Alphekka Meridianaー30ー
「少々お待ちを」
議論を止めたのは、プトレマイオスが送ってよこした
ラケルデモンの連中の視線や表情は、自分達以外の全てを見下していて、ゴミや腐りかけの死体でも見るような目を向けていたが、敢えて助け舟は出さずに見守った。
ここで手を引けば、コイツの自立が遅れる。
他国の思惑が絡み合ったあの島での外交、そして、武人として俺達
続きを促すように軽く頭を動かして視線を向ければ、見習いは軽く微笑んで続けた。
「今回の戦争に関してアカイネメシスからですが、アテーナイヱ艦隊がアフリカ北西部の旧古代王国領の反アカイネメシス派を支援したことで、アテーナイヱへの支援……と、言いますか、
ヴィオティアとも手切れになったってことか?
この場ではっきりと尋ねるわけにはいかないが、おそらくそうだろう。奴隷販売にかこつけて出方を探っていたんだし、他にアカイネメシス側の方針を知る術は無いはずだ。
軍を動員しないって分かったのはありがたいが、引き際が良過ぎるのは不気味だな。投入した資金に見合うだけの物も回収できていないだろうに。
しかし、考え込む俺を他所に、現実からその意図を察せない直情的な連中――というか、この場にいるのは仮にもラケルデモンの支配者層なんだから、ちっとは頭を使えと怒鳴りたくもなるが――が、ラケルデモンの武威に恐れをなしただの、勝手な思い込みで騒ぎ始めたので、テーブルを叩いて黙らせてから口を開く。
「アテーナイヱの行動を縛れない以上、かつての海上覇権を取り戻させないためには、戦争の早期決着が必要で、それは艦隊で海岸線を荒らしまわる連中と戦うよりも、今回の戦争の元凶の排除が急務ということだな」
おそらく、そのアテーナイヱ側の圧力がレスボス島全体に悪影響を及ぼしているということは、わざわざ伝令を出したという事実が証明している。
ただ、こちらにはアテーナイヱ艦隊を潰せるだけの海軍戦力はない。
ならば、今回の戦乱の指揮者を取り除き、それでもアテーナイヱが暴れる場合に、ヘレネス全体で足並みをそろえて懲罰するしかないだろう。
伝令の見習いは頷き「それと――」と、言葉を付け加えてきた。
「アカイネメシスが、講和を申し出てきました」
「講和? アカイネメシスが?」
予想外の一言に場がざわめき、俺も眉間に皺が寄ってしまう。
「
そう詳しく説明されても意図が読みきれなかった。
アカイネメシスとしては、ラケルデモンとマケドニコーバシオの二国の強大化を止め、
確かに、ヴィオティアの台頭やアテーナイヱの再建でかなり引っ掻き回されたのは否めない。
だが、遣り様はいくらでもある。
アテーナイヱなんかは、戦場で戦わなくとも、民主制を利用し資金面から……。
戦わなく、とも?
ふと、暗闇に光が灯ったような感覚がした。
「……それは、アカイネメシスともか?」
頷く見習いは「和平案を呑まない国に対しては、和平案を結んだ国家と共同でアカイネメシスが攻め込む、との条文も盛り込むそうですよ」とも補足した。
ふ――っと、長い溜息を吐く。
周囲のざわめきは無視した。アカイネメシスやヴィオティアを罵ったところで事実は変わらないし、こんな船上で罵られても痛くも痒くもないだろう。むしろ、そうして悪態をつかされている事実こそが、連中に出し抜かれたことの証明でもある。
しかも、アカイネメシスの勝手な振る舞いを罵る目の前の連中は、その真意――深い戦略的意図さえ量れていないのだ。
エパメイノンダス、か。
食えない男だな。
テレスアリアの作戦の破綻と、アカイネメシスと戦っていたラケルデモン兵の帰還を察し、負け始める前に勝負そのものを締めるつもりだ。アテーナイヱはともかくとしても、ヴィオティアとアカイネメシスはおそらく切れていない。
今回の戦争結果を以って、戦後の
正攻法ではある。
だが、戦争という非日常でそれだけ冷静に行動できる者は少ない。吹っかけた戦争で、十分な余力が残っているのに他国を上手く使ってまとめにかかるなんて、そんな指導者を俺は……そうか、アイツか。
かつて人質だったとは聞いていたが、マケドニコーバシオ国王は随分とその薫陶を受けたらしいな。
マケドニコーバシオ国王がかつて言ったとおり、エパメイノンダスを討つ。これは、蓋然性の結果であって、あの国王の言いなりになったわけじゃない。そう心の中で自分自身に言い聞かせていること自体が、現国王にどこか不安を感じているせいかもしれないが。
「和平の仲介をしてくれるなら、してもらおうじゃないか」
悪口に勤しんでいる船上で、俺は肩を竦めて大声でそう宣言した。
周囲の視線が集まる。
ですが、と、誰かが言う声に被せて俺は高らかに告げる。
「ヴィオティアの全ての都市を独立させた上でな。今回の戦争を主導したティーバを丸裸にしてやれ」
一拍後、悪口に終始していた連中の口から雄叫びが返ってきていた。
ラケルデモン側から派遣されてきた使者達は、コリントス地峡にいるラケルデモン軍の進路をヴィオティアとすることを固く約束して帰っていった。今回戦場に赴いているのが俺と亡命ラケルデモン人、メタセニア人だとしても、これは国と国との約束だ。容易く反故するわけには出来ない。
状況的にそうなるだろうとは思ったが、正直、ラケルデモン軍に外征してもらいたくはないんだがな。占領地を与えれば、アカイネメシスがしゃしゃり出て来た講和で揉めかねない。
最終的な落とし所がどこになるかは、この戦い次第ではあるが、仮にこの一戦で
まあ、その部分に関しては本国で王太子達が既に対策を立てているだろうが……。
「ようやく、ここまで来たんだな」
と、背後から声を掛けられ、意味が分からないまま振り返る。
レオとアルゴリダで行動していた、ラケルデモン亡命人のひとりで、確か俺とは子供の頃に会ってるとか会ってないとか、そういうヤツだ。
甘さも甘えも抜けないヤツだが、排除して他所に行かれても面倒なのでレオに預けたままにしていた連中。そいつらの明るい表情の意味を量りかね、身体ごと向き直って改めて俺は首を傾げて見せた。
「この戦いでラケルデモンに大腕を振って帰国し、マケドニコーバシオの裏付けの元に行動できるじゃないか」
……ああ、コイツ等は、戦後に帰国するつもりなんだな、とは理解出来たが――。
バカらしくて絶句してしまった。
後ろ盾があるから安心だ、なんて、お気楽にも程があるし、そんなだから国を追われるんだよ。
これだけのことがあったのに、時代のうねりを前にしてなお、その程度の了見かと思えば、呆れ過ぎて笑ってしまいそうになる。
なんでなんだろうな、と、思う。
俺も、レオ達も、根本がそう大きく異なっていたとは思わない。いや、確かに俺と同じだけの地獄を見てきたとか、強さがあるとは思っていないが、それでも同じラケルデモン人で、同じような国政に組み込まれ、同じような教育を受けてきた。
そして、俺に引っ張られる形ではあったが、あの国の外を見たのに――コイツ等は、それでも学べないのか? 時代というものを理解できないのか?
……いや、今回の戦争で見てきたテレスアリア人もそうだった。行き当たりばったりで、なにかあれば他人のせい。
まあ、そういう生き方が楽で、陽の当たる場所から避けるような者もいることを既に理解しているんだが……。なんだかな。
才能の違い、そう言ってしまうのは簡単だが、では、才能とはなんだ?
「レオ……」
名目上、副官と任命していたレオの横に並ぶと、勝手に戦勝後の私利私欲の算段をつけている連中を尻目に呟く様に――溜息の様に俺は口を開いた。
「これが、お前の、かつてお前等が正義と信じて運営した国家と市民の未来の姿なのか?」
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