Menkhibー2ー

 テレスアリアの港湾都市イコラオスでは、まだ俺の事を覚えている連中も多かったので、話の通りは早かった。

 いや、まあ、アヱギーナ・アテーナイヱ戦争後、すぐさまアテーナイヱ・ラケルデモン戦争が始まった混乱期に、よりにもよってアテーナイヱ籍船でキルクス達が合流したり、町から少し離れた場所でとはいえ兵士の訓練したり、降りかかった火の粉ではあったが、街道沿いの山賊を皆殺しにしたりしていたので、町の連中としてもそう簡単に忘れられなかったのかもしれないが。


「来訪は交易で?」

 港で、どことなく見覚えはあるが、名前までは思い出せない役人に訊ねられ、俺は首を横に振った。

「いや、エペイロスに向かうつもりだ」

 マケドニコーバシオの正式な身分証を提示すると、一瞬、役人は訝しむような顔になった。

 まあ、それもそうか、以前はかなり微妙な所属だったのが、いきなり隣国の正式な――。

「ん?」

 役人の呼び声に、思ったよりも多くの人間が港の詰め所から出て来て、何事か議論しはじめあがった。敵対的だったり否定的な表情ではないんだが、好意的ってわけでもなく……困惑していることだけは分かるような、そんな顔だった。

 だが、こっちが警戒して身構える前に、役人共は、急に丁寧に、そして素早く手続きを進め始めた。

「なんだ?」

 罠にでも嵌められたらたまったものではないので、そう問い掛けてみる。

「あ、いえ、その、マケドニコーバシオの、軍の発行の身分証でしたので」

「問題か?」

「いえ、まさか。ただ、貴国側からこちらへの連絡がなかったものですから」

 連絡?

 ちょっと引っ掛かる言葉だった。まるで、マケドニコーバシオは、人を派遣する際に事前に許可を受ける必要があるとでも言っているようにも聞こえる。

 ……まあ、確かに、以前この都市では、マケドニコーバシオの商人の品をかなり安く買い叩いていたんだし、差別意識はあるのかもしれないが――。

「だから、正式な代表でもなく、旅の途中で経由するだけっつってるだろ?」

「ああ、いえ、その。悪いとか、そういうことではなく」

 じゃあどういうことだと睨みつけると、役人は必要以上に縮こまってしまった。

「その……。ご存知でしょうが、以前は、一部の商人が不当な取り引きをしていることもありましたが、今は南からの輸入が途絶えておりますし……。それに、戦禍を免れるために、軍事面でも協力強化中ですよね? ですので、前以ってお話頂けておりましたら、こちらもそれ相応の受け入れの準備が出来ましたので」

 予想とは逆の反応に驚きはしたが、安く買い叩いていたのを一部の商人なんて表現する辺り、中々に神経が図太いと思って、つい笑ってしまった。

 意外と、マケドニコーバシオの対外政策は上手くいっているようだな。

 大分前の話だが……そうだ、エレニとエネアスだ。あの二人から、テレスアリアを商取引の面から、マケドニコーバシオへと引き込むように動いていると聞いていたんだっけ。

 まあ、海運大手のアテーナイヱがあんな状況じゃ、市場規模が大きくて、現在発展中のマケドニコーバシオに擦り寄ってくるのも分かる話だが。

 そういえば、あの二人は元気だろうか?

 ……って、そんな簡単に死ぬような連中でもないか。


 しゅんとしている役人に「だから、ちょっと通らせてもらうだけだ」と、もう何度目か分からない説明を繰り返すと、はい、と、頷かれ、国内への入国の許可と関所の通行許可証なんかを渡された。

 エンポリウム――対外交易用の港湾区画――を抜け、馬車を用立てるにもまずは市を覗くのが早いか、と、アゴラ――多目的広場だが、国内向けの位置や商店が並ぶ中心市街――の方へと足を向けてみる。

 護衛を求める商隊があれば良いんだがな。

 そうすれば、金を使わずに、むしろ用心棒代をせしめた上で、次の町か関所まで行ける。


 頭の後ろで軽く手を組み、ごく普通に歩き出したんだが――。

 視線がうざったい。

 服装にしろ、立ち居振る舞いにしろ、そこまで奇異では――まあ、確かに、普通の物の倍ほどの長さの長剣を背負ってはいるが、その程度だ。旅人や傭兵として珍しいって格好でもない。

 俺としては、ここに居た頃は、どちらかと言えば書類仕事ばっかりで、商売に関してもドクシアディス達に任せていたので、そこまで目立つことをした自覚があるわけではないんだが……。

 どうにも、町の連中の若干怯えた様子を見るに、少なくはない見解の相違もあるみたいだった。

 いや、マケドニコーバシオの正規の身分証のせいか?

 ふぅむ、と、顎をひと撫でして、露店の商人達に声を掛けてみると、その側にいた大男に――。

「ご、ご無沙汰してます」

 因縁をつけられるもんだと思ったんだが、丁寧に挨拶された。

「誰だ、お前?」

 マケドニコーバシオへと拠点を移した際に、こっちに残ったヤツでもいたのかと思って記憶を遡ってみるが……いや、そもそも、船に乗ってた人間の数が多過ぎて、下っ端の顔までは記憶出来ていない。

 つか、最後まで俺と直接会話しないままだったのも、多かったんじゃないだろうか?


 ガラのあんまり良くないその男を睨み上げると、見た目や立ち居振る舞いに反し、怯えたような声で答えられた。

「その、街道で……。今、通行を仕切らせてもらっています、あの」

 ……あ――、そういえば、あったな。

 本来は、山賊が街道を管理してるとかドクシアディスが言ってたせいで、家も国もない浮民に適当に武器と戦利品を流して、新たな山賊にさせたことが。言われてみれば、獣の毛皮をそのまま身体に巻きつけたような、野蛮な着こなしも、ごく僅かに記憶に残っている。


 そうだ。あれは、山賊殺して終わりってだけの話じゃなかった。

 ただ、大きな金の取り引きじゃなかったし、そもそも仲間に引き込みたいと思えるような実力がある連中にも見えなかったので、単なる事後処理のひとつとして軽く流していただけで。

 しかし、あれから一年近くが経って、無事に生き延びているところを見るに、そこまで無能ってわけでもないのか。

 新興の山賊連中を、改めて観察する。

 山小屋や洞窟の死体をそのままに引き渡したはずだったので、その際に俺に関することも聞き及んでいたのか、周囲の露天の数名と合わせ、直立不動の姿勢をとった八人の男。

 不健康ってわけでもなさそうだし……。

「ああ……。じゃ、お前等でいいか」

「は、はいぃ?」

 軽く、ごく普通に声を掛けたんだが、露骨に肩をびくつかせている。

「馬車はあるか?」

「あ、はい、それは、勿論。ええ、あの……」

「出所を言えってわけじゃない。そんなおどおどするな」

 まあ、多分、綺麗な仕事で得た馬車でもないんだろうが、俺は別にこの国の役人でもないし、すでに持ち主は死んでるんだろうから、それをとやかく言うつもりはない。

 単に、前に手助けしてやったんだから、今は俺のために働けと言っているだけだ。

 もしくは、力でお前らが奪ったものなんだから、俺がお前等から力で奪っても別に文句はないだろう? という脅しだ。

「はい、……はい」

「前の借りを返せ。エペイロス国境の関所まで、出来るだけ早く案内しろ。くれぐれも、妙な気は起こさないようにな」

「はい、勿論です。殺されたくは、ありませんから」

 意外と聡明というか、分を弁えた言葉が出て来て、つい噴き出してしまった。

 前任者達の全滅の故事からか、統率も充分に取れているらしく、キビキビと動く山賊を見て、悪名は悪名で役に立つんだな、と、不思議な感慨を覚えた。

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