Kornephorosー4ー
「しかし、折角の戦争なのに、こうも手応えが無く、書類仕事ばかりだと身体が鈍るな」
先行している前衛隊を指揮したいところではあるが……。
あくまで主力は現国王率いる正規軍であるので、こちらの進軍経路には目立った敵拠点は無いんだよな。
まあ、だからこそ部隊を広く分散し、警戒線を形成させ、伏兵に注意しつつ、主力は極力王太子の周囲を離れずにいるんだが……。
おそらく、騎兵と随伴歩兵の視点の違いが、上手く機能している。開けた場所では騎兵の速度と視点の高さから先制攻撃を行い――。山間部の悪路や隘路に関しては、俺の軽装歩兵の身軽さで敵の奇襲を返り討ちにしている。
つまるところ、俺やプトレマイオス、王太子のいる本隊の通過まで敵が隠れ通せていない。
……それに、今はまだ俺が目立つわけにはいかなかった。
珍しいラケルデモン人がミエザの学園に居るという噂は、新都ペラの方にも伝わっているらしいが、特に今回の王太子への処遇においても、俺に関して言及された文章はひとつも確認されていない。
裏の作戦――二人だけの陰謀のためには、戦闘でヤり過ぎる俺の性分は問題となる。
もっとも、俺は、適度に人を斬らないと苛々してしまうので、敵の村を滅ぼす際には指揮を取りつつ、二度と俺達に牙を向かないように充分な恐怖も与えてはいるが。連れて来ている連中にしてみれば、いつもの延長程度の認識らしいので、然程は口上に上がっていない、はずだ。
「気は抜くなよ。トラキア人を北へと追い落とすための、網なんだからな」
と、皮肉のつもりなのか、どこか気を抜いた声で言ったプトレマイオス。
新都ペラを北上した現国王軍は、トラキア人との国境付近で直角に曲がり、東に向かって進軍している。一方、俺達は、ミエザの学園から一度テッサロニケーの海岸線まで出て、弧を描く形で北東に進んでいる。
南へ逃げれば、俺達に殺られる、西へ逃げても東から進軍する現国王軍に追い立てられる。唯一、北への逃げ道だけが残されているのだ。冬へと向かうこの季節に。北部の山岳地帯の道だけが。
意外としっかりとした戦略だと感じた。
駿馬は決して駄馬にはならない、か。
まあ、現国王も耄碌したって年でもないし、未亡人にうつつを抜かしているだけってわけでもないんだろう。……いや、その未亡人を射止めるための、エロースの金の弓矢を狙ったからこそ練られた戦略かもしれないが、な。
思いついた出来の悪い冗談とゴシップを、ははん、と鼻で笑い飛ばす。
「側面支援と言えば聞こえは良いが、もしもの際の言い訳だろ、俺達は」
油断しても負ける兵力差でもないだろうが、だからこそ兵をあたら無駄に失った場合の批判が現国王に向かないように、王太子も出陣させている。
例えば、支援するはずの王太子の騎兵が遅れた、あるいは、王太子の指揮する軍が雑兵に手間取っていたせいで攻撃の時期を失った、等。
「口が過ぎるぞ」
やんわりとたしなめるように言ったプトレマイオスだったが、その尖った口が俺と同じ気持ちであることをはっきりと示している。
嘘がつけないのは美徳だが、隠したいことまで表情に出るのはいただけない。
味方しかいない今だから敢えて隙を見せている、という部分もなくはないんだろうが、元々、思っていることが顔に出やすいんだよな、プトレマイオスは。
プトレマイオスの悪癖に、軽く嘆息すると、王太子がからかうように訊ねてきた。
「お前さんも、向こうに行ってみたかったか?」
もし俺がそれを希望しても、認めなられないのはよく分かっているくせに、よく言うよ。
重ねるように二度目の溜息をついた俺は、興味ないと肩を竦めて見せた。
ちなみに、現国王の率いる主力部隊に、アンティゴノスやクレイトスなんかの現国王の下で既に武名のある
現国王の手持ちの軍団を見るに、重装歩兵の厚みを変え鉄床として布陣させ、騎兵の鎚が後方から敵を叩き潰すという鉄床戦術の提唱者とは思えない軍備だが……。
かつて王太子の才能を嫌ったように、有能な部下を近くに置くことを恐れているのかもな。
それに、あの二人は、どうも王太子と一緒にマケドニコーバシオから追放されるわけではなさそうだし。
その事実だけを取って、アイツ等が裏切り者と判断するのは早計だが、安易に向こうに乗せられて欲しくなかったと思うのも本心だ。派兵要請を断るのが難しかったとはいえ。
中途半端な引き抜きのせいで、王太子が不在の間に、ヘタイロイの待遇に差が出る、そんな噂もまことしやかに囁かれている。
俺とは少し違った形だが、同じような荒っぽさと、ずけずけモノを言う所のある黒のクレイトスを引っ張ったのは、王太子派を切り崩す上では効果があり、敵ながら見事だったと思う。
反面、比較的大人しい――というか、行儀の良いヘタイロイが今回の追放者の大部分になってしまい、こちらとしては退避作戦はかなり進めやすいけどな。
まあ、現状、水面下での名簿作成のようだし、王太子と一緒に追放する第一陣を反発の強くない大人しい連中で固め、荒っぽいのを敢えて残し、問題を起こさせて一掃するって魂胆かもしれないが。
「ダトゥを先に押さえられるなら、いつでも取れる功名なんぞくれてやれ」
俺の表情から、色々と考え込んでいることを見抜いたのか、意図したざっくばらんな調子で王太子が言った。
そう、きちんと整備された外港都市ダトゥの制圧と軍船の確保が、王太子派である俺達の表の目的だ。充分な船が無ければ、レスボス島を攻め落とすのに充分な兵を運べない。
「制圧したての他国だった港から、私は出航することになるのか……」
と、重要な情報をあっさりとぼやいたプトレマイオスに、少し眉根が寄ってしまう。
いや、まあ、ここにいる全員は“表の計画”は知っているので、特に隠す必要も無い。むしろ、現国王側もこちらに情報が流れるのを意図している部分もある様子なので、多少なりとも規律立てて退去準備をしていることは、伝わってもらわなくては困るんだが――。
馬車で俺の向かいに座っている王太子が、苦笑いを浮べている。
……まあ、そういうことだ。
折角なので、俺も少し乗ってやることにした。
「しかし、意外だな。貴族でもあるプトレマイオスがリストに入っているというのは」
確定というわけではないが、確実視されているヘタイロイは現在五名。うち、四名が王太子と同じか年下で、生まれの階級がやや低かったり、他国の生まれだったりして、血縁を理由に王侯貴族や民会から追放を反対され難い連中だった。
その唯一の例外が、プトレマイオスだった。
古くからのマケドニコーバシオの貴族の家系で、領地も広く、縁戚関係にある貴族も少なくない。
俺の発言を受けて、ゆるゆると首を横に振ったプトレマイオスが、どこか冷めた声で話し始めた。
「……いや、むしろ、それを警戒して、だろうな。今回のラケルデモンとアテーナイヱの戦争にマケドニコーバシオは参戦していないが、なにかあった際に後方を騒がせたくない、とな」
領地を持つ貴族としては、それを取り上げられるのは中々に堪えるのか、首をがっくりと落として見せたプトレマイオスだったが、すぐに顔を上げ、やや無理した感はあるが、明るい調子で続けた。
「ともかくも、レスボス島を攻略する上で、土地勘のあるラオメドンを投入出来るのはありがたいだろう?」
そうかな、と、俺はプトレマイオスの発言に小首を傾げて応えた。
土地勘があると言っても、操船に関しては素人だと聞いている。人工の港湾という物は、単純なように見えて意外と波が複雑だ。沈没船や、戦争で破棄された古い城壁の基礎があったりして、最短経路で突っ込むと座礁しかねない。水先案内が出来ないなら、正直、そこまで必要とは感じていなかった。
浜へ乗り上げて上陸するのではなく、キルクスの手引きで一気に船団を港へと突入させ、アゴラを制圧する。
通常の戦闘のように、平野部で陣を整えて決戦するわけにはいかないのだ、今回は。
都市の支配層を、どさくさに紛れて全て殺し尽くすんだから。
キルクス達が掴んでいるという、不正の証拠の提示は後でも構わない。というか、外都市ミュテレアの市民に扇動者を混ぜられるので、戦後処理にあわせて行うつもりだ。時期は、さほど問題にならない。勝った方が正義で、旧勢力の悪事の明白な証拠があるなら、聡い連中はすぐに鞍替えしてくれるだろう。
その後の内陸部での諸都市との戦闘に関しても、そこまで懸念や不安があるわけでもないし、正直、あまり面識の無いラオメドンの作戦参加は、俺にとって、どちらかと言えば負の不確定要素なんだけどな。
この北伐から正式な追放令まで、全てが予定通りに進んだ場合、既にレスボス島で暴れている俺と数名のヘタイロイを追う形で、残りの追放者をプトレマイオスがまとめて第二陣とする。出港地は、領地の位置の蓋然性から、制圧後のダトゥが選ばれている。
さらにその後、追放の体裁上、一時的に母親の母国である西の大国エペイロスへと帰国する必要のある王太子が、マケドニコーバシオを迂回し、テレスアリアからレスボス島へと向かう。
「冬になる前に島を奪取し――」
「天気次第だな。雨季である冬は、海が荒れる。本格的に降り出す前なら構わないだろうが、もしもの再にはダトゥに春まで足止めされるだろう」
俺の発言を遮って、プトレマイオスが強い調子で言い切った。
まあ、一般的なマケドニコーバシオの水軍の技量では、冬場の船旅は危険極まりないんだろううが……。
「その場合、全員が集結するのは、初夏ってところか?」
自然と眉間に皺が寄ってしまう。
「難しい時期になる」
と、王太子も厳しい声で続いた。
「麦の収穫が済み、兵が動きやすい季節だ」
作柄次第だが……いや、おそらく、不作でも豊作でも、大規模衝突は避けられないだろうな。ラケルデモンにしても、アテーナイヱにしても、国庫の負担を鑑みれば、決着を望む時期だろう。
戦争が決着した際、第三者である俺達が乗っ取り、所属を曖昧にしている島は目をつけられやすくなる。
「まあ、島を奪取してから暫く海が荒れるなら、その間に島内を完全に掌握し、防備を固める猶予が出来る。悪いばっかりじゃないさ。……商人連中を島の中に引っ込ませるのは、あまり面白くは無いが」
「結局、金か」
どこか呆れたように呟いたプトレマイオスを、だからこそこんなに俺が腐心しているんだろうが、と、少し睨んでみる。
「軍馬の維持には金が掛かる。野生の馬を捕まえてきても、基本的に馬は臆病な生き物だしな。突撃の出来る軍馬は育てるのにも時間が掛かる」
ついでに、追放されるにしたって、貴族の連中の使っている奴隷は、一般市民が使い捨てにする連中と違って、きちんと教育を受けた他国で知識層だった人間だ。衣食住には、それなりに投資してやら無いと、本来の能力を発揮しない。しかも、プトレマイオスの場合は、幕臣も連れてくることになるだろうから、その家族の食い扶持も含めた人件費を弾かないといけない。
実力を鑑みれば、見合った経費ではあるんだが、中々に頭の痛い問題でもある。
島を制圧してすぐには、臨時の徴税は行えないだろうし、物品を徴発して借財とするやり口も難しいだろう。
本当に、どうしたもんかね。
最悪、キルクスとドクシアディスに、俺と袂を別った一件で因縁つけて、でも、今回またこうして助ける形になったんだから金を出せと脅して――。んん、それにしたって、一時凌ぎだよなぁ。そもそも、アイツ等、きちんと蓄財してるのかも分かんねーしな。
またぞろ昔みたいに、奴隷を買い過ぎて金も食い物も無いとかありそうで凄く嫌だ。
頭を抱えた俺を他所に、プトレマイオスは、高い経費を否定出来ないためか、多少気まずそうに顔を背けた。
軽く嘆息して見せてから、俺は頭を乱暴に掻いて――。
「略奪だけを当てには出来ないからな。まあ、そっちは俺で考えるさ」
――と、お互いに苦手な部分は補い合おう、と、遠まわしに伝えてみる。
もっとも、俺も別に金勘定が得意ってわけでもないんだがな。船で旅していた時に色々覚えただけだし。ったく、人間、どこでどんな経験が役に立つか分からないものだな。
プトレマイオスは無言のままだったが、王太子はどこか楽しそうに笑い。
「金策はプトレマイオスとは比べ物にならないからな、お前さんは」
ははは、と、周囲からも笑い声や、儲けさせてくださいよ、将軍、なんてお世辞が上がり……遠乗りでもしているような長閑な調子で、俺達は進軍を続けた。
遭遇したトラキア人を皆殺しにしながら。
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