Alphekka Meridianaー20ー
実戦と訓練は違う。どこでも、誰でも耳にすることだとは思うが、実感するのは中々難しいと思う。訓練では完璧に出来たはずの事でも、思わぬへまをすることがある。特にそれが、複雑な動きであればあるほど失敗の可能性が高まる。
そして、集団から落伍した兵は、思っている以上に脆い。
たった一人で戦える人間は、むしろ、勇気があるのではなく狂気に身を浸せるようなどこかおかしい人間だ。騎馬を育成出来るほど裕福な自由市民がそんな奇人ばかりなら、到底国は成り立たない。
騎兵はその速度に利点があるものの、人程簡単に方向転換できず、小回りがきかない。
それを知らない連中でもないだろうに、テレスアリアのファランクスの後方で再集結するために、円を描くようにして機動したことにより、遠心力で落馬した兵士も、少なからずいた。目の前の平原ではちらほらと山に逃げ込もうとする馬や、それを追う騎兵のどこかのどかな日常が広がっていて苦笑してしまうが、両軍が衝突したのか鬨の声がここまで響き――。
茶色く変色し、乾き始めている夏草に身を隠す。音は戦場の悲鳴に怒号、金属を打ち合う音で消えるので、足運びは大胆でもいい。
軍馬が見当たらないのか、独りでおろおろしていた敵兵の背後をとると、最初の三歩は慎重にしつつも、間合いに入った時点で駆け出し、敵が振り返ると同時に無防備な首に腕を巻きつけ締め落とした。
当身や鞘を払わずに長剣で殴っても良かったんだが、鎧で腹が隠されているので当身の効果は薄いし、頭を殴れば記憶の混乱が生じる場合がある。無傷で確保するには首の血流を押さえるのが一番だ。
目当ての捕虜を肩に担いで再び山へと入り、下生えに身を隠すと、パルメニオンも首尾良く済ませたようで、しばらく遅れたものの、半ば引きずるようにして敵兵士の胸に腕を回してここまで来たが……。
「いやあ、中々、腰にきますな」
なんて言われれば、目を細めるしかなかった。
「言われなくても俺が運ぶっての。ちゃんと落としてるんだろうな?」
パルメニオンに訊ねながらも、自分自身で捕虜の目を開けて気絶なのか気絶したふりをしているのかを確かめるが、一応、完全に落ちてるらしい。改めてパルメニオンに視線を向けると、意外と軽い部分もあるのか、ドヤ顔で見返されてしまい苦笑いが浮かぶ。
敵兵二名をひとりずつ、左右の肩に担ぎながら「寄る年波には勝てんか?」と、からかいを返せば、軽口が再び返ってくる。
「滾るほどの戦場ではありませんからな、自慢の股間もこの通り大人しいもので」
わざわざ正面に回り、鎧から垂れている佩楯を捲り、中に着込んでいる亜麻の一枚布越しに股を見せ付けてくるので、呆れを隠さずに俺は答えた。
「いや、なにを見せつけようとしてんだよ」
「未来の将軍の元でしょう?」
悪びれもせずに言い切ったパルメニオンに、思わず笑ってしまった。
「ははん」
が、しかし、俺が笑った意味を別に捉えたのかパルメニオンはどこか不服そうに鼻息を荒くして「笑われるほど貧弱ではないのですがな。それはもう、三人の息子に二人の娘をつくりながらも、散々に女を――」と、ムキになりだしたので、程々で俺は口を挟んだ。
「俺にその趣味はない。っつか、もしかして、好みの顔のを捜してて遅くなったのか?」
それなら、奴隷としての価値さえなくなるような訊き方をするつもりだったので悪いことをしたかとも思ったが、あっさりとパルメニオンはそれを否定した。
「まさか。どうせ、その二人は絶対に生き延びれないのでしょう?」
「まあ、な」
拷問するところまでは想像しているんだろうが……。まあ、新兵でもないんだし、ラケルデモン式の遣り方を見ても、気分を害することも無いだろ。
「逆に、貴方はよろしいので?」
「うん?」
訊かれた意味が本当に分からなくて首を傾げて見せると、パルメニオンの方も俺の反対側に首を傾げて見せた。
「いや、私が若い頃は、一戦終える度に寝屋でも一戦を」
まあ、さっきからの言動でなんとなくそういうタイプなんだとは察していたし、戦場に出るとそうした性的な欲求を持て余す者がいるとは知っていた。というか、そっちのが圧倒的に多数で、だから戦場に出稼ぎに来る娼婦も多く、今回のように対陣したまま時を浪費している場合は、天幕だけの娼館も活況を呈することになる。
戦場で敵地の女を奴隷とするのも、別に普通のことだしな。
「だから、ちっとはその話題から離れて鎮まってろ」
戦場での高揚のせいか、馴れ馴れしくなったパルメニオンにそう言って突き放すと、俺は戦場から離れる足を速めた。
もともとの性格が出てきたのかどうかは分からなかったが、これまでこうした話題を出してこなかった事から考えるに、パルメニオンとしても俺との距離感を量っていたんだろうな、とは思う。
しかし、急にそういう話題を差し向けられても、戸惑うんだよな。
それに俺の場合、
黙々と足を進めていると、背後から「……ああ、成程、まだ女と寝た事はないのですな」と、どこか納得したような声が聞こえてきて――。敵兵二名を両肩に担いでいるので、肩越しに振り返ることは出来ずに身体ごと振り返る。
パルメニオンは、最初会った時と同じような、穏やかな笑みを浮かべている。
「誰の差し金だ?」
現国王派か、王太子派か。どちらの派閥であったとしても、俺とアデアの関係、もしくは俺とエレオノーレの関係を探る理由はある。
しかし、パルメニオンは俺の冷たい声にも顔色を変えずに――雑談から一変した空気に戸惑いもしないからこそ、余計に怪しいとも受け取れるが――あくまでいつも通りと言った態度で返してきた。
「ただの興味で、男としては普通の話題ですよ。よくクレイトスとは泣かせた女の数を競っているのですが、貴方はそういう面ではアイツに似ていないのですね」
パルメニオンも尋問してやりたいところではあったが、今は確保した兵士から、敵の意図を探るほうが先決だ。
まあ、確かに一度そういうことを経験すれば、酒なんかと一緒で抑えがきかなくなる部分もあるかもしれない。
いや、それ以前の、ラケルデモンの少年隊での略奪の際に、女も奪って犯すヤツは居たし、性分による所も大きいのか?
俺の場合は、戦場でも殺すことの方が楽しくて、刃で人を斬る手応えにゾクゾクするんだが――どっちがまともなのか。いや、どっちもまともじゃない心理かも知れないけどな。つか、そもそも――、戦場で俺が女に手をつけたなんて聞いて、あのアデアが大人しくしているとはとても思えなかった。
まあ、皮肉混じりではあるが、そういう意味でも似合ってはいるのかもしれんな、と、自分で考えておいて自分で嘆息してしまう。
不思議そうに俺を見つめてきたパルメニオンに、俺は口の端に苦笑いを浮べて嘯いた。
「ラケルデモンは一夫一婦の国でな。俺は意外と妻を大事にする方なんだ。じゃなきゃ、あのアデアの夫は務まらん」
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