Alphekka Meridianaー32ー
「お立場が危ういのですか?」
「あん?」
ラケルデモンの偽王への謁見を追え、マケドニコーバシオ軍――とはいえ、亡命メタセニア人と亡命ラケルデモン人、そして少数の俺の補佐役のマケドニコーバシオ人からなる寄せ集め部隊だが――に割り当てられた区画で、王太子への報告と本国側からの連絡に目を通していると、俺の執務室……もとい、執務天幕に入りざま、レオが訊ねてきた。
木片から顔を上げるが、そう判断した理由がいまいち分からん。
ああ、さっきの一件の噂が広がったので、俺の配下の軍での力関係が微妙に揺れ動いてはいるが、それはそれで構わないと思っている。俺は。
亡命ラケルデモン人は確かに知識層が多いので指揮官級に取り立てているが、比率で言えば七割強がメタセニア人で構成されている軍団なので変にでかい面させとくつもりはない。そもそも、テレスアリアの戦争被害地域を通した物資の購入と輸送の仕事でも、亡命ラケルデモン人連中は商工業をするのは半自由人という慣例に捕らわれていて、物の役にも立っていないんだし。ここでラケルデモンの市民軍の方に行くならそれはそれで構わない。この程度の人数の軍団なら、中級指揮官が居なくとも俺がしっかり目を光らせてれば維持も戦闘も可能だ。
レオと視線を合わせ、首を傾げて見せる俺。
「いえ、糧秣の費用に関して気にしておられたようですので。船も貴重ですし」
ああ、と、声を漏らしてしまったがそれだけだ。再び木片の補給計画の報告の方へと視線を落とす。
「構わねぇよ。そもそも、ラケルデモンからヴィオティアに直通するコリンティアコス湾内は敵に抑えられてるんだから、決着がつくまではコンリトス経由の陸上輸送だ。海戦で出る被害と比べれば二隻潰す程度は誤差の範囲だ」
実際問題として、この戦乱のドサクサでアテーナイヱの傀儡政権が倒されて、再び民主性が息を吹き替えしてるんだが、マケドニコーバシオ……というよりは、俺達王太子派の海軍力でアテーナイヱ艦隊は打ち破れない。
もっとも、アテーナイヱ側も今は沿岸殖民都市の再攻略や建て直しに必死でこっちの海軍にちょっかいを出してきていないし、下手に海で諍いを起こすのは得策じゃない。
ラケルデモンとヴィオティアの戦争で、副次的な被害の出たマケドニコーバシオがラケルデモンを間接支援する構図を変える意味は無い。
「しかし、予定に無かった糧秣の調達で咎を受けるのでは?」
もっともな指摘ではあったし、それが分かってるなら兵站線を無視して進もうとするラケルデモン軍にもっと渡りをつけるなりしろよ、とも思ったが、口には出さずに軽く嘆息し――。
「確かに船の費用もバカにならないし、一日辺りの糧秣も一万を越す兵士相手なんだから膨大だが、その特需で戦争被害のあったテレスアリアの景気は好転してる。売買に関して税が掛かってるんだし、十分な取引量があるなら本国の方でも元は取れる。確かに船籍はミュティレアだったが、戦利品の流通の方はミュティレア商人に便宜を図ったんだから、二隻潰してもそれで対陣が延びるなら釣りは来る」
まあ、プトレマイオスは不満そうだったし民会でも形だけの非難はされた様子だったが、結局は船二隻分以上の利益は出ているので特に俺への処分の話も無いようだ。そもそもが、亡命メタセニア人をこっちに引っ張ってきているので、その駐屯地は商用に転用できるし、少し頭を使えば金を稼ぐ方法はいくらでもある。
進路上の攻略した都市からの物資の売買も、一時同盟を離反していた懲罰の名目でコンリトスの商人を経由させずに、勝手にミュティレアで捌いているしな。そして、多少の陳情はあるようだが、商業を知らない今の戦場のラケルデモン王はそれを放置しているようだし。
だが、レオも未だに人と物を動かせば金になる、という構図がいまいち納得できていないのか、この陣地で物資を消費しているのに損をしていないことをいまひとつ理解できていない様子だった。
なので、軽く肩を竦めてからかうように補足してやった。
「戦場が近付けば、物価は上昇するからな。ヴィオティアへの民生品の輸出もかなりの利益になるし、その商工業のためにこちらの支配地域に人が集まれば人頭税も入るし、駐留軍の規模も拡大できる。この戦争で負けるのは面白くないが、それでも敗北から利益を得る算段もつけてるんだよ、こっちはな」
確かに今回、ラケルデモンとマケドニコーバシオの南北二国間の決戦の雰囲気を壊し、
そりゃ、どっちか片方が大勝ちすれば勢力でマケドニコーバシオは劣勢になるが、国の完全消滅と占領が難しいこと――特にラケルデモン型の支配では、メタセニアを完全に掌握するまでに何度も大きな反乱があった――は既に判明しているし、可能性としてはかなり低い。
……そうだな、本国は王太子が、経済基盤のミュティレアはプトレマイオスが抑えており、前線の将は俺にクレイトスにリュシマコスに、他にも大勢の
そう、マケドニコーバシオの敗北の可能性が無い旨を俺は伝えたったんだが――。
「敵に物資を売っているのですか!?」
露骨に驚くレオに、逆に俺も驚いてしまった。
「あのな、俺達は敵国に侵攻してるんだぞ? 策源地からの距離は敵の方が有利なんだし、武具や必要な糧秣以外を近隣都市に卸しても大局に影響は出ねぇよ、兵糧攻めしようにも、短期決戦しなきゃなんねえ状況だろうが」
コイツなら、もう少しは分かっていると思ったんだが……。
そもそも、輸出を禁止した所で完全な統制は不可能だ。禁制を敷いたところで、それは法を破る連中の儲けが増すだけ。しかも、迂回取引で敵の備蓄量が不明になる方が、大局を判断する上では厄介だ。
敵の余力も見えてこないし、戦後の敵国支配を考えるなら、商売圏の把握を含め、敵の戦費がどこへ流れているのかも追う手間もある。
「それは……。そうかもしれませんが……」
全く納得していない様子のレオに、作業の手を止めテーブルの上に肘を乗せて手を組んで嘆息してみせる。
「だから、お前の戦争観は既に古いんだっての、昔の常識に捕らわれんなよ。局地的な勝利も確かに重要だが、主力同士がぶつかり合うことだけが戦争じゃねえ。アテーナイヱとの戦争には確かにラケルデモンは勝利したが、高々数年で再び勢力を盛り返し、戦争における損害を穴埋めされてるじゃねえかよ。あの国を潰すなら、金を奪うんじゃなくて、金を生み出す海運を封じなきゃダメだったんだ」
レオは取り立てて表情を変えなかったが、意固地になっているような空気だけは伝わってきた。この頑固者め。
国の外をこれだけ見ても、まだ覚めないのか?
歳をとると頑固になるとは聞くが、レオにそんな風になってもらいたくはないんだがな、と感じるも、上手く諭せるような話術も表現力も俺には足りず、険悪になるだけと分かっていても嘆息してしまう。
こういうのが世代間の対立になっていくのかねぇ、なんて考えていたら、不意に「……アーベル様はラケルデモンには戻られないので?」と、真っ直ぐに踏み込まれた。
「ん?」
戻るも何も、今回のは一時的な援軍だ。
確かにこの軍団の一部はメタセニア――勝利した場合、ペロポネソス半島外ではあるがコリンティアコス湾北岸でヴィオティアの一部でもあるナウパクトス。敗北の場合は、ラケルデモンに程近いメタセニア・ラケルデモン間の国境となる古都アンダニア――に、今回の戦闘後も講和の成立とその実行監視のために残すが、それだけだ。
一戦すれば、勝敗にかかわらずに俺がミュティレアに帰ることは最初から決まっていた。
首を傾げる俺に、今度はレオが嘆息し、上手く伝わっていないことを察して俺が命じる前に説明しだした。
「新たなる時代。それも結構でしょう。そしてそれは必然なのでしょう。しかし、誰も彼もがそれを迎えられるわけではないのです。むしろ、覇権を握ったことがあるからこそラケルデモンには変われない者が多くいる。彼等同胞の残りの余命を、ただただ無為に過ごせるおつもりで? それとも、さっさと死ねとでも命じるのですか?」
それは、俺自身にも問われていることのような気がした。
戦果でそれを抑えてはいる。
戦後のアデアとの結婚で裏付けも得る。
だが、仲間であり異分子でもあることは否定できない。
しかし、だからこそ――。
「それはただの怠慢だ。俺は、今の己のための戦場にいる」
マケドニコーバシオで、様々な事があった。
正解の分からないような問いも、ラケルデモン人であるならば容易に選べなかった道を選ばねばならなかった時も、不足する知識を必死になって学ばなければならないことも。
危うい場面もあった。だが、そのひとつひとつを乗り越える……いや、自分自身のこれまでの人生に疑問を持つような場面に出会うということが、自の力へと変わってきた。
敗北を認め、克服することには特に多くの時間がかかったが、現実を直視すれば、誰もが問われるのだ。変化に合わせて進むのか、足を止め諦めるのか。
俺は敗北者にはなりたくない。負けっぱなしで人生を終えるつもりは無い。
……数限りない人間を殺し、その有り得たかも知れないエンテレケイア――全ての可能性を達成させた人生の最終到達点――への可能性を断ってきた以上、ここで終わるわけにはいかない。帳尻が合わないだろ?
しかしレオは、首を――横に振りかけて、躊躇いながら微かに項垂れた後、少しだけ顔を上げて椅子に座ったままの俺の顔を正面から見据え。
「若いアーベル様にはそう映るのかもしれませんな」
結局レオの口から出てきたのは、そんなどこででも聞けるような老人の愚痴だったので俺は肩を竦めて見せる。
だが、レオはそれに構わずに続けた。
「人には故郷があるのです。プシュケーのアクロポリス――魂の中心地、原点――とでも言うべき、始まりの場所が。自分達のモノであったその場所が、時代や他者を理由に変化するのを是と受け止められるのですかな? ……いえ、アーベル様にそれが出来たとして、他の全ての者がそれを納得できると?」
珍しく感情的になっていると感じた。基本的に、レオは多少の冗談を言ったりすることはあるものの、多弁ではない。
表情には出ていないが、声色に微かな怒気と悲哀と……上手く理解できないが、負の感情が混じっているのを感じた。
「人は故郷で死にたいのです。長い人生を旅し、その最後に変わり果てた場所の片隅で消えたくは無いのです。町並みも、人も、政治も、価値観も……全てが変わった世界で、ワシや弟君についてきた者達に何を手に死んでゆけと命じるので? 極論ですが、アーベル様以外のラケルデモン人はその人生そのものが無意味だったと断じ、諦めろと命じるのですかな?」
テーブルに手を衝き、俺の目を覗き込むレオ。
……ああ、そうか、レオも、老いているんだったな。
アルゴリダでも察していたが、俺の手の内には故郷の痕跡なんてもう一欠片も残っていないような気がした。
「悪いが、俺は……ラケルデモンを本当の意味で母国と感じたことは無かったよ。そもそもの出発点が違う」
突き放す俺の言い草に、レオは一言も答えなかった。
俺がラケルデモンを母国ではないと言った理由を、どう考えているのかまではその表情から窺うことは出来なかったが、俺自身なぜそうなったのか完全に自分の心を理解しているわけでもないのに、師筋とはいえ他人のレオが判断するのは難しいだろう。
マケドニコーバシオに温かく迎えられたから絆された。その部分を否定するつもりは無いが、それだけでもない。
将器と言うのか、才能と言うのか……。国土や国体、人種ではなく、同じ場所に立ち、同じものが見える人がいる。それが俺にとって、レオの言う母国にあたる拠り所なのかもしれない。
ふと、異母弟はどうなんだろうと今更になって思い――。もしかしたら、このレオの態度も、マケドニコーバシオにおいて教育を受けている異母弟が馴染んでいない事を告げるものだったかもしれないと思い至るも――!
それをレオに尋ねる前に、陣所に戦闘の始まりを告げる鉦が鳴り響いた。
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