Alphekka Meridianaー29ー
本来、ラケルデモンは、二つの王家と中央監督官の三権が独立し、相互監視と協力によって真にラケルデモン市民のための政策を決定する国家だ。今はエーリポン家の連中が権力を独占しているが、それ以外の権力を完全に駆逐、もしくは吸収したわけではない。一家で独占できる程、ラケルデモンは小さな国ではないし、思想を完全に支配することもできない。
レオ達亡命ラケルデモン人の伝手で、現在は非主流派となっている中央監督官を船に招き、戦況や現状の報告を受けていたんだが、俺が思っているよりも事態は早く動いているらしかった。
と、いうか、テレスアリアに進入したヴィオティア軍を破るのに、時間を浪費し過ぎたせいだ。
ミュティレアを出て七日。ペロポネソス半島へと俺達が到着した頃には戦局は大きく動いていて、プトレマイオスからの伝令も合わせて情報の整理統合が必要だった。
「ようこそ、お越しくださいました」
どこか気取ったような……レオとは歳が近いらしいが、年齢的にはもっと若そうに見える男が、気に食わない笑みで手を差し出してきた。
「……どうも」
マケドニコーバシオとしての立場である以上、握手を拒めずに手をとる。
鍛えていないわけじゃない。しかし、国民皆兵であるラケルデモンの支配層らしくない手の感触だった。傷やまめの位置、掛けられた手の力から察するに弱いのがはっきりと分かる。
「貴方様のお祖父様とは、懇意にさせて頂き、技術革新――鉄器の普及に努めたのですが……。お互いに苦労しましたな」
わざわざそこに触れてくるか、と、苦笑いが浮かぶ。
あの政変で、俺の味方はいなかった。
こうして、今になって、擦り寄られても虫唾が走る。
俺に当時妻はいなかったが、冒険の後に故郷へと帰還したオデュッセウスの行動を鑑みれば、俺が簒奪者達やそれに加担した者、悪徳を見ない振りした者その全てをどう扱うのか分かりそうなものだがな。トロイア戦争でオデュッセウスが戦死したと伝えられ、王の不在を利用して専断し、ペーネロペーに求婚し国家を再建するという名目で、放蕩にふけっていた者達と目の前の連中にどんな差異があるって言うんだ。
……もっとも、俺を呼び起こしたのが息子ではなく異母弟で、帰還の意思を決定的に挫き、望む望まざるに関わらず国を継承すべきなのが俺ではないと知らしめたのは皮肉だがな。
「時間がない。会談を始めよう」
硬い言葉、そして仕草の中にある葛藤にレオは気付いた様子だったが、微かに眉を動かすこと以外はしなかった。こういうのが老獪というのだろうな。
俺にはまだその境地に達することはできないと、心の底から思った。
「ええ、ええ。そうですね、こうして他国の軍隊を率いてくださったのですから、武功を立てて、何卒、中央監督官の地位向上と国家を正しい形へと戻す手助けを」
さっさと本題に入れ、とは口にできない代わりに俺は返事をせずに挙げた左手で話を促した。
ラケルデモン側の視点なので、全部が全部正しいとも思わないが、陸戦では勝利を拾ってはいる、との事だ。もっとも、勝ってるならマケドニコーバシオとの同盟や援軍の派遣要請なんて出ないだろうし、話半分程度に聞いておくほうがいいだろうが……。
しかし、海戦では相変わらずの負け続きで、ラケルデモンへの賠償金を完済したアテーナイヱがアカイネメシスの資金提供で艦隊を再編すると――この辺りは、ヴィオティアの捕虜から聞いていた話ではあったが、ヴィオティア人の思惑とは違うことも起きているらしいな――連中はまず旧領回復のためにアヱギーナを襲撃し、その後、ラケルデモンの海上輸送を完全に遮断した。
そのため、ぺロポネソス半島北部で優勢にヴィオティア連合軍――コンリトスやメガリスそれに復権したアテーナイヱが参戦しているので、便宜上そう呼んだ方がいいだろう――が戦っていたが、マケドニコーバシオがラケルデモンと同盟したことで、エーゲ海東岸でアカイネメシスと戦っていて取り残されていたラケルデモン軍がエーゲ海の海岸線を遠回りする形で帰還し、コンリトス方面の制圧に成功、これで残りの敵はヴィオティアとアテーナイヱとなっている。
「それで、今後の方針は?」
地図と各地に展開している軍団の情報を把握し、ラケルデモン側の使者に問いかける。
ペロポネソス半島は地峡で大陸とつながるという地形上、そこを封じられた場合孤島となる。コンリトスとメガリスを攻略したのなら、大陸側への最低限の交通路は開けているんだし、無理に海戦に及びはしないと思う。だが、進軍先の候補はいくつかある。
ヴィオティアへと攻め込むか、反旗を翻したアテーナイヱを懲罰するか、ペロポネソス半島に侵入している残敵を潰すか。
マケドニコーバシオは、戦線の拡大を行わず侵入した敵への対処だけだった。そして、海戦で勝ててない以上、アテーナイヱ本国を陸路で攻めても得るものは少ない。まっとうな人間なら、何を選ぶのかは解かり切っている所だが……。
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