Kornephorosー3ー

「進軍は問題無さそうだな」

 プトレマイオスと入れ違いになった形で、王太子が本隊中央へと戻ってきた。

 昼を過ぎた頃、連絡部隊のリュシマコスが国王軍からの伝令でこちらに戻ったついでに、馬車にばかりいては身体が鈍ると後方部隊の視察に出ていたんだが……。

 随分と寄り道してくれたようで、右手で林檎を玩びながら、悠々とこちらに歩み寄ってきている。


 まあ、馬よりも多くの荷駄を運べる牛の速度にあわせての進軍なので、徒歩でも馬車に追いつくのは難しくない。つか、そもそも、俺と違って王太子は騎乗出来るので、あのでかい黒馬に乗ればいいのに、とも思って――ひがんで? ――しまうが。

 俺の場合、馬に乗るとどうも腰のすわりが悪くて得物を充分に扱えないし、尻が痛んでかなわないからな……。まあ、これは、訓練というよりも脚の体系の問題、と、他のヘタイロイに慰められているが。


 王太子が戻ってきたなら、と、今度は俺が部隊の右翼側面の伏兵や残党に備えるために出撃しようと剣を手に取ると――。

 王太子は、俺が馬車をりるのを止め、更に自分自身も乗り込んできた。

 ちら、と、視線を向ければ、伝令を出していたのか、出て行ったばかりのプトレマイオスも戻って来ている。

「敵の村から奪った物資の報告だそうだ。まとめてくれ」

 商人と後方支援のヘタイロイの連名で送られてきた、メモ書きの木片を受け取る。

「見かけによらず、細かい作業が好きだよな、アーベルは」

 すぐに他の書類なんかとあわせて確認作業に入るが、横からプトレマイオスがからかうように告げた。

 ……まあ、本人としてはそういうつもりは無いのかもしれないが、ミエザの学園ではずっと俺の教師でもあったので、なんか言葉を素直に受け取り難いところがある。

 なんて修辞語をつけてくるあたり、本当に退屈しのぎのからかいもあったのかもしれないが。

 言い返してもよかったが、それよりも収支の計算を優先し、プトレマイオスに視線を向けずに軽く手を振って応じる俺。

「好きなんじゃない。損をしたくないだけだ。特に、今後は金がモノを言うんだしな。稼げる時に稼ぐ。商人の鉄則だ」

「今のお前さんは、将軍だがな」

 片手間の返事だったので、最後に王太子に揚げ足を取られてしまったが、特に反論や訂正の必要を感じなかったので、書かれている内容に集中した。


 トラキア人の村は、ヘレネスのように都市計画に基づくわけでも、水運や陸運等の物流を考えた上での開拓でもないので、規模は比較にならないほどちっぽけだ。

 今日の午前中に潰した村も、住人は三百程度の小さな農村で、正直、北部の村からの要請が無ければ無視して進軍していた。

 略奪品は、案の定といえばそういう内容なんだが……。

 きちんと焼成された陶器が少なく、運ぶ価値の無い土器が多いのは、前情報通り。斧や金属製品も、民生用の安物だな。放置して、勝手に酒保商人に持ち帰らせれば良いか。毛皮は、そこそこ。他に価値がありそうなのは――。

「作柄が悪いって程の天気じゃなかったと思うんだがな」

 戦闘中に喪失したり持ち逃げされた分はあるんだろうが、それにしたって三百人で冬を越すことを考えれば、村に蓄えられていた食糧は不十分と言わざるを得ない量だった。

 まあ、水源の川や湖が凍る前なら、鯰や鯉なんかで食い繋げはするんだろうが……。


 糧秣として当てにしていたわけじゃないが、酒保商人に売り渡すにしたって、ここから運べば輸送費の方が高くつきそうな少量だ。指揮向上のために、早晩、ぱっと宴会でも開いて使っちまうとするか。

 現国王の命令で、無理に連絡部隊とされたリュシマコス――多分、王太子の子飼いの人間が武勲を挙げるのを嫌ったんだろう。リュシマコスの勇壮さは噂になっているが、現国王とは面識が無かったはずだ――は、当人の素直な性格もあって不貞腐れているような感じでもないが、不満はあるだろうし、アイツの軍団兵も込みで憂さ晴らしさせるには丁度良いかもしれない。


「農業技術が未熟なんだろう、国境の監視所を越えて村を襲うのは毎年の事だ」

 つまらなそうにプトレマイオスが答えた。

 進歩の無い連中、と、見下しているのかもしれない。

 まあ、毎年食い物が足りなくて襲ってくる上に、ちょくちょくこうして返り討ちにあっている現状を鑑みれば、利口な集団では無さそうだがな。

 最後に、価値のある奴隷――若くて、傷を負っていない捕虜――が三十に、建材が少々。

 ヘレネスの木は、気候のためか高く太くは育たない。立派な柱は、船の櫂や拠点構築のために可能な限り無傷で回収しているが……。

「本気でここの連中を滅ぼすなら、トラキア人の交易路を押さえたいな」

 うん? と、王太子が興味深そうに目を細めたので、俺は続きを口にした。

「多分、村で使っていた木材は、さらに北西部のイリリア王国との交易品だろう。質が良過ぎる。そういえば、あの国、昔、現国王が叩いたとか言ってなかったっけ? 圧力を掛けたら面白そうだ」

 街道を押さえ、関所を置き、経済活動を止め、孤立させる。

 まあ、一部はアカイネメシス側へと擦り寄るだろうが、現状、トラキア人の住む土地はかなりアカイネメシスに食われているので、それも今更だ。

 飢えたところを、一気に殲滅する。

 それが最も危険が少なく、利益に繋がる――街道を止めれば、迂回路を求めたイリリア王国の商隊は、冬に閉ざされる更に北回りになる迂回路ではなく、南のマケドニコーバシオを通るだろうしな。木材価格が下がるかも知れない。

「まあ、本気で戦うのは次回だな」

 と、王太子が苦笑いを浮べたので、俺も、過剰な戦略の思考を止めた。


 今回は、トラキア人を追い払うための出陣であって、版図の拡大の意図は薄い。

 食料を奪いに国境を侵したバカに、少し仕置きを加えるだけ。予め決められている将軍に戦功を持たせ、現国王の威信も保ち……。

 ついでに、少々の略奪も行い、新たに獲得した奴隷や物資の売買により、経済を活性化させる、と。


 肩の力を抜き、軽い調子で二枚目の木片に目を落とすと――。

「おいおい! かねの量も少ないってのに、質も悪いのかよ! 多分、商業が未熟で悪貨の区別がついてないんだな。そもそも流通が――」

「だから、油断しない程度に肩の力を抜け。そもそも、お前さんは、田舎の村になにを期待しておるのだ。金があるなら、とっくにこっちから襲っとるだろうが」

 王太子のもっとも過ぎる指摘に、苦笑いを浮かべる。

 手を抜いているってわけじゃないんだが、どうにも楽すぎる戦場では、俺は――戦闘が無い限り――経済観念が先行してしまう性質らしい。


 ふは、と、短く笑って大きく伸びをする。

 雨季の前、乾いた秋の空は、高く澄んでいた。

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