Spicaー4ー

 太陽が中天に近付きつつあった。

 ラケルデモンが駐留しているという、元アテーナイヱ殖民都市のランプサコスはここからは確認出来ないし、艦隊決戦を狙いラケルデモン艦隊の対岸に停泊しているというアテーナイヱ艦隊の野営地もここからははっきりとは確認できない。

 主戦場からは、山ひとつ隔てた尾根が俺達の野営地だった。

 どちらの軍勢も、徒歩でここまで進軍するのは容易ではない。無論、逆も然りで、こちらからどちらかの陣営を攻撃するのも容易ではない。

 まあ、連中との違いは、機動力のある騎兵を多く連れて来ていることで、多少の距離や地形の差は有利に働くんだけどな。


「遠征っつか、ほんとに遠足だな」

 遠征にあたっては、単純に兵士の数を集めれば良いというものではない。むしろ、自軍の経済力や輸送力の方が問題になる。

 そういう意味では、遠足気分なのは悪いことじゃないのかもしれないがな。

 ラケルデモン式の現地での略奪を当てにした遠征ではなく、アカイネメシスの都市からの糧秣の購入や、味方の交易船を使った輸送網が充分に機能している。

 他にも、アカイネメシスとミュティレアの商人の取引のおこぼれ、って言うか、まあ、こちらの身分を察して今のうちに取り入ろうというのか、俺達の野営地まで貢物を持ってくるアカイネメシスの商人もいて、チョウザメの卵なんかの高級品や、東方からの珍味も手に入ったりする。

「ぼやかずに、メシ作れよ。これは、前に島を離れた件の罰なんだからヨ」

 半分以上は独り言のつもりだったんだが、黒のクレイトスが律儀にこちらを振り返って返事してきた。

「いや、別に、料理番が不満ってわけじゃなくてな。つか、クレイトスはさっきからなにしてんだよ」

 連れてきた全兵士の分ではなく、王の友ヘタイロイの食事だけを作る程度なんだし、苦にもならないが、調理中に近くを意味もなくちょろちょろされると気が散るというのが正直な気持ちだった。

 他の王の友ヘタイロイは、アテーナイヱ連合軍の野営地を監視していたり、拠点作りの監督をしていたり、手透きのヤツも寝てたり武具の手入れしたり部下連れて近くの町まで遊びに出てたりするんだから、黒のクレイトスもせめてテーブルの方で大人しくしていれば良いのに。


 ちなみに今日は、石で組んだ竈で、無醗酵の大麦のみっしりとしたパン――ミュティレアでは、大麦を原料にしたものでも、醗酵させているので多少はフワフワした食感だった――を焼き、付け合せに、塩蔵した鰯をベースに、季節の野菜をざく切りにして入れ、酢と香草で味を調えたスープを作っている。

 ああ、いや、一個訂正するなら、料理すること自体は苦にならないんだが、味付けは、若干めんどくさい。

 俺好みの味付けだと、プトレマイオス曰く酸味が足りない、ネアルコス曰く塩気が足りない、王太子曰く全体的に濃い、だそうだ。リュシマコスはなんでも文句を言わずに食うし、黒のクレイトスは気分で好きな味付けが変わり、ラオメドンは相変わらず不要な時には口を開かない。

 まったく、作戦行動中だってのに我侭な連中だ。


「あ? ああ、いや、なんか、ちょっと、こう……暇だったし、食えそうなもんでも探そうかと」

 生返事を返しながら、近くの塩漬けされた鰯の入ってる瓶を覗いたり、血抜きのために近くの木に吊るしている野兎や鳥をつついたり、ハーブの入った袋を除いている黒のクレイトス。

 ここまで全力で暇を主張するってのも珍しいな、と、思う。

 退屈なら、兵士の訓練でもし解けば良いのに。

 ああ、いや、あんまり厳しく鍛えると、根を上げられるので、程々で休ませるのも必要ではあるんだが。

 軽く嘆息し、次にクレイトスが近付いていった木箱の中身を思い出し、中身を取り出される前に俺は釘を刺した。

「干した果物は、充分に配給されてるんだし勝手に盗るなよ? 周囲の野草も必要以上に摘み過ぎるな。アシタバがいくら生命力が強いっつっても、毎日毟られれば枯れるぞ?」

「いや、そういうのじゃなくてな。……ああ、薪からカミキリムシの幼虫出てきたら、炙ってくれ」

 クレイトスは思いの外あっさりと木箱の側を離れ、日当たりの良い場所に積んでおいた薪を手に取り、適当に振り回した。


 ちなみに、生木は燃え難いし、煙でこちらの居場所や大凡の兵数を悟られるので、木を伐採してもすぐには薪には出来ない。なので、初期には薪を買ってそれを運び込んでおいたんだが……そろそろ拠点作りの際に切り倒したのにも手を出し始めても良いかもしれない。

 まだ完全には乾いていないだろうが、風向きや工夫次第では上手く煙を散らせるだろう。


「鳥か魚でも捕りに行けよ」

 落ち着きの無いクレイトスに若干呆れながら、スープの仕上げに掛かる俺。

「お、いいな、近々ナマズ釣りにでも出るか?」

「苦手だ。川に飛び込んで掴みあげようぜ」

「バカか。お前以外に、ンなことやるヤツいねえよ」

 適当にあんまり意味の無い会話をしながら、料理の最後の仕上げに掛かる。

 後は、パンが焼きあがり、スープがひと煮立ちすれば完成だ。が、ここで焦がすわけにもいかないので、火勢を調整しながら、ボーっと火を見つめる。

 バチバチと薪の爆ぜる音がしていた。

「あの、さぁ」

 背後には、まだウロウロしているクレイトスの気配があったので視線は竈に向けたままで俺は呼びかけた。

「ン?」

「別に、もう、そんなに心配してくれなくても大丈夫なんだぞ?」

 言いながら軽く肩越しに振り返れば、クレイトスは間の抜けた顔をした後、目を細め――どこか気まずそうに口も一直線に結んだ。

「気付いてたノか」

 照れ臭がってる、と言うには、若干顔つきが渋いものの、硬そうな短髪を弄っている仕草から、なんとなく照れ臭いんだろうな、とは思う。

 なので、俺もまじまじとクレイトスの顔を覗きこむようなことはせず、すぐに竈に視線を戻して答えた。

「まあ、プトレマイオスもそうだし。皆、過保護すぎる」

 左側をフォローされるのは、気にしてくれているからなんだとは分かるんだが、今となっては動きが制限されるので、少し戦いにくさを感じている。

 そりゃあ、左目を失った直後は、手に取ったはずのコップが取れていなかったり、毛躓いたりと色々あったが、もう視野にも距離感にも慣れ、むしろ以前の両目が見えていた頃の感覚の方を忘れ始めているのに。


 灰になった薪が崩れたので、新しい小枝で竈の中をつついて熱が均等に行き渡るように炎の位置を直す。そのまま、小枝を火の中に投じ――。

 左斜め後ろの死角側から投げられた小石を左手で受け取り、即座に投げ返した。

 多分、クレイトスは受け止めずに首を捻ってかわしたんだと思う。足を動かす音が聞こえず、小石が空を切る風切り音は響いた。

「戦闘中、視覚だけでは追いつかないことも多いだろ? 嗅覚、聴覚、触覚、五感をきちんと使えば、左目程度いくらでも補える」

 振り返らずに大きく仰け反って、上下逆さまになったクレイトスを見上げる。

 小石が俺にぶつかると思っていたのか、それともかわすと確信していたのかは、そのふてぶてしい表情からは判断出来なかった。

「……が」

「が?」

 クレイトスが首を傾げたので、身体ごと向き直って俺は告げた。

「感謝する。ありがとう」

 油断していた、と言うよりは、俺の口からそんな言葉が出てくるのが完全に予想外だったらしく、真顔になったクレイトスは、一呼吸後、どこか慌てた様子で俺に背中を向けてきた。

 黒のクレイトスは、まあ、ふり抜きでもで態度がガサツなところはあるんだが、案外細かい部分まで人を見ている。

 怪我をした俺に対する態度で、それがはっきりと分かった。

 戦闘狂という部分では親近感もあったんだが、こうした細かい気遣いがある事を考えると、やっぱり王の友ヘタイロイとしてきちんと教育されてきた貴族なんだよな、と……今更過ぎることも感じてしまう。

「なんだかんだで、クレイトスも良いヤツなのに、不器用なとこもあるよな」

「うッせ。しめンぞこの野郎」

「怪我してた俺にも組み手で負けてなにを言う」

「あれは、お前、アレだよ。加減してたンだ」

 微妙な沈黙が間に入ってきた。

 あれ? 俺は素直に感謝を伝えたつもりなんだが、なんでこんな空気になってるんだろ? まあ、これ以上クレイトスをからかっても――言ってることは本音なんだが――しょうがないし、ここは乗せられておくとするか。

 パンを焼く竈も、鍋も良い感じに仕上がっている。

 軽く、一勝負遊ぶ程度なら問題ない。

「上等だ」

「どっちが上か分からせてヤる」


 その後――決着がつく前に、アテーナイヱ野営地の監視から戻ったプトレマイオスに二人揃って叱られ、時間も丁度良かったので報告を兼ねた昼食会の流れとなった。

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