Spicaー3ー
「創世神話は、昔、話したな」
「う、うん」
覚えているのか怪しい態度のエレオノーレに対して目を細めるが、深くは追求せずに、俺は簡単なおさらいの部分から話し始めた。
「最初の金の種族の時代には、季節は常に温暖で、農耕をしなくても食料に不足しなかった。人は争わず、だから政治も不要で、武器も何も無い、穏やかな時代だった」
こくり、と、エレオノーレが頷く。
「しかし、銀の種族の時代で、世界の主神が変わったことで四季が生じ、夏の暑さや冬の寒さを凌ぐため、農耕や各種の技術が必要になった。が、そこで終わらないのが人間だ」
「戦争?」
「そうだ。様々な技術……文明が生まれたことで、青銅を武器とし、争いを人が覚えた。争いの時代の中、英雄が活躍したが、結局は今の鉄の時代を向かえることとなる」
「…………」
「鉄の時代まで人の正義を信じていたアストライアーも、ついには絶望し、天上へと帰る」
ずい、と、顔を突き出し、エレオノーレが視線を外せないようにする。
エレオノーレは、露骨に動揺した様子で、目だけをきょろきょろさせていたが、最後には俺と視線をぶつけて――。
「私が、アストライアーだって言いたいの?」
ハン、と、軽く鼻で笑う俺。
「自惚れんな。アストライアーは、有翼の美人の女神様だぞ」
「なに、……言ってるのさ」
やや無理して吐き出したような声。
元気は出ていないと思うが、俺がいなくなればまた弱気は飲み込むだろうし、周囲に人が集っていれば、それなりに状況に流されて生活する、と、思う。
分かんねえけど、多分。
「結果はどうあれ、結局はお前が始めたことなんだろ、これは」
エレオノーレは……あまり自発的に行動したって自覚がなかったのか、頷かずに、曖昧な笑みで俺を見返してきた。
ったく。
「確かに! 俺も手は出したが、それは俺の目的と合致する部分においてだけだ。最終的にはお前の意志によって生じたのが、今のこの島の連中だ」
しかしやはりエレオノーレは頷きたくはないらしい。
それで、支配者、もしくは統治者という立場を好きになれないんだと、気付き――。
「……別に、投げ出しても咎めはしない」
責任を持て、逃げるなというつもりだったのに、なぜか結論は思っていたことと違ってしまっていた。『こんな風に、なりたかったわけじゃないんだよ』というエレオノーレの声が、耳に残っている。
エレオノーレは、ひとりで
消去法として、今の周囲をがっちり固めた生活になったんだが……。いや、結局それでも、思い悩んでしまう性質らしい。
治世出来ないなら出来ないで、もっと、こう、楽にしてれば良いと思うんだがな。
そういう点では、アデアの影響のひとつでも受けてもらいたいものだ。今回の遠征、流石にアデアを同席させるわけには行かず、島へと残していくんだし。
エレオノーレは手を強く握り締めているらしく、指が白くなっていた。
「それは――。もう、私が必要ないから?」
俺が行ってきたことと真逆のことを訊ねるエレオノーレに、つい苦笑いが浮かんでしまった。
俺がこの先不要になったとしても、メタセニア王族としてのエレオノーレの利用価値は極めて高い。これから先の人生、誰からも必要とされ、なに不自由ない生活を送ることが出来る。
「必要性の話じゃない。お前にとっての命題は、お前自身で探せ。いつまでも俺に頼るな」
ここに来て、一番最初の二人に戻るが、結局は俺達は別の人間なんだ。
目的地も違うし、手段も違うし、それ以外のなにもかもが違いすぎている。エレオノーレの生き方を、俺は決められはしない。
「ねえ、アーベル。今日を逃したら、もう訊けないと思うから……」
軽く相槌を打つが、エレオノーレの口から出てきたのは必要性に関する相談ではなかった。
「アデア……ちゃんのことが、好きなの?」
いや、まあ、俺も男ではあるし、ある意味では必要性に関する相談なのかもしれないがな。
ただ、エレオノーレの言い草に、どこか真面目な空気が霧散し、つい噴出してしまった。
アデアちゃんなんて呼ばれたら、赤くなって暴れるアデアの姿が目に浮かぶ。我侭で、自由過ぎる性格のアデアだから。
俺は端っから呼び捨てで呼んでいるが、他の
「『ちゃん』って、お前な。確かにあいつはお前より年下だが、家格を考えろ『さん』付けしないと、めんどくさいぞ」
既にエレオノーレはメタセニア王族で、ミュティレアの象徴でもある。それに相応しい品格を身につけてもらわなくては困るのだ。
うん……と、分かっているんだか、聞いていないんだか分からないような生返事を返すエレオノーレ。
答えるまで待つというその姿に、ふう、と、短く溜息を吐く。
「答える義理はない。権力者の結婚とは、当人の意思で決まらない」
「うん……ねえ!」
まだ何か? と、目で訊ねると、震える声で、でも、真っ直ぐに切り込まれた。
「アーベルは、私の事、好き?」
ゾクッと、心臓を冷たい手でつかまれたような、そんな寒気がした。『こんな風に、なりたかったわけじゃないんだよ』というエレオノーレの声が、俺に問いかけている。
果たして、今に満足しているのか? と。
聞こえなかったことには――出来ない、か。
薄く目を閉じ、心の内側に問い掛けてみる。
予期せず伸ばされたこの腕を、機会を、掴んでも良いのかを。
気持ちに関する自覚は、今はある。
ただ、鼓動の高まりに反し、だとしてもこれからどうすれば良いのか、どうしたいのかは、なにも分からなかった。だって、性質が違い過ぎて、とても同じ道なんて歩めやしないんだから。
これまで感じていた違和感は、そういうことなのかもな、と、思う。確かにエレオノーレとそういう話を進めないように、理詰めで周囲を説得していたが、理屈を抜きにしても、目指す場所が同じにはならないことに……本当は最初に分かっていたはずの事に、今更気付いてしまった。
なにも変わらない、変えられないなら、気持ちに、関係に、名前をつける理由は無い。
求め合っているのは、たった一つの感情だけ。
それ以外の全ては、反目している。
それが、俺達二人だ。
心の一端を知れただけで充分だと思う。
想いが通じた所で、お互いの意志は、同じ場所を目指してはいないのだから。
下唇を噛んだのは一瞬で、すぐにいつもの皮肉を顔に貼り付けることが出来た。感情で口を開くわけにはいかない。
そういう立場なのだ、今の俺は。
自分で望んでここまで来た以上、投げ出すわけにはいかない。
「フン。答える必要は無い」
「うん……」
落ち込んではいないんだと思う。曖昧な表情で頬を掻いたエレオノーレは、軽く目を伏せ、それから顔を上げてはっきりと言った。吹っ切れたような顔だった。
「そうだよね。アーベルなら、きっとそう言うって思ってた」
しかし、その表情は長持ちせず、弾ける直前の泡のような危うさのある、今にも崩れそうな笑顔になって、続けた。
「でも――」
エレオノーレには、言葉に詰まると沈黙が長引く悪い癖がある。そして、ここで何を付け加えられても、俺の独断で翻意……というか、返事をするわけにはいかない。
マケドニコーバシオにおける結婚の際の風習を知らなかったし、そもそもがアデアとはまだ婚約であるため、その辺の問題を済ませずに安易なことは言えない。
エレオノーレにそのつもりが無くとも、言質をここで与えるわけにはいかないのだ。
いや、そもそも、未来に対する展望も無いのに、感情だけで返事をすることなんて、してはいけないのかもしれないけどな。
少なくとも、エレオノーレは、想いが通じた後でどうするのか、とか、そういう部分を考えていないと思う。だからこそ、俺が冷静にならなくてはならない。
相変わらず、コイツといると損な役回りばかりだな。
まったく……。
でも、も、なにもない、話は済んだだろ、と、逃げるように背中を向ける俺を、エレオノーレの言葉だけが追いかけてきた。
「どっちの質問にも、答えたのと同じだよ。アーベルは、嫌だったら、嫌だっていつもはっきり言ってたもん。大人しく、言うことなんて聞かないもん」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます