Spicaー2ー

「アーベル、私ってなんなのかな?」

 ポツリと、呟くように言ったエレオノーレ。

 うん? と、首を傾げると、不意に声を大きくしたエレオノーレが俺の腕を掴んだ。

「私に出来る事って、なに?」

 少しだけ考えてみるが、思い浮かばなかった。

 出来る事は、ない。個人としてそこそこ戦えるだけで、商才も無ければ軍才も無い。集団を導けるだけの個人的資質カリスマ性もだ。

 敢えて言うなら、優しさと潔白さがあるので、お飾りとしておくには十分な存在。それこそが今のエレオノーレだろう。

 だが、それを教える意味があるとは感じなかったので――。

「なにも無い」

 はっきりとそう答えれば、エレオノーレは下唇を噛んで俯くも、すぐに顔を上げて真っ直ぐに――少しだけ昔と似た視線で――俺を見据えた。

「分かってる。でも、私だってなにかしたいんだよ」

 ……困った。

 ので、頬を掻く。

 することがないのが苦痛って事なのか? まあ、それで気が紛れるなら、なんか適当な織物でも編み物でもさせてみようかと思うが、多分、今言っているのはそういう事ではないだろう。

 俺には言える言葉がないので、沈黙で答えた。

 エレオノーレも答えを期待してはいなかったのか、さほど間を開けずに話を続けた。

「分かってる! 私に出来る事なんて、無いのかもしれない。でも、だったらなんで祭り上げられるの⁉ 祭り上げるのに、私の意見が無視されるのはなぜ? 今回の戦争も、介入しないで欲しかった。でも、キルクスさん達も、ネアルコスさんも、どっちも姫様のためって言って仲違いしちゃって……」

 多分、他のヤツの前では、言えなかったんだろうな、と、思う。変な部分で気を遣うヤツだから。

 しかし――。

「そういうものだろ」

 としか言えない。

 俺でなくてもそうだ。周囲としては、するべきことを、判断出来ないエレオノーレに代わって行っているというつもりだしな。場合によっては、エレオノーレの本質を知ろうともせずに、後々感謝してくれるはずだ、なんて思い込んでいるヤツさえもいるかもしれない。

 ……まあ、俺自身、以前の自分の行動を顧みれば、他人の事をどうこう言えないだろうがな。

「豊かになりたかったわけじゃない。私は、ただ、手の届く人たちを助けて、それで、平凡で幸せに慎ましやかに生きていきたいだけなのに……!」

 必死で訴えるエレオノーレではあったが、それが切実であればあるほど、どこか的外れのような気がしてしまう。

 お飾りのエレオノーレと、集団の総意は既に異なっているのだ。

 ひとりでそれに逆らった所で良いことは無い。意志を通したいのなら、力を示すべきだ。それが出来ないなら、根回しや恫喝等の多数派工作を行う必要がある。

 なにもせずに理想だけ口にしていたら、いつか愛想を尽かされるだけだ。


 そもそも、集団が大きくなれば、攻撃性も強くなる。貨幣をひとつ手にしたら、もう一枚欲しくなるのは当たり前の事だ。忍耐を強いれば内部に不平等と諍いが起こり、外拡を選べば他集団との戦争になる。

 国家を維持する上では、それしかないのだ。そうした度し難い存在が人間なのだ。敵を外に作るか、内に作るか、そだけの話だ。

 それは、俺達にとっては、当たり前の事で――でも、おそらくエレオノーレにとっては、受け入れ難い思想なんだと思う。

 つか、戦いたくないって言われても、じゃあ膨れ上がっていく民をどうやって食わせていくんだ? と、訊かれて、上手く返せない時点でお荷物扱いされるのは仕方ないと思うんだけどな。

 手段を持たないなら、案を出し、実行できる人間に任せればいい。

 そして、その手法に納得できないなら、耳も目も塞いでいれば良いだけだろうに。


 ……まったく、この不器用は。

「こんな風に、なりたかったわけじゃないんだよ」

 微かに、嘆息する。

 おそらく、エレオノーレは、皆に気を使ってこうした弱音を言えなかったんだと思う。その相手に俺を選ぶのは――まあ、昔のコイツを知っているので間違いではないのかもしれないけどな。

 ただ、その分、慰めが降ってくる事を期待されても困るが。


 沈黙の前の言葉の残響や余韻が完全に消え、それでもしばらくの間沈黙を続け――エレオノーレが自分から視線を俺に向けるのを待ってから、俺は口を開いた。

「正義の女神、アストライアーを知っているか?」

 不意に変わった話題に、訝しげな顔をしたエレオノーレは、瞬きを数度してから首を横に振った。

「……まあ、まだそこまでは勉強する時間が無かったか。星の神アストライオスと、暁の女神エーオースの娘で、最後まで人間の可能性を信じて地上に残っていた神様なんだとさ」

 こうして、エレオノーレに講義するのはいつ以来だろう。二人きりなのも含めて、なんだか、随分と懐かしい気がした。

 物覚えの悪いエレオノーレに随分と苛立たされはしたが――。

 無知であるこということを自覚し、学ぼうという姿勢があるのなら……俺が教えるのもやぶさかではない。

 いや、それすら詭弁だな。

 多分、昔のエレオノーレは、こうしたとりとめもない話をしたかったんだと思う。その会話の中で、相互理解を深めたかったんだろうな、と、今の俺には解る。

 話そう、と、せがまれていた頃の俺は、その意味を分かってはいなかった。


 理解し合うための手段が、別だった。

 感情の表し方が、同じではなかった。


 とはいえ、全部今更だけどな……。

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