Alphekka Meridianaー31ー
それは、非常に儀式的で厳かで……、しかし、茶番以外の何者でもないと思った。
ヴィオティアの地に難なく侵攻した我々マケドニコーバシオ・ラケルデモン連合軍は、幾つかの兵站線に必要な都市を占領しつつ、一直線にティーバを目指した。
今回の戦役においては、占領地を増やす意味は薄い。ヴィオティアは諸都市連合的な色彩の強い国であり、今回の戦いの中心的なティーバに打撃を与えなければならないからだ。確かに、付近の非占領の都市から側面や兵単線を脅かされる危険は無くは無いものの、アカイネメシスが出した言葉を引っ込める前に和平を成立させるのが最良の選択である以上、なにより優先されるべきは時間だった。
ヴィオティアへの侵攻に際し、緒戦において目立った抵抗は無かったが、それが、ティーバが講和のためにアカイネメシスへの働きかけを重視したからなのか、ティーバの防衛もしくは決戦のために兵を集めているからなのかは、今の今まで意見が割れていた。
講和までの時間を稼ぎたいのなら、各都市にそれなりの防衛部隊を展開し籠城させるのが最適とは言えないまでも、常套で効果のある作戦だが……。おそらく、必要な物資を現地調達するラケルデモンが無理な進軍を行うと想定して、辺境からは兵を引いていたのだろう。
「正直、北方の蛮族を幕下に加えることには賛否あったが、この度は貴様達に免じ、特例ということでこの大義に加わる権利を与えたものだ」
ふん、と、鼻を鳴らしたいのを我慢する。
ラケルデモンの序列はまだ覚えている。今俺に向かって嫌味を言ってきたのは、現在の中央監督官の筆頭もしくは次席の人間で「正に。街道の通行を支援しただけでも、十分であり、軍に加えるには及ばぬからな」と、ソイツの副官――おそらく、元は少年従者かなんかだな、年齢差から察するなら。寵童出身特有の目鼻立ちの整った顔立ちでありながら、いつかどこかで感じたような媚び諂いと陰気な空気がある――が追従すれば「もっとも、封鎖したところで押し通ったがな」とか、威勢と声量だけはある声が更に幾つか上がる。
ここはティーバの城壁を臨む程近い丘で、ラケルデモンとその同盟軍合わせて一万五千の兵が布陣している。それなりに太い木材や石材、粘土を使った野戦築城であり、これは、今回の進軍で主に兵站を担当させていた俺の軍団の成果である。
打って出る事を意識しているため、門は多く広めで守り難いが、門以外の場所は柵と戦端を尖らせた杭で重点防御している。守よりも攻を意識した陣所であり、最も見通しの利く場所にある天幕が本陣だ。
最低限の装いさえも取り払われた天幕なのに、今はその壁代わりの布も捲り上げられ骨組みだけが俺達を迎えている。その見通しの利き過ぎる場所の周囲には、俺達マケドニコーバシオ軍の指揮官層を迎えるためにこれ見よがしと並べられたラケルデモン市民軍の姿が囲っている。
近くのラケルデモン兵から視線をはずせば、今回の決戦においてはティーバも一戦する心構えなのか、城壁外にも兵の野営地が広がっているのが見える。
立ち上る炊煙に、櫓からこちらをうかがう気配、向けられる敵意。
偵察の報告では、ヴィオティア連合軍は一万二千~四千程度との話だ。多い方を信じるとして、兵力差は千前後。こちらが若干数で勝るが、その程度の差なら戦術によっていくらでも覆せるし、新式のファランクスを編み出した者が敵である以上、優勢とは言い難い。
ティーバの側としても、進行してきた敵軍を打ち負かす事が終戦への近道で戦後の発言力の強化となると計算したんだろう。
確かに、今のラケルデモンなら、それもあり、か……。
もう一度、ふん、と、鼻を鳴らしたいのを我慢して、溜息も飲み込んだ。
「これはこれは手厳しい。武具から食料品まで、兵站線の維持管理を全てこちらにお任せされた方の言葉とは思えませんな。この陣所のために潰した船二隻の値段を知らないわけではないでしょうに……もしやその費用をご自身で負担されるので?」
こんな仕事に慣れたくは無いんだがな、と、思いながらも、マケドニコーバシオからの正式な援軍である以上、安易に売られた喧嘩を買うわけにもいかない。そして、バカにされたままでも終われない。
もっとも、ラケルデモン側に関しても、あくまで面子の問題であり、俺の率いる軍団千名が抜けるのは避けたいはずだが……。
「無かった所でどうということは無い」
腕組みし、バカにしたように言い捨てる中央監督官。
「使ってやってるというのに、なんだその言い草は」
相変わらずのその取り巻き。
はは、と、笑って俺は言い返した。
「チーズに蜂蜜、ラケルデモンでは中々手に入らない品ですな。酪農に強いマケドニコーバシオ産です。随分と気に入られておりますよね? その、贅沢品を。しかし、不思議ですなぁ。ラケルデモンの食事といえば、獲物の血まで余す所無く使った黒シチューと決まっていたはずでは?」
「貴様……!」
俺の身分は、既に知られている。というか、意図的に伝えられていた。
戦争はあくまでも外交の手段であり、戦闘の始まる遥か前から侵略は始まる。子供っぽいが、言い合いでさえ負けたり侮辱を放置してはその程度だという噂が広まる。
「もうよい」
気色ばむ中央監督官に、ラケルデモンの戦場の王が、計ったようなタイミングで口を挟んできた。
良く日に焼けた男で、多くの戦場を経験したことを疑う余地は無い。その右に陣取っているのが、エーゲ海東岸からラケルデモン軍を転進させた将軍だが、王の左側にいるのは……。
「貴様もラケルデモン人なら、その矜持を捨てぬことだ」
お互いに無視してはいるが、忘れようも無い面を見てやろうとした瞬間、ラケルデモン王の声に通り過ぎた視線を呼び戻され、目が合うと同時に「もっとも、そなたの血統であれば、そう考えるのは当然なのかも知れぬがな」と、付け加えられた。
肩を竦めて応じる俺。
「でしょうな。もし自分が王であったなら、質よりも数で攻めるでしょうから。武勇に秀でるとはいえ、市民軍をたった七百しか連れて来ない等、とてもとても」
噂はすでに聞こえてきていた。だが、上層部がどう判断しているのかを探る意味も込めて俺は皮肉を口にした。
顔を顰める者、動揺する者、敵意を剥き出しにする者。反応から察するに、自覚がないってわけでもなさそうだが、思った以上に人口の減少が響いているんだろう。そして、アテーナイヱを打ち負かし、大量の賠償金を得たことでにわか貴族が乱立したことでかつて最強を誇った市民軍の維持にも支障をきたした。
ラケルデモンは、いつからか国民皆兵の義務を金で避けられる国になっていた。
時代は、流れるのだ。
金の時代と銀の時代が過ぎ去り、現代へと変遷したように、アテーナイヱと戦っていた頃が最盛期であり、ラケルデモンの政治機構は既に老衰期に入った。
無駄な延命をするよりは、いっそここで滅べばいいのにな。
「もしや、それ以上動員できない理由が何かあるので?」
流石に拙いと思ったのか、俺の抑え役として副官名義で隣に控えていたレオが大きく咳払いしたが、ラケルデモン王の左にいた現在のラケルデモン王太子は傲然と言い放った。
「全員、盾に担がれて帰るのが望みか?」
戦死者は盾に担がれて国へと帰る。マケドニコーバシオを敵に回せないとは感じているのか、無意識かもしれないが殺しても戦死だったと報告する意図の読める脅しに、取り繕う気がうせた。
と、言うか、ここに来ているラケルデモン王太子がヤツだと気付いた時点で、無くなった左目がずっと疼いていた。手にも、指先にも、噛み締める奥歯にも力が漲り、気分が高揚する。
殺したい、と、心が叫んでる。
俺の中のラケルデモンの血というならば、それは、共闘ではなく目の前の簒奪者達の殲滅を望んでいる。
俺をなんと見るのかはその相手に任せるが、コイツ等が求めるのがラケルデモン人としての矜持と言うなら、その狂気に身を浸すと決めた。
「はぁん? 全員殺して、誰がその盾を担ぐんだ? 考えてモノ言えよ」
肩を竦め、以前対峙したのように挑発する俺。
アギオス二世はそれに応じ、腰の剣に手を掛けたが――。
「身の程を知らねぇらしいな」
「おやおや、親指が無いせいか、随分と鞘が抑え難そうだな。そんなので、剣が抜けるのかねぇ」
四本の指と掌で苦戦して鞘を握るのをニヤニヤ笑いで見下ろす。いや、俺自身の笑みも、左頬が引き攣っているのは分かっている。
俺に舐めた真似したヤツで、まだ殺してないのはコイツだけだ。許すなど論外で、殺さなきゃこの渇きは癒えない。
きっと、向こうも同じなんだろう。
予定に無い展開だったのか、周囲が慌て始めた空気は察したが、ここまできて抑えるわけには――。
「よせ、と、言っているのだ」
互いに踏み込む瞬間に、低く重い声がもう一度響き、出鼻を挫かれた。
単なる飾りってわけでも、無能でもないらしい。このラケルデモン王は。
タイミングを外されたその隙に、レオが身体を割って入らせてきたので、ラケルデモン王の顔は半分しか見えない。
「マケドニコーバシオ軍は、最左翼を担当せよ。朕から伝えるのは、以上だ。下がれ、目障りだ。北の匂いの染み付いた蛮族は」
これに言い返しては引き際を逃す。
溜息は鼻から逃がし、最低限の礼をしてその場を離れる。
レオを含む亡命ラケルデモン人や、天幕の周囲のラケルデモン市民軍は混乱している様子だった――おそらく、俺以外の全員が、戦後にこの軍団はラケルデモンに合流するとでも思っていたんだろう。明らかに資質の劣る王に仕えたいと思う気持ちは理解できないが、まあ、マケドニコーバシオに帰還するのは俺だけで十分だし、今、俺の指揮に従う限りは好きにさせておく――が、ラケルデモンは上位の者に服従するように徹底されているため、俺の部下となっている連中はレオが取りまとめ、ラケルデモン市民軍も向こうのそれなりの連中が鞭で態度を改めさせていた。
ハン、と、ここに来てようやく鼻を鳴らせば、レオにしかめっ面を向けられたが弁明せずにその視線を無視した。
ラケルデモン指導部が、俺達を、さっきまでは同族としての扱いだったのを完全に敵国の人間と認識を改めたのが態度から分かったが、俺としてはその方が良かった。今のラケルデモンと同じだなんて虫唾が走る。
ああ、後は嫌がらせもあるんだろうな。
しかし、斜線陣を編み出したエパメイノンダスは、どう出てくるか。
ラケルデモンに負けてもらうわけにはいかないが、大勝されては戦後が遣り難くなる。どう引っ掻き回すのかが肝要だと感じていた。
そして――。
母国よりも敵の将軍の戦術に思いを巡らせ、マケドニコーバシオ側の立場でこの一戦を考えている自分に気付けば、微かに笑みがこぼれた。
悪い気はしない。
上手くこの一件をまとめて、皆に自慢してやるためにも早く国に帰りたいものだな。
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