Kornephorosー5ー
夜間警備の
密談には……まあ、悪くない時間だった。
もっとも、俺と王太子の話し合いならば、人に見られても表の作戦の微調整作業だと勝手に思っていてくれるだろうが、な。
とはいえ――。
何度見返そうが、綻びを探そうが、現状、結論を変える必要は無さそうだった。
現国王軍の位置、マケドニコーバシオ内部の敵味方の動向、各国の勢力図。表面上、こちらへの味方を謳っている都市や貴族。その実、現国王側からの事業への便宜や資金の流れを確認出来る敵、もしくは、現国王と王太子の双方から金品を求める強欲な連中。
能力や性格から総合的に判断し、懐柔するのか排除を狙うのかは、既に選別してある。排除の手段も……。
「マケドニコーバシオは、当面の間、アンティゴノスに任せるのか?」
秋、そして北へと向かっているので、夜気は冷え込む。俺は、そこで一度言葉を区切って、ミントの葉を湯で煮出した香湯を一口飲んだ。
湯の熱の後に、軽い清涼感が口に残った。
ミントは、本来は二日酔い用の薬でもあるんだが、どこにでも生えるため、調達が容易なので、広く湯で煮出して飲まれている。今回の北伐では季節が終わりかけではあったが、滅ぼした村でよく乾燥したミントが手に入っていたので、薬用だけではなく、嗜好品として兵士全員に配給していた。
王太子は、暖をとるにもワインの方が好みなのか、革袋から直に一口飲んで答えてきた。
「いや……、変に残留派でまとまられると、その後が厄介だ。代表者は決めない。年長者なので発言権が高まるのは容認する。だが、言質や権限を与えなければ、クレイトスなんかの若くて功を狙う連中が程好く反目してくれるだろう。しかし……」
「……プトレマイオスか?」
俺も最大の懸念がそこだったので、直截的に訊ねてみると、王太子はらしくない重い溜息を吐いた。
「……ああ。アイツは、マケドニコーバシオに残っていて貰いたかったんだがな」
王太子とプトレマイオスは、幼い頃からの親友らしい。ミエザの学園が作られた際にも、王太子と一緒にペラから移っていると言う話だ。
信頼しているんだろうな、とは思う。
まあ、かく言う俺も、プトレマイオスが実直な男だと思っている。
ただ、なんというか、……良いヤツなんだが、良いヤツ過ぎるんだよな。
そこから察するに、現国王に宗旨替えを迫られ、反発して追放者のリストに名前を載せられた可能性が高い。んで、アイツは性格上、宗旨替えを迫られていたとしても、それをこちらには報告してこないだろうしな。裏切りの誘いなんて断って当然であり、当たり前の事をしただけと思っていそうだ。
まあ、そういう話があったかなかったかさえも推測の域を出ないがな。
……プトレマイオスも分かっていない人間じゃないんだが、白か黒かを選ぶ際に、勝つために一時的に黒を選ぶことはしない男だ。
今回、レスボス島の統治において、もっとも重視されるべきは、王太子派の連中を食わせていけるだけの金を、どんな事をしてでも工面する事だった。
「国内に残っていれば、復権の際に正当性を宣伝させやすいし、現国王による、こちらへの切り崩し工作にもある程度睨みを利かせられる。だが……」
言いかけて止めた俺の言葉を継いで、王太子が続けた。
「今回の攻略戦では、邪魔になるかも知れんな。アイツの部隊は過剰戦力だ。それに、ただ勝てばいいってだけの話でもない。戦後処理において、元の島民はおろか、商業都市シヴィアズィピポリィの連中にも実権を持たせるつもりは己には無い」
そうだろう? と、訊ねられ、俺ははっきりと頷いて見せた。
「あの頃の俺は、あの連中の性質を無視して、自分にとっての理想の形に当てはめようとして間違った。誰も彼もが、自分と同じようになれると思っていたんだ。……能力を正確に評価し、適宜利用する。それだけさ」
アイツ等に自治権は過ぎた玩具だ。むしろ、支配されていてこそ活きる連中だと今は認識している。形だけの民会さえ開いてやれば、あとはどうとでも出来る。本質的に、なにがあっても自分で決するという覚悟の無い連中なんだ。権力は欲しても、責任は背負いたくない。奴等の民主制への執着なんて、その程度だ。俺達とは違う。
「…………」
王太子は、しばしなにか考えるような目で俺を見ていたが――。
「エレオノーレ殿についても、そう、割り切れるか?」
まあ、いずれ訊かれる問題だろうな、とは思っていた。
今回の作戦において、レスボス島を占拠するのがマケドニコーバシオであってはいけない。名目上は。
政策上、親マケドニコーバシオ的な統治であっても、アテーナイヱを完全に離脱せず、日和見の島としておくには、俺や王太子、そのほかのヘタイロイでもダメだ。キルクスやドクシアディスは、凡庸な上に、人選としても無難過ぎて支持が集まらない。
祭り上げられるのは、ひとりきりだった。
良い具合に、救済者としての名声のある女。
王太子は、俺を慮ってか、口にしなかったので、表の計画を詰める上で、俺がその名前を上げた。
一呼吸の間を空けてから、俺ははっきりと告げた。
「利用することは、守ることと矛盾しない」
それが、今の偽らざる本心だった。エレオノーレをどうこうしたいってわけじゃない。もう。……多分。
ただ、アイツを現状の立場のままで放置した場合、周囲に集った民衆が暴走する。人を起用する能力、政策決定能力、その他全ての能力がアイツには欠けているからだ。その上、私心無くそれを補う人間は、アイツの周囲にはいない。おそらく、俺を除いて。
未だに、俺にとってあの女とはなにか、という疑問に対する答えは出ていない。
周囲が勝手に誤解しているような、好きとか嫌いとか、そういう一色で染め上げられるような感情ではないのだ、お互いに。
ただ、一度離れ、そして、再び近くに来られたことで分かったことがひとつある。
アイツが隣にいると、少し……苛々する。
いや、悪い意味だけじゃないから、苛々と表現するのは語弊があるかもしれないが、それでも、もどかしいっつーか、憎たらしいけど目が離せないっつーか……。側に居ればそれで良い、という気持ちと、目の届かないほど遠くに遠ざけたい気持ちが、同じだけ存在している。
近くに居ないことを不安に思っても、会えば会えたで、話をしている内に、なんか腹立たしくなる。
なぜそうなるのかを自問したけれど、答えは出ない。だから――。
「俺は、アイツが不幸にさえならなければそれで良い。それだけだ」
それ以外……いや、それ以上の事は出来ないし、する気にもならない。
まあ、だから余計に腹が立つ部分もあるんだがな。
ふふん、と、どこか訳知り顔で笑った王太子だったが、それ以上つっこんでくることはせずに、あっさりと話題を変えてきた。
「で? 交渉ではなく、陰謀で使う方の物は?」
テーブルの上に、腰につけている道具入れの中から、革袋をひとつ取り出して乗せた。
「これが、キルクスに無理を言って極秘裏に調達させた……毒薬だ」
自分達に使われるとでも思ったのか、キルクスは最初は随分と抵抗していたが、はっきり言ってそんな手間を掛けてまで自由商業都市の連中を処理することは無い。不要になったら捨てるだけ。ヤるにしたって、斬り殺す程度で充分で、わざわざ高価な毒薬を使うのは勿体無い。
そのことをはっきりと言ってやれば、今度は誰に使うのかと邪推を始めた……ので、安くない取り引きになったがな。
「戦争中とはいえ、新都ペラには、まだ充分な数の兵隊がいるはずだ。いざ作戦を開始する段になっても、不用意なことはするなよ」
「無論だ、その後が面倒になるしな。この薬は気を狂わせるだけだ」
とはいえ、そもそもが毒なのだから、盛る量が多過ぎれば殺してしまうことになる。
王制時代のアテーナイヱで使われ、そして、おそらく現在も政争においては使われ続けている毒薬だ。
その効果は、高熱と幻覚によって、飲んだ人間の精神を害する。
処刑などでよく使われているドクニンジンと違い、症状からだけでは毒を使われたという確証が得られないという部分も、良く考えられている。流石、長く使われている毒薬といったところか。
まあ、その原料が麦角菌汚染された麦ってのは、皮肉とも出来過ぎとも感じたけどな。
「が、まだ試してはいない。投薬量を把握するため、まずは適当な捕虜に使ってみる予定だ」
机の上に乗せられた握り拳ほどの小さな――しかし、厚手の革で作られた独特の丸みのある皮袋を、しげしげと王太子は見詰めている。
「意外と少ないな」
「いや、それでも二~三十人分だそうだ。計画には充分過ぎる。効果を発揮させるには、一滴か二滴って所だろう。殺さずに気を狂わすための適量は……、そうだな、三~四人実験すれば、感じはつかめるはずだ」
ふん、と、鼻を鳴らし満足そうに王太子が呟いた。
「頼もしいな」
まあ、実情を言えば、農業国であるラケルデモンでは、土地を汚染させてしまうため、学んではいても実際に伝染病であったり毒を実践で使用した経験は少ないんだがな。
ただ、攻城戦における力攻め――城壁の突破は困難だし、損害も大きくなってしまうため、籠城している敵に対抗する手段として、座学ではみっちりと仕込まれている。
プトレマイオスの授業なんかから判断するに、この国の下手な医者よりは上手く毒を扱えるだろう。
表の計画が順調そのものであるように、裏の計画も順調に推移している。
道具は揃った。
懸念も、恐れも無い。
俺ならば、上手くやれる。
俺にしか遂行できない任務を。
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