Alphekka Meridianaー19ー

 どうやら、戦場は敵の要塞から離れた場所になったようだ。それが意図したものなのか、それともカロロスの思惑なのかは分からなかったが、少なくともヴィオティア軍にとっては不利だなとは感じた。

 根拠地と定めた要塞から離れれば離れるほど、増援の見込みは薄く、退路は長くなる。

 ちなみに、味方の防衛線のひとつである山岳の哨所は山際にあるが、ここは大きさの違うふたつの山が重なったような地形なので、山ひとつ隔てている、とも言える。そう簡単にこちらの防衛部隊も動けないだろうな、と、軽く背後に視線を向けてから眼下の戦場を眺める。

 ちなみに俺は、戦場に近い側の山の頂上からやや下った場所に、パルメニオンと陣取っていた。防衛線の連絡路で哨所に入り、それから山道を下ってきたのだが、カロロスの部隊は、奴隷の軽装歩兵に偵察・先導させながら平地をここまで来たらしい。

 まあ、大軍を動かすにはそれなりの地形でなければならないってことだな。山だとはぐれた兵が遭難する危険もある。

 双方、増援の可能性は低く、今戦場にある兵力で勝負することになりそうだが……。

「ふうん」

 この前の俺自身の兵士の言を疑うつもりはないが、敵は今日こちらが迎撃に動くと知っていたのか、兵数は百どころではなかった。

 いや、確かに先鋒は百なのだが、こちらが陣形を整えている間に周辺の部隊が合流し、中央が突出した楔形に四百程度の兵士が集い――うん? 敵は斜線陣ではないな。百程度の敵の騎兵が、五十ずつに別れて両翼に布陣すると、厚みでも幅でも劣る通常のファランクスが組まれている。

 ……そうか、百の敵部隊は、それぞれが方陣ひとつ分として分散して騒いでいて、こちらが誘き出されれば再集結する意図があったのか。しかも、ヴィオティアの語源は牛の国であり、向こうもそれなりに畜産を行なっている以上、マケドニコーバシオ程ではないにしても騎兵がいるのは分かっていたが、わざわざ山越えさせて持ち込んだそれまでもここで出してくるとは。

 これだけでは、情報漏れがあるのか敵の指揮官が優秀なのかは分からないが、騎兵を含めて五百の兵士に対して、八百の重装歩兵では、言うほどの数の利にはならないだろう。

 むしろ、敵が通常の密集陣を敷いている事で、テレスアリア軍は罠の存在を疑うべきだと思うんだが――。

「愚か、ですな」

 パルメニオンの呟きとも取れるその一言に、無言で頷く。

 騎兵を持たないことは理解しているのか――マケドニコーバシオ式のファランクスの場合、騎兵による高速突撃を意図して、敵のファランクスの防御の厚い左翼に対抗するため右翼を厚くし、ヴィオティアの斜線陣とは逆の形になる――、左翼に厚みをだして敵のファランクスの弱点を打ち破るヴィオティア式の斜線陣を完成させたカロロスは、そのまま全軍に前進を命じた様子だった。

 これにどう対処するのかと敵の動きを注視しているが、足を完全に止めたままで、テレスアリア軍の前進を待ち構える姿勢のようだった。戦場から響くのはテレスアリアの笛の音――ファランクスは、歩調を合わせるために笛の音に合わせて味方と同じように足を運ぶ――ばかりで、その沈黙がいっそう不気味だった。

 いや、騎兵は動いているな。迂回して、テレスアリアの陣の背後で終結し攻撃に出るようだ。

 ここまで予想したわけではなかったが、これはこれで丁度良いな、と、思う。戦場から逃げた兵士を探し、それを確保しようと思っていたんだが、騎兵がこの山の麓に集まり隊列を変えるなら方向転換に際して落伍する兵もいるだろうし、そうした連中は一度目の突撃には参加せず、戦場を迂回し、一撃を与えた騎兵が離脱し再集結した場所に向かうだろう。


「このまま、傍観しているのですか?」

 ちら、と、横目で訪ねてきたパルメニオンの顔色を窺う。

 俺の思い込みじゃなかったら、カロロス達が大敗し、その余勢を駆って攻め込まれた場合に防衛線を持たせる意味でパルメニオンは付いて来たんだと思っていたが「なにか、しようとしているのでは?」と、続けて問い掛けられれば、防衛線よりも俺の目付けを重視しているんだと気付いた。

 まあ、全面衝突の気配が敵側にもなさそうなので、任務の優先順位を変えたのかもしれないが……。

 正直、勝敗はあくまでおまけ程度に考えていた。勝っても負けても、それを利用して軍規の引き締めを図るだけだ。

 ただ、敵の動きを見るに、早まった感は否めない。こうした不意の遭遇戦に騎兵を出してくるってことは、向こうも士気の維持には苦労していて一勝が欲しかったんだろう。

 ここまでは敵の思い通りに動かされた、か。

 ひとつ負けだな、と、素直にそれを受け入れる。が、だからこそ、戦況を引っ掻き回すことに集中しようと思った。ここでカロロスが勝ちそうなら、もう少し欲も出たかもしれないが、この状況なら必要な事だけに集中できそうだ。

「山を降りる。パルメニオン、ひとり、生け捕れるか?」

 口にした時点で余分な装備をこの場に置き、目印をたてて小走りに駆け出す。

「どうするんです?」

 パルメニオンも年齢を感じさせない動きで俺の横に並び、そう訊ねてきた。

「尋問だ。情報は多いに越した事は無いし、俺のやり方だと、捕虜は二人いる。自信がないなら、多少痛めつけてから捕らえてもいいぞ?」

 パルメニオンの表情は、王太子達が防衛線構築の際に情報を得られなかった事から、今回も無駄になると思っているそれだったが、俺は状況が少し違うと思った。

 向こうも膠着した状況で一勝が欲しい。そのために、騎兵まで繰り出している。軍馬は荷駄用とは違い、戦場の騒音に慣らさせ、人に向かって突進させたりと、調教や維持に相当の金が掛かる。

 首尾良く生け捕れればという前提だが、尋問相手は相当に身分が高い可能性がある。マケドニコーバシオでいう所の、大地主の貴族のようなものだろう。通常、身分がある人間は身代金の交渉に使われるので、生け捕った後にわざわざ身代金の金額を下げるような手荒なことはしない。

 前回もそうだとしたら、一貫しない情報の理由も納得できるし、また新たな発見もあるかもしれない。

 しかも、尋問するのはこの俺だしな。

「ご冗談を。貴方こそ、遊びすぎて殺してはいけませんよ。尋問するならね」

 足を速めるとややパルメニオンは遅れ始めたが、声はまだまだ元気そうだったので、下り坂で勢いのつくままに足を運んだ。

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