Marfakー8ー
維持兵は予想されていたよりも少なく、攻略は思っていた以上に簡単に進んだ。
潜んでいる敗残兵はまだ居るかもしれないが、組織立った抵抗は既に行われていない。
まあ、冬という季節、それに、ラケルデモンからは遠い場所ということでアテーナイヱとしては、あまり兵を駐留させておきたくはなかったんだろう。伝令が出る程度には穴があるようだが――おそらくラケルデモンも、あのアクロポリスと外港都市ペイライエウスを連結させている巨大な城壁は攻めあぐねているんだろう。んで、塞がっていない海は未だアテーナイヱの支配下にある――、アテーナイヱの主要都市に対するラケルデモンの包囲は続いているらしいしな。
ラオメドン率いる重装歩兵が守る港からアゴラへと直通している大通りを、嫌味にならない程度に着飾ったエレオノーレが、キルクス達護衛のアテーナイヱ亡命兵を連れてゆっくりと進んでいった。
そのエレオノーレと逆に向かい、俺は港でラオメドンとネアルコスと落ち合った。
断罪される予定だった市民は、どっちみちアゴラに集まっていたのでわざわざ市内から引っ張ってくる手間は省けている。つか、市民のほぼ全員が、事態を把握しようとアゴラに集まってたしな。
アゴラは、劇場のようにテアトロン――壇上を見やすいように傾斜を造った観客席――が整備されては居ないが、劇場よりも広く、演説のために人を集めるにはそっちの方が都合が良かった。
戦闘中の混乱で非武装の市民にも軽傷者も出ている上に、それ以前に虜囚としての扱いを受けていた事による疲労の色が濃いせいだ。だから、今回は、適当に座らせてエレオノーレの話を聞かせることになっている。無論、視界の確保以上に、座らせておくことで攻撃のための動作数を増やし――エレオノーレに危害を加えようとした場合、まず、立ち上がるもしくは四つん這いで這って進む必要があり、いずれの場合でもかなり目立つ――敵を発見しやすくする効果も期待しての事だ。
「とりあえず、反乱の指導者は市民とは別で拘束されており、戦闘の混乱によりアテーナイヱ兵により殺された」
ネアルコスに、困った人だと目を細められたので、俺ははっきりと弁明した。
「これに関しては、本当に俺が殺したわけじゃないぞ。そもそも、アゴラへ向かったのはラオメドンだっただろ?」
アテーナイヱは民主制であるため、ラケルデモンのように法務の知識のある監督官が罪を裁く形ではなく、籤で選ばれた市民の代表が適当に判決を下すシステムだ。犯罪の重要度によって、陪審員の数は増減するが、基本的には窃盗だろうが国家への反逆だろうか同じ民衆裁判所で裁かれる。
場所さえ分かっていれば、そう難しいことじゃなかった。
重要なその場所を、敢えて最後に攻めれば、どうなるかなんて分かりきっている。
「ええ、なにもしなかったんですよね? 全て解っている上で」
しれっとした顔で訊き返すネアルコスも、別に俺を責めているわけではない。ただの事実確認だろう。今後の口裏あわせのためにも、早めに情報は共有し、秘匿しておく必要がある。
「そうだ。その方が、俺達が殺すよりも話が早いからな」
不正の証拠があるとはいえ、指導部の抹殺は慎重に行う必要があった。旧支配層に不満を持つ市民を重用し、法令の改定で利益を斡旋して懐柔し、多数派工作を行ってから旧指導部を排除する。それが正当なプロセスではある。が、時間を無駄に遣うことにもなってしまう。
それなら、ごく少数の聡い者が疑問に思ったとしても、手早く始末する方が利益になる。そもそも、最初の予定でも戦争のドサクサ、もしくは、不正の証拠による裁判で処刑する予定だったんだし、むしろ、アテーナイヱの占領兵が殺してくれたのは僥倖とも言える。
……ん? ああ、そうか、もしかして、ネアルコスはアテーナイヱ兵が今回の反乱の指導部を生かして連れ去ることへの懸念を伝えているのかもしれない。
確かに、包囲も万全を期してはいたが、土地の者だけが知る抜け道なんかはあるのかもしれないしな。
もう少し、慎重にするべきだったか?
結局は大丈夫だった、ではなく、予定通りに事が進むために出来るだけの事をする。楽な戦いと奢っていたわけではないが、事前に綿密な打ち合わせをしていた以上、もう少しは気をつけるべきだったな。
言いたいことは分かった、と、頷いたところで、アゴラの方から大きな歓声が聞こえ、すぐにしんと静まり返った。
「アゴラでのエレオノーレの演説が始まったようだな」
出だしは好調と言ったところか?
まあ、アイツの事だし、最初に生命と財産の保護を約束したんだろうしな。容姿も……昔より、綺麗になってはいるんだし、支持も取り付けやすい……か。
「公文書館は押さえているな?」
アゴラに併設するようにして、議事堂や造幣局、その他様々な公共施設が建ち並んでおり、あらゆる記録はこの世界を生み出したとされる地母神神殿へと収められる。
ラオメドンが、当然と言った様子で頷くのを確認し、俺は次の命令を出した。
「では、向こうの護衛を頼む」
一瞬、キョトンとした顔で首を傾げてみせたラオメドン。
「キルクスだけで充分だと思うか? こちらは、問題ない。むしろ、ネアルコスの部隊も向こうに送っても良いくらいさ」
基本的に、アゴラに集められた連中から目的の権力者・豪商・軍の指揮経験者を探し出して引っ張ってくるだけなら、俺の部隊だけでも充分と言える。指導部が全員死んでいる以上、名簿の残りは三分の一程度だし。
裁判の観客も、キルクスに出させた偽の群衆に扮した一隊で充分だし、念のために無産階級の人間に適当に声を掛けて連れ出せば、エレオノーレの融和になびかなかった人間も、俺達の過激な改革とそれによる成り上がりへの熱狂に引き込まれるだろう。
状況を把握し、納得したのか、ラオメドンは無言で……おそらく、兵を潜ませやすく、また、神殿前に設けられた仮説の壇上へと突入しやすいペリスタル――柱列で区切られた、神前の小さな噴水つき緑化公園――へと向かっていった。
「さて、証拠を提示した簡易裁判でとっととお偉いさんを殺して回るか」
背負っている長剣を左手で提げ、先陣を切って劇場へと歩き出せば、ネアルコスから露骨に驚いたような声を上げられてしまった。
「アーベル兄さんが斬るんですか?」
肩越しに振り返る。
最初、驚いているだけだったネアルコスの顔は、すぐに俺を非難するような顔に変わっていた。
うん、言いたいことは分かっている。
処罰・処刑は、ある種の見世物でもあり、それを行う執行人も、それほど身分の高いものが就くことはない。まあ、あまりに下級な無産市民も就任出来ないが……少なくとも、占領軍の司令官が行うのは、あまり良くは無いんだろう……。
しかも、反逆者ではない市民の死刑は毒を与える方が一般的だし……。
「……いや。ん、む。軍が優秀なのは喜ばしいんだが。滾ったところで終わったせいで、燻ってる。思い通りに、斬ってないっつーか、手応えが欲しいっつーか」
気まずさを隠せずに頬をかいて、視線をネアルコスからやや外して答える俺。
盛大な溜息が聞こえた後――。
「程々に、ですよ」
一応の同意が得られたので、俺はにこやかに笑って答えた。
「分かってる。罪人の身分が高いので、それに応じた対応とでも喧伝するさ」
劇場へと向かえば、エレオノーレの居るアゴラとは別の熱気が出迎えた。
そう、人間は、理知だけでも生きられないものだ。競い合い、憎み合い、そして、殺し合うこともまた人間の本質でもある。
戦闘を追えた後の兵士も、戦いでの激情を冷ますため、こうした見世物を求めている。
剣を抜き放つ。
切っ先と柄元だけを鉄と木で補強し、抜きやすくしてある牛皮の鞘が、くたりと地面に落ちた。
「廻船業、ヴァシリ、議会への不正献金により死罪とする」
縄を打たれ、引き出された罪人が弁明の声を上げようと顔を上げた所で――。
ドサッと、重いものが転がる音は、はっきりと響いた。
諸君、という呼びかけは、本当に響いた声だったのか、身体を抜けたプシュケーの声ではない音の叫びだったのかはっきりとしない。
歓声がより高くなった。
次いで引き出されたのは、アリアナと呼ばれた中年の女で、公共娼館の主の地位を金銭と色香で奪った罪により死刑。
評議員コスティ、派遣元のアテーナイヱとの共謀罪により死刑。建築家フリストス、都市地図のアテーナイヱ流出により死刑。死刑、死刑、死刑……。
刃が、皮に触れた際の僅かに弾かれるような抵抗。刃を引くことで皮を斬り、肉を分け入る弱い抵抗。骨を断つ手応えの後は、骨に当たって込めた力の余韻で一気に切り離される肉と皮。
上手く加減し、地面に刺さる前に止まる刃。
秋の終わりの寒々とした空気の中、ムッと立ち上る血と脂肪の臭いを含んだ湿った空気。
王太子、そして、
そう、周囲が、どんな思惑で唆そうとも……今アゴラで慈愛を説くエレオノーレと俺は、決して交わらない線だと、人を斬る感触に緩んでしまう口元が照明していた。
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