Marfakー4ー

 航海は順調だった。敵の哨戒網に引っ掛からないどころか、行動中の軍艦が全く確認されなかった。それだけじゃなく商船も。

 これまでの経験から言えば、順調過ぎる時は苦境にある時よりも、が起きる。ラケルデモンを脱出した時も、戦争に関わった時も、武装商船隊を率いていた時もそうだった。

 そして今まさに――。


「バカな! 陥落しただって⁉」

 偵察艦からの報告に、攻略部隊を乗せた輸送艦隊の旗艦に動揺が走っていた。

 こう、思ったことを素直に口にしてしまう部分が、ネアルコスはまだまだだなと感じた。夜盗や、蛮族相手で、優勢な戦いしか経験していないから、想定していなかった状況に戸惑ってしまう。

 まあ、一度経験さえすれば、後は勝手に学習できるんだろうけどな。

 そういう部分が、ミエザの学園で英才教育を受けてきた王の友ヘタイロイと、劣勢下での戦闘を繰り返してきた俺との一番の違いなのかもしれない。


 連絡してきた偵察艦の兵士だけではなく、事態を重く見てか、輸送艦隊の周囲を固めていた戦闘艦からキルクスとドクシアディスもこのガレーに来ていた。が、アヱギーナ・アテーナイヱ戦争でクソな戦場を見ているはずのこの二人にしても、どうして良いのか分からないとでも言いたそうな、途方にくれた様子でただ突っ立っているだけだった。キルクスとドクシアディスは、やはり経験から学べる人間ではない、な。


「落ち着け」

 声はいつも通りに、ただし、ざわつく周囲の兵士の耳目を集めるために乱暴に――元は食料が詰められていたが、船旅で空になっていた木箱を蹴転がし、どっかりと俺は座って、膝に肘をつき、顎をその手の甲に乗せて主だった連中を睨めつけた。

 ようやく、将が軽々しく動揺すべきでないと悟ったのか、ネアルコスは口を閉ざして一歩下がった。ラオメドンが俺の左側を固めたのを確認してから、俺は小さく頷き、わざとゆっくりと話し始めた。

 ……そう、少しだけ、王太子の姿勢を真似るようにして。

「古今の歴史を紐解いても、そういう瞬間は、確かにあるんだ。警戒すべき部隊がたまたま不在で成功した奇襲や、逆に、完璧な準備で望んだ攻城戦が、たまたま滞在していた精鋭に破られたり、な。充分な城壁を備えたミュティレアが短期間でアテーナイヱに敗北することも、無い話では無いさ」

 戦えば、勝つこともあるし負けることもある。今回は、たまたま後者だったってだけだろう。別に、そのぐらいの事で、驚く必要を感じない。

 肝要なのは、その状況をどう利用するか、だ。

 神々は、神話の故事に拠らずとも気まぐれなな連中だ。人智を嘲うように、狙い済ましたようなタイミングで考えもしなかった一撃が降ってくる。だが、それを跳ね返すのは、英雄だけではない。人知をもって、策謀を巡らし、時には神も捕り込める。それが、人間だ。


 しかし、疫病に兵糧攻めと苦しい立場だってのに、アテーナイヱも中々ヤるものだな。

 ……いや、だからか。

 劣勢下で都市の離反を放置すれば、一斉に殖民都市が中央から離れていく。商業国として、各地に広く拠点港を設けているアテーナイヱとしては、それは決定打になる。流通網が無ければ、海運で金を得ることも出来ず、兵も物資の供給も断たれるんだからな。

「戦時に、平時と違うことが起こるのは当然と思って行動せよ。その上で、どうすれば戦略目標を達成できるか、変化する状況に柔軟に対応せよ」

 はい、と、答えた俺達の軍は綺麗に整列し、俺、そしてその左右を固めるネアルコスとラオメドンに視線を向けた。

 どこか取り残されたように……エレオノーレの水夫とキルクスにドクシアディスが佇んでいる。


 フン、と、鼻を鳴らしてから俺は再び口を開いた。

「それに、既に陥落しているなら、戦いが楽になっただけだ。根拠を話す、聞き逃すな」

 さっと視線を甲板に巡らすが、どの顔も真っ直ぐに俺の目を見詰め返している。充分だ。

「第一に、戦闘後である以上、防衛側も攻撃側も兵は損耗し、城壁にも綻びは出来ているはずだ。我々は、その弱った部分を衝くだけで良い」

 指をひとつ立てて、戦術上の利点を述べ、続いて戦後統治に関する利点を二本目の指を立てながら告げた。

「第二に、正当性の担保だ。戦時中のアテーナイヱは、離反が相次ぐのを防ぐため、厳しい処罰を与えるはずだ。我々は、それを止めるだけで市民の味方と喧伝できる」

 表情はともかくとして、内心では戸惑いがあった兵もいたんだろうが、空気が……緩むと言ってしまうと語弊があるが、雰囲気の重さは消えた。

 俺は更に続けた。

「そして、第三。季節は、既に冬に入りつつある。海の荒れを感じているだろう? 冬の間に、俺達は充分に島の再軍備を行える」

 報告に来ていたエレオノーレの水夫連中も安心した様子で、甲板に立ち込めていた暗雲は去った。

 ただ、ドクシアディスとキルクスの顔色が優れない。まだ、なにか厄介事があるらしい。

 まあ、前みたいに隠されるよりはましか、と、少しだけ自嘲的な笑みを浮かべ……兵に気付かれないように、微かに嘆息する。

 ネアルコスが片方の眉を上げ――、色恋以外の心の機微にも聡いのか、俺の視線を追うことで概ね状況を察した様子だった。

「船室の準備を頼む」

 小声で頼むと、すぐさまネアルコスは船倉へと降りて行った。


「作戦を変更する理由も必要も無い。各々、小事に囚われず、自らの成すべきことを成せ」

 話をまとめ、甲板に集めていた兵を其々の持ち場へと戻し、キルクスとドクシアディスの二人だけを右手で呼びつけ、先に船倉へと降ろす。

 ラオメドンも先に降ろしたかったんだが、俺の左斜め後ろについていたので――まあ、背中は任せるか、と、そのまま俺がキルクス達の後ろを押さえる形で……。

「こちらですよ」

 ネアルコスが準備した小部屋へと入った。

 普段は会議に使うような部屋じゃない。食料や水なんかを積んでいたが、航海中に消費して空になった小部屋だ。密談にはもってこいだし、コイツ等の立場を分からせる意味でも良い選択だったと思う。


 出入り口を俺達三人が押さえる形で、部屋の中程で振り返った二人に問い掛けた。

「で? なんだ? まだなにかあるんだろう?」

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