Kornephorosー6ー
到着したアテーナイヱ最北端の領土である外港都市ダトゥでは、既に戦端が開かれていた。
と、言っても、攻城戦じゃない。外港都市ダトゥの民会は、篭城ではなく一戦を選んだようで、平野部での決戦が、今まさに始まろうとしていた。
アテーナイヱの精鋭や主力が南方の対ラケルデモン戦に出ているというのに、中々血気盛んな連中だ。
海岸線を北東に進み、有利な高台に野営地を求めた
偵察もなにもあったもんじゃない。
現国王からの作戦概要では、ここは共同で落とすはずだったんだがな。ったく。
一見すると兵力の差はほとんど無いように見える。だからこそ外港都市ダトゥの指導部も、援軍の当ての無い篭城ではなく、一戦を決断したんだと思う。
仮に敗北しても、海軍を動員していない――海運で儲けているなら、その情報を得るのは比較的簡単なはずだ。軍船の少ないマケドニコーバシオは、民間船も戦時徴発しなければ、満足に海軍を組織できないのだから――今回の北伐なら、海上輸送網を駆使して兵隊も物資も補給できるので、一戦して数を減らしておきさえすれば凌ぎきれると判断したんだろう。
ただ……。
現国王の側は、本気じゃないな。
今回動員された軍団規模は、現国王が五千、王太子率いる別働隊が二千だ。しかし、この戦場に差し向けられた現国王軍は、ファランクスの方陣を数えるに、七百~八百人程度と言ったところだった。野営地に残しているであろう補助兵を加えても、千には届かないだろう。
リュシマコスから聞いている話では、現国王の居る本陣はまだかなり西方の湖畔――水源地付近に本陣を布いているはずだったんだがな。なんでこんなことになってんだ?
視線を巡らせてみても、戦場の周囲にマケドニコーバシオ正規軍を示す太陽を意匠した旗印は確認できない。ここは重要な攻略目標とされているはずだが、この程度の相手に全力を出す必要は無いとでも判断しているんだろうか。
「予想以上の進撃速度だな」
王太子が――戦闘に備えてか、他の馬よりも一回り大きい愛馬のブケパロスに乗って、どこかのんびりとした調子で呟いた。
急いだわけではないが、故意に進軍を遅らせたつもりは無い。しかも、移動した距離を考えれば、北上後に直角に曲がる形で進軍している現国王軍の方が、ここまでの距離は長くなるはずなんだが……。
いや、……そうか、多方面で同時に作戦を進めているのかもしれない。
だとしたら、この戦場に差し向けた兵が少ないのも頷ける。
糧秣を現地調達させるための分散なのか、戦争期間の短縮による経費削減を狙ったのか。ともかくも、今は、目の前にある現実だけが全てだ。
協調するはずの現国王軍の抜け駆けという現状が、な。
「クレイトスだ。あのバカ! 目先の功名にばかり踊らされおって!」
プトレマイオスが我慢し切れなかったという様子で怒鳴り声を上げた。
まあ、確かに軍旗を見れば見慣れた旗印が、嫌味なぐらい凛と真っ直ぐに立っているのが目に付く。
しかし、こちらから派遣しているヘタイロイは他にもいるはずだ。その最たる――。……どうもアンティゴノスとは別行動をとっているらしいな。黒のクレイトスの騎兵部隊と連携しているのは、あくまでも通常の徴募の重装歩兵らしく、既製品の槍を装備したあまり見ない旗印の部隊だった。戦功のある連中じゃない。
まあ、だからこその暴走なのかもしれないが……。
ただ、目の前に敵がいて、向こうがヤる気だった場合、作戦がどうのとは言ってられないのも理解出来る。
敵は、殺す。でなければ、殺される。どこの戦場でも、いつの戦争でもそれは変わらない。
それに、こちらの都合を敵が配慮してくれるわけないんだしな。
相手の嫌がることをする。これも、戦争の基本だ。
始まっちまったら、殺すか殺されるか、それしか終わらせる手段は無い。
激昂しているプトレマイオスを尻目に、軽く嘆息すると――、どうだ? と、王太子に視線で訊ねられ……改めて戦場へと視線を向ける。
単純な兵数は互角とはいえ、重装歩兵がぶつかっている隙に黒のクレイトスが騎兵を率いて側面か背後を崩すだろうし、歩兵の技量に不安はあるものの勝敗に関しては心配していない。槍の長さと陣形も考慮すれば、重装歩兵の損耗も、ごく軽微に収まるだろう。隊列に折れや隙間さえ出来れば、一方的な虐殺に切り替わる。防御に優れるが機動力の低いファランクス同士の決戦とは、そういうものだ。
そう、騎兵戦力はこちらだけが持っている以上、勝敗に不安は無い。
だからこそ、ただ見てるだけというのは拙いんだが。
現国王の軍の陣容を見るに、黒のクレイトスに指揮権はあるようだが、督戦の指揮官は貴族か中央のそれなりの将軍が派遣されているだろうし、戦闘後、貴重品の軍船をこちらに譲ることになったら、かなり揉めるだろう。
賄賂による懐柔か、武威による恫喝が必要だ。
ただ、今からの参戦は逆効果だとすぐに判断した。
優勢か劣勢かという問題ではなく、事前の協議もなしに参戦すれば、お互いの進路を妨害してしまう場合もあるし、同士討ちの危険性もある。特に、現国王の軍の錬度が解らないので、ファランクス同士が接触している今、割って入るのは危険だ。側面や後方を狙っても、黒のクレイトスの騎兵部隊と接触したり、敵陣を突破した現国王軍に、そのままこちらまで攻撃される危険もある。
ただ、戦場を無視して都市に突入するなら、決戦を行っている部隊を納得させられるだけの口実が要る。狡賢く勝利を盗んだ、と、陰口を叩かれないためにも。
城壁は、それほど高くない。俺の背丈の倍程度だ。踏み台か縄梯子で事足りる。城壁の兵の動きから察するに、丘に陣取ったこちらにまだ気付いていないのか、警戒は戦場のある西門に集中している。
っと、黒のクレイトスの騎兵が敵の左翼を迂回する動きを見てか、守備兵の動きが慌しくなったな。
他は……家や神殿にこもっているのか、都市内部の動きはつかめないな。高所を押さえているとはいえ、少なくない範囲が城壁で視界を遮られている。
結局というか、最終的には港に目を向けるしかないわけで……。ただ、まあ、口実とするにはあまりにも直接的過ぎるので、出来れば避けておきたかったとは思うものの、これ以上貴重な時間を浪費するわけには行かない。
「プトレマイオス」
「あ、ああ、どうした?」
俺の呼びかけに答えた声は、やや動揺していた。
プトレマイオスは普段は落ち着いているものの、一度怒るとそれが尾を引く悪い癖がある。少年従者の一件では、嫌と言うほど思い知らされた。
今回は、黒のクレイトスの行動に憤っているので、俺にまで怒鳴り声で返さないようにとしているのは分かるが……。声の調子があからさまに不自然になるぐらいなら、別に荒っぽく返してくれても構わないんだがな。
っと、日頃の仕返しもといお礼も兼ねて、からかいたい気持ちが無きにしも非ずだったが、今はそれを横に置き、指先を――。
「港を見てくれ」
――これから頂く予定の船が係留されている桟橋へと向ける。
劣勢を察した、というにはまだ早い。多分、臆病な金持ちが、まだ大丈夫と高を括って逃げずにいたところを攻められ、吠え立てられた狐のように巣穴から飛び出してきただけだ。
俺の指し示す先には、馬車も人力も総動員して、荷を積み込んでいる四~五十名ほどの集団がいる。
「ああ、それがどうした?」
逃げようとする連中を確認したものの、どこか俺を訝しむような視線を返してきたプトレマイオス。
そう、本来なら、放っておいても問題ない連中だ。
一隻二隻船が減っても、港には十を越す大型の三段櫂船に、輸送用のガレー、艀まで含めれば五十前後の船が係留されている。
それに――。
船で旅をしていたから分かるが、艤装や出港準備とはそんな短時間に出来るものではない。航路を決め、必要な日数を産出し、乗船者の数から必要な食料や日用品の量を割り出し、日程の倍量程度は物資を積み……と、やることは極めて多く、通常なら三~四日掛かるものなのだ。
とるものもとりあえず船を出したとして――そもそも、船を出せる前提条件として、漕ぎ手を充分に乗せないと始まらない話でもあるが――、無謀な航海の果てにあるのは、漂流の末のみじめな死だけ。
多少逃がしたところで、どうということはない。
ただ、今この瞬間においては、攻める口実としては、逃走を計っているという事実のみが全てだった。こちらを待たずに、現国王軍が勝手に戦闘を開始しているのと同じだ。
海軍を動員していない今回の北伐では、海上に逃れた敵は討てない。
我々は、位置的にそれを気づく事が出来、かつ、それを防ぐ手段も所有していた。だから行った。非難されるいわれは無い。持ち逃げされるはずの物資を押さえ、明日敵になる人間を減らし、決戦中の現国王軍の補給を第一に考えた。
話の筋としては、そんなところか。
「敵の撤退を防ぐのは正当な理由だ。敗残兵でも集まれば戦争は長引く。それに、都市を奪っても、略奪するものがなにもありませんでした、では誰も納得しないだろうからな」
トラキア人相手の戦いでは、大した戦利品は無い。こちらも、ここに来るまでの戦闘で身に染みてそれを理解している。外港都市ダトゥの攻略は、参戦した兵士へのご褒美も兼ねいる。
意味は分かっているんだろうが、やはりプトレマイオスはあまり良い顔をしなかった。こうしたインチキな口実を納得し切れてはいないんだろう。必要なことだと理解しつつも。
なので、俺はプトレマイオスの返事を待たずに続けた。
「負傷者の収容・手当てのためにも、都市は落としておいた方が良い」
ああ、と、少しはましな声で返事をしたプトレマイオスだったが、どこかまだ気乗りのしない様子で呟いた。
「城攻めか……」
まあ、その気持ちは分からないでもない。
大規模な都市は、通常であれば数ヶ月掛けてじっくりと落とすのが基本だ。ミエザの学園でも、そう教えている。戦力が拮抗していた場合、勢い任せに攻めても、高さの利と城壁の利のある防衛側が勝利するからだ。
今回のように主力同士が決戦した場合、相手の余力次第だが、開城交渉となる。戦後を鑑みてあっさりと門を開ける場合もあるし、最後まで抵抗され、結局は都市を攻囲し全てを破壊し尽くす場合もある。
雰囲気的に、今回は前者だと思うが、だとしたら尚更問題だった。レスボス島を落とした後、マケドニコーバシオに居留されることになるこのアテーナイヱ人は、問題になる。出来るだけ、キルクスを始めとした亡命アテーナイヱ人と接触しないように、不自由な形で――そう、全て奴隷として新都ペラで使い捨ててくれるとか、そういう対処が必要だ。
「力攻めは、今が好機だ。見ろよ。黒のクレイトスの騎兵に対抗しようというのか、遊撃隊が城門を出た。おそらく、城壁の守備兵の本隊だ。居残りは、臨時に掻き集めた数合わせだ。俺の軍だけで事足りる」
なんでもないことのように――実際、確認出来る守備兵の兵力も、城壁の強度も然程の障害とは認識していない――俺は言った。
「バカな。お前の部隊は、輜重隊を含めても三百程度なんだぞ?」
「だからこそだ。馬は城壁を上れないだろ? 騎兵を歩兵に編入する意味があるか? ……それに、大軍では命令伝達がどうしても遅くなる。全方位から攻めるなら別だが、城門を開けるだけなら、それで充分だ」
プトレマイオスは、納得したというよりは、言っても無駄、そして、他に手段が無いとも分かっているような顔で押し黙った。
「俺の部隊が城壁に取り付いたら、速歩で丘を降りてくれ。開門と同時に襲歩で突入、港湾施設と市街地を分断し、アゴラを押さえればこちらの勝ちだ」
反対意見は? と、王太子に視線を向ける。俺からやや遅れて、プトレマイオスも王太子へと顔を向けた。
「粗が無い訳ではないが、今は時間を最優先する。存分に戦え」
俺達はあくまで将軍で、決定権は王太子にある。その一言が全てだった。命令は下った。後は実行するだけ。
「アーベル」
兵を呼び、集結させ、すぐさま前線へと出ようとした俺をプトレマイオスが呼び止めた。
肩越しに振り返ると、歯に物の挟まったような、すっきりしない顔をしていたが、時間が無い状況だとも分かっているようで、最終的には――。
「油断するなよ」
――と、おそらく本来言おうとした言葉じゃなかったであろう台詞を渡された。
「分かってる」
右手を挙げて応え、俺は真っ直ぐに丘を下った。
戦場では、黒のクレイトスの騎兵が、援軍で出てきた軽装歩兵の遊撃対を蹴散らしたところだった。もう、猶予は無い。
兵の完全な集結と陣形展開を待たず、俺は手元の兵約百二十で即座に作戦を開始した。
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