Vindemiatrixー7ー

 夕食が済んだ後、部屋で大人しく……というか、今日も今日とて、アデアの話を聞くともなく聞いていたんだが、廊下を行き来する人の足音が急に慌しくなった。

 酒宴、来客、その他事前の情報から考えて、不自然な動きだ。

「どうしたのだ?」

 アデアは……確かに鍛えてはいるんだが、まだそうした危険に対する感覚は鋭くないのか、キョトンとした顔で俺を見詰めてきた。続く台詞を手で制すると、アデアもなにか異常があったのだと察し、俺の後に続こうとしたので、その突き出された額を押して寝台の上に転がす。

 不満そうな顔に、軽く笑いかけてから、俺は寝巻きの上に前に貰った紅緋のクラミュスを羽織り、廊下へと出た。


 夜の寒気が、脛や足元を流れていく。

 兵士の動きは……大きくはないが慌しい。警戒している様子はないので、賊の侵入というわけではなさそうだが、就寝の邪魔になるので消しているはずのオイルランプや松明にも火が点っている。

 ただ、警備兵に訊いてもかえって情報が錯綜しそうだし……。

「また、なんかあったのか?」

 と、声を掛ける相手を探していたその時に、プトレマイオスが少し先の廊下を通り抜ける姿を見かけたので、追いかけて横に並びながら訊ねてみた。

 プトレマイオスの服装は、寝巻きではないが、外交用の丈の長い正装でもない。普段のヘタイロイの戦士としての、動きやすく、かつ、丈夫な生地の服を身に纏っている。

 服装から推察するに、どっかの使者が来たとかの対外的な仕事じゃない。内政面の問題なら、俺にも声を掛けて欲しかった。

 そんな気持ちが若干声に出てしまったのか、プトレマイオスは横目で俺をチラッと見た後、唇を軽く噛んだ。

 その仕草から、なんの問題なのかを察してしまったが、ここまでになってしまった以上、はっきりと聞いておきたいという気持ちがある。

「……ああ、まあ、アンティゴノスや事務方の王の友ヘタイロイで、上手くあの少年と老将、そしてお前を使ってなんとか本国から出ている王太子への追放令に対抗しようとしているが」

 レオと異母弟の件に関しては、俺はエペイロスの指導部と他の王の友ヘタイロイに任せっきりで、一切口を挟んでいない。し、関わろうともしていない。王太子やプトレマイオスは複雑な俺の気持ちを察してくれているようで、他の者に一任して欲しいという願いを聞き届けてくれている。

 だがしかし、外交交渉を受け持っている王の友ヘタイロイとしては、ラケルデモンの文化に精通している上に、マケドニコーバシオに関しても熟知している俺に上手く間に入って欲しい、ということだ。

 関係者間での微妙な綱引きは、未だに続いている。

 そして、レオと異母弟の存在からか、ラケルデモン人の戦争奴隷や脱走兵、それ以前から存在していた亡命者がここに集い始め、ある種独特の……他国とはまた違った文化を持つ集団が構成されつつあった。まだ数は多くないし、こちらの管理下にあるが、上手く取り込めなければ、厄介な問題にもなりかねない。

「任せるよ。……確かに難しい部分はあると思う、が、王の友ヘタイロイの皆を信用している」

 ラケルデモン人が横暴に振舞うのなら、その時は俺がラケルデモン式のやり方で決着をつける。

 でも、その最後の判断を下す必要がないのなら、俺は過剰な抑止力だ。

「うん?」

 プトレマイオスが、俺の言っていることを上手く解釈できなかったのか――まあ、確かに俺も曖昧な言い方だったが――、僅かに首を傾げたので、もう少しだけ俺は捕捉した。

「脅して扱うのは、反動が怖いだろ? 仲間なら、ラケルデモン勢力を上手く紐付けしつつ、マケドニコーバシオ本国……現国王派とも交渉出来るはずだ。つか、俺が下手に絡むと、恫喝になりかねない」

「まあな」

 プトレマイオスは今度こそきちんと理解した様子だったが、返す返事にどこか含みがある。

 まだなにか話がある、のか?

「うん? なにか言い難いことか?」

「……あの老将のことだがな」

「ああ、レオがどうした?」

 訊ねると意外とあっさりと話し始めたプトレマイオスだったが、核心に迫る前に口を閉ざしてしまった。

 っていうか、レオの事だと教えた上で、内容を秘されると余計に気になってしまうんだが。

 足を緩めたプトレマイオスに合わせ、俺も歩く速度を落とす。

 暫く、ん~、とか、視線を俺に向けずに唸っていたプトレマイオスだったが、会議を行う広場が見えてきた所で完全に足を止めた。

 が、その場所が悪く、王の友ヘタイロイの中でも美男で有名なプトレマイオスと少しでも喋りたいのか、何人かの王の友ヘタイロイや見習いが周囲に集ってしまい、余計話し難くなった所で――「はっはっはぁ、余り遅れるなよ」不意に王太子が現れ、俺とプトレマイオスを取り巻いていた連中を全員引き連れて、広場へと入っていった。

 皆の背中を見送って、軽く嘆息する俺。

 プトレマイオスも同じ気持ちなのか、苦笑いを浮べていたが、嘆息することまではせず、充分に人が離れたのを見計らってから話し始めた。

「王太子と話していた際に『アーベル様は、とても似ていらした。幼少期の姿は、ワシの親友でもあった彼の祖父と完全に重なり――全て分かってくれていると思ってしまった。ワシが、勝手に、そう思っていた。その思い込みで……言葉にしなければならなかったことをなにも伝えられなかった。それは、ワシの怠慢だ』」

 ……上手く、言葉になるような気持ち、ではなかった。なんとなく寂しいような、それでいて悲しくはない。

 あのレオでも、そんなことを思うんだなって。

 そして、レオに対して俺自身も、なんで出来る完成されたラケルデモンの男みたいな思い込みがあった。

 お互いに、変な行き違いがあったんだな。

 ……いや、人間関係なんて、そんなのばっかりか。

「それから――、私に対しても、感謝を伝えてきたよ。マケドニコーバシオでの日々が、あの方に笑顔を取り戻させた、とな」

 プトレマイオスの今度の台詞は、なんか、どこか気恥ずかしくて照れ臭かったので「戦場でも、俺はよく笑ってるぞ」と、おどけてしまった。

「意味合いが違う!」

「わかってるよ」

 冗談と察せなかったのか、プトレマイオスに存外真面目な顔で怒られてしまい、今度こそ俺は……いや、プトレマイオスと二人で笑いあった。


 でも――。

「いずれにしても……決意は変わらない」

 なんとなく、プトレマイオスがこの話をした理由も察せてしまい、俺は最後にそう付け加えた。

 少し前に、王太子とそれに主だった王の友ヘタイロイに対して、ある試算と計画を提案していた。内乱になった場合のマケドニコーバシオ内での経済的損失の試算と、現国王の暗殺計画だ。

 無論、暗殺による国内の動揺もあるし、それを狙う他国もあるはずだ。だが、国内の都市をマケドニコーバシオ軍同士で奪い合うことと比べれば、他国の旧式の軍隊との戦争など、兵士の犠牲も戦費も微々たるものだった。

 マケドニコーバシオの新式のファランクス、重装騎兵による新しい時代の戦術同士が潰し合うことは避けなければならない。その内乱によって、新しい技術が他国へと流出すれば、マケドニコーバシオの優位性そのものが揺らいでしまう。

「誰かがやらなければならないことがあって、それが、日の当たらない世界での出来事なら、それを成すのに最も適した人間は、俺しかいない」

 プトレマイオスは、形の良い眉毛を歪めて暗い顔をしていた。

 だから俺は、ふ、と、軽く笑って、プトレマイオスの胸を叩いた。

「仲間だろ?」

「ああ」

 即座に同意したプトレマイオス。

「信用しようぜ、俺の事をもう少し」

 そう、俺と皆は仲間だ。

 だが……、レオと異母弟は違う。扱いやすい駒を持ち帰った以上、あっさりと俺が捨てられる。そういう筋書きを予想していたが、現実はそうはなっていなかった。

 俺が、マケドニコーバシオを、皆の事を大切だと思うのと同じぐらい、皆もそう感じてくれていた。

 それが、少し嬉しくて、少し切なくなる。

 異母弟は、エペイロスの一部の高官を除いて、ラケルデモンの王太子とは呼称されていない。まして王の友ヘタイロイに至っては、さっきプトレマイオスが言ったように『少年』の呼び名で統一されてしまっている。

 アイツには、現状、未来の可能性しかないってのにな。


 自分自身の中でも、はっきりと決着のついた感情じゃない。

 でも、異母弟には、俺と同じようにはなって欲しくないんだよな。なら、既に戻れない場所にいる俺が、異母弟を日の当たる場所に押し上げて……。

「仲間だからだよ」

「ん?」

 顔を上げたプトレマイオスが真っ直ぐに俺を見ていて――。

「一緒に進むんだ。覇道をな」

 さっきの俺を真似するように、俺の胸を叩き、会議の場へと向かっていった。



「ッチ……困ったなぁ」

 誰もいなくなった廊下で、そう呟いてみる。

 複雑な気持ちが、胸の中にあった。

 自分自身とは何か。自分自身の居場所はどこか。

 分かったようで、分からなくなることばっかりだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る