか、弱いな、アテーナイヱアイツ等

「ハハン」

 思わず鼻で笑ってしまった。

 ダトゥで生き延び、として、軍を組織させて国を与えたってのに、一年も持たなかったのかよ。

 焚きつけたのは王の友ヘタイロイであり、その原因を作ったのは俺だが、それだったら大人しく奴隷をしていた方が長生きできたかもな。

「まあ、こちらの人員を残していなかったし、それは構わないだろ」

 プトレマイオスが、どこか呆れたように答える。

 人員もそうだが、俺達が一時占拠した際に、アルゴリダのアクロポリスの財宝もかっぱらってきてるんだし、落とされた所で経済的にもラケルデモンを利することは無いだろう。

「で、テレスアリアが、アテーナイヱが穀物買取価格を吊り上げたのに釣られて、物資輸送船団と支援艦隊をここの北に派遣」

 テレスアリアからは、サロ湾――今回の両軍の大凡の集結地点――までの直通の航路は無いが、海岸線沿いに進めば辿り着ける場所ではある。

 ただ、サロ湾へと向かうには、マケドニコーバシオの港で休息しながら進むのが現実的なので、それで情報が漏れてるんだろうな。

 いや、そもそもが隠す気も無かったのかもしれないが。

「どうも、テレスアリアは完全に我々に味方するつもりはなさそうだな」

 眉を顰めたプトレマイオスの言い分も分かる。ラケルデモンの支持を表明しているマケドニコーバシオを無視し、その領海をアテーナイヱに売り渡す物資を輸送するんだから、喧嘩を売っている意外に解釈のしようがない。

 しかしながら、そんなことが出来るのは自前の武力による裏付けがあるからだ。実際に戦えば、こちらが勝つ。だがテレスアリアは、古い認識のままでこちらを舐めている。

 今回の行動は、現実を奴等に思い知らせるには良い機会だ。なので俺の意見としては――。

「いや、ここで支援艦隊が痛い目を見れば、テレスアリアの指導部も意見を変え」

「待った」

 ――向こうから擦り寄ってくる、と、続けようとしたんだが、話の途中でクレイトスに遮られてしまった。

 死角になる左側にクレイトスがいるので、顔が見え難くて、やや上体を逸らすようにしてクレイトスへと向き合い、軽く小首を傾げて見せる。

「そこで、現国王からの要請ダ」

「要請?」

「ラケルデモン王族の保護を評価し、今回起こり得る大海戦において、テレスアリア兵の救援を行えば、王太子の国外追放処分は取り消す、だとヨ」

 目を瞬かせる俺。

 プトレマイオスやネアルコスも似たような反応で、王太子は皮肉を口の端に乗せていた。

「後継者としての指名は?」

 一応、もしもがあるといけないので訊ねてみると、クレイトスは肩を竦めて見せた。つまり、そういうことらしい。

「……なんだそれ?」

 問題の根本をそのままに、追放令だけを取り下げたところで意味は無い。

 つか、せめて今後二度と国外追放しないぐらいの約束が出来ないんであれば、聞いてやる義理も無いと思うんだがな。

 変に味をしめられて、好き勝手に俺等を遣い潰されてもたまったもんじゃないんだし。

「まったく、ナ。そんなわけで、向こうでも揉めてるから、受けるかどうするかも含めて、持ってきた」

 ヒラヒラと掌を振って、ハン、と、鼻で笑うクレイトス。

 まあ、そりゃあ確かに結論は出ないってか、はいそうですか、って納得できる話では無いんだからそうなるよな。多分、アンティゴノスを中心に折衝は続けていて、実際に王太子が動いた場合に備えてを送って寄越したんだとは思うが……。正直、微妙といえば微妙ではある。

 まあ、こちらの体面として、いつまでもマケドニコーバシオから離れているってのも周辺国の印象が悪いのは事実だが。


「己だけか?」

 クレイトスとリュシマコスの二人に頷かれたことで、ふむ、と、顎に手を当てて口を尖らせた王太子。

 正直、俺はどちらでも良かったので――テレスアリアを救援するなら、俺の軍団で上手く船を回し、プトレマイオスかクレイトス、もしくはリュシマコスが騎兵でテレスアリア兵を誘導し撤退させる。ネアルコスの弓兵とラオメドンの重装歩兵は、運動を伴う撤退戦向きではないので、島の抑えとする。逆に、無視する場合、島の防備を固めつつ、戦闘後に勝ち残った勢力。おそらくラケルデモンが勝つだろうから、その司令官と、物資補給の引き換えを条件に同盟もしくは友好条約締結の交渉を行う――他の参加者の出方を待ってみた。


「国内には、多くの王の友ヘタイロイが残っているし、アカイネメシスに近いここよりは安全ではないか?」

「王権の奪取のための事を起こすにしても、この島からでは動員に時間も掛かるしなぁ」

 プトレマイオスの意見に、リュシマコスが賛意を示した。

 まあ、国内に残っている王の友ヘタイロイの方が追放された王の友ヘタイロイよりも多いし、マケドニコーバシオで王太子を暗殺するのは難しい、だろう。

 逆に、俺達で周囲を固めているとはいえ、占領後間もない都市に留め置く方が危険性はある。アカイネメシスにも近いし、そもそもミュティレアは国家として再編していないため、名目上はアテーナイヱの一部という形のままだし。

 ラオメドンは、相変わらずいまいち表情が読めないし、こうした場で口を開く気が無いのも相変わらずなので良く分からないが、横のクレイトスはプトレマイオスとリュシマコスの意見に異は無い様だった。

 ネアルコスは――。

「ええと、話は戻りますが、現国王の側もアテーナイヱの負けを予見しているのですか?」

 まだ迷いがあるのか、クレイトスにそう訊き返している。

 視線がクレイトスへと集まった。

「奴隷からの事情聴取で、シケリアに行ったアテーナイヱ艦隊の規模を聞いたらウケルぞ? それが全滅だ」

「全滅?」

「ああ、撤退できた戦力はなーし。なので、話が中々出てこなかったンだとよ」

 まあ、テーブルの資料を見るに、戦争奴隷の数だけで数千ってことは、おそらく軍団規模としては数万を送り込んだんだろうな。

 それだけの兵力で、なんで負けたのか不思議だが。いや、負けるまではしょうがないとしても、損害がそこまで拡大しないうちに撤退できなかったんだろうか? 数万の兵力とはいえ、一度に全員が戦うわけではなく、後衛や予備兵力、輸送隊などもいたはずだし、それを逃がせば再編の望みは繋がっただろうに。

 軽く幾つかの資料を見比べてみるが、アテーナイヱにはもう兵士の余裕は無いだろうな。アテーナイヱの経済状況はまだ不明で、もしかしたら装備や軍船は調達できる程度の予算はあるのかもしれないが、戦死だけでなく疫病や兵糧攻めによる飢えも考慮すれば、総人口の一~二割程度まで損害が拡大しているかもしれない。

 継戦能力以前に、国家の維持に支障をきたし始めるほどの損害だ。


「まあ、こちらもアテーナイヱが、東からの穀物供給も断たれたという情報があるしな。兆しは、各所に表れているのだろう」

「あン?」

 クレイトスが発言したプトレマイオスではなく、俺の方を見たので、資料を放り投げ、頷いて答える。

「ここの東――アカイネメシス側のアテーナイヱ殖民都市は、ラケルデモンが既に落とした」

 西の遠征に失敗し、北のマケドニコーバシオはラケルデモンの支持を表明、東のアカイネメシスはラケルデモンと秘密裏に同盟を結び、南のクレーテは傍観。

 都市への攻囲だけではない、国家そのものに対する包囲網が、シケリア遠征軍の失敗で完成したといえる。

「……詰み、ダな」

 クレイトスの言葉を否定する人間は無いなかった。そう、最早サロ湾近海で行われる海戦の結果を待つ必要がある事態ではないのだ。

 もし仮にアテーナイヱが海を取り返したとして、どこからも物が買えない。アテーナイヱは農業に不向きな土地で、海運による商業が主体の国家だ。どこかの都市から奪おうとしたところで、都市側は落とされる寸前に物資を焼却するなどして抵抗すれば、戦略的な価値がまったく無くなる。

 これから始まる海戦は、あくまで戦後の交渉の材料のひとつなのだ。

 アテーナイヱが艦隊の存在感を示して降伏条件を緩和できるのか、それとも、完全に屈服し、全てを奪われるか。


 語るべきことを語り終えたクレイトスとリュシマコスが、あくまで普段通りの態度で王太子の答えを待っている。それは、俺やプトレマイオス、ネアルコスにラオメドンも同じだったので、思い思い――テーブルに手を衝きニヤニヤ笑いを浮かべ、あるいは、壁に背を預け腕組みをして静かに沈黙、人好きのする笑みで周囲の者の顔を見回したり、生真面目に直立しながら、テレスアリアを救援する場合と、要請を無視した場合の具体策を検討しつつ、王太子の一声を待つ。


 珍しいぐらいの長考の後、王太子はニッと笑って皆へと告げた。

「折角のご指名だ、遠足には行こうじゃないか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る