Marfakー7ー

 護衛艦隊と分離し、エレオノーレ達をキルクスの船へと――もちろん、こちら側の護衛要員込みで――移乗させ、その一隻だけを港が視認できる距離まで先導させた。


 舳先に立ち、港を観察する。

 艦隊は……存在していないようだな。

 船影が見えないわけじゃないが、戦闘用の三段櫂船は見当たらない。周辺を紹介している船も無さそうだった。おそらく、大部分はアテーナイヱ本国へと回航されているんだろう。まあ、アテーナイヱ・アヱギーナ戦争では、戦勝後に急襲を受けて戦利品を全て失ったことに対する教訓なんだろうな。戦時下の今、軍船は貴重なんだし。

 都市から港、桟橋を含め、ぐるりと周囲を囲む城壁に視線を巡らせ――。

「あの崩れた城壁から突入しよう。進路を調整、この船を乗り上げろ」

 水門へと繋がる城壁の一部が崩されていて、多少急ではあるが梯子を掛けずとも登れるだけの斜面が出来ている。水深が浅くなっているので、船底を擦る可能性はあるが、それなら衝角ごと乗り上げて船体を安定させれば、飛び移りやすくなるだろう。

 修繕費は……まあ、戦闘を速やかに終結させる利益の方が上だろうな。


 位置的には、城壁の最外郭部で都市の中枢までは距離があるものの、城壁のアテーナイヱ兵に背後を衝かれるよりは掃討しながら進軍した方が、危険は少ない。なにより、水門を押さえられれば、ラオメドン率いる重装歩兵隊の突入がしやすくなる。ネアルコスの部隊なら、上陸しなくても、側面の大盾を利用した簡易要塞として、援護射撃で城壁上の兵の移動を牽制することもできるだろう。


 右腕を払って、キルクスの船の行き足を止めさせる。先行するのは、俺の遊撃隊を乗せた十隻のガレーだ。

「さて、諸君、目の前の都市が見えるか?」

 舳先で振り返り、甲板に完全武装で整列させた自軍を見おろす。

 遠足程度だったとはいえ、北伐に参加させ実戦を経たからか、過度の不安や緊張をしているものは見当たらなかった。

「アテーナイヱ銀貨にエレクトラム貨、たんまりと溜め込んだかねの街だ」

 軽く口元に皮肉の笑みを浮かべて告げると、微かに笑い声も聞こえて来た。

 平常心を保てている。良い傾向だ。

「遠慮は要らない。兵士は、全て殺せ。指導部も全て殺せ。あの都市の全てを俺達で頂く」

 右の拳を目の前で強く握り締める。

 伝播する狂気を、はっきりとその瞳に感じた。

 そうだ、これが、俺の軍隊だ。

「再び以前の暮らしに戻りたいか? 食うものにさえ困るような生活がしたいか?」

 随伴している味方の船にも聞こえるように、声を張り上げる俺。

 否、と、船を……いや、周囲の海や大気を揺るがすような声が上がった。

「そうだ! 俺達は、今や王太子の直属の軍隊のひとつだ。お前達は、王の友ヘタイロイである俺と共に歩む戦士だ。これは、俺達が待ち望んでいた戦争だ。今こそ力を示せ。どこのどいつだろうと、俺達を認めざるを得ないだけの戦果を示せ!」

 応、と、再び鬨の声が上がった。


 船が、先ほどよりも上下に激しく揺れた。速度が増している。都市が、城壁が近づいていた。

「突撃!」

 剣を抜き、その切っ先を突入地点に向けた。


 最初に、細かな振動が、そして、陸に乗り上げたのが分かった瞬間、音と揺れが一緒になったような衝撃が突き上げてきて――。

 軽く飛び上がれば、すぐに取り付ける。そんな、崩れた城壁の隙間を塞ぐような位置にこの船が突っ込んでいた。計算通りだ。

「ペライのヨルゴス! 先駆け致します!」

 衝撃から持ち直した兵士が、俺の横をすり抜け、城壁へと飛び乗った。

「行けぇ!」

 俺自身が先頭に立ちたいという気持ちはあるが、全体の指揮も取らなければならない。過度に前に出るわけには行かなかった。元はならず者が多いとはいえ、こいつ等も今や精鋭だ。

 俺が前に出れば、それを援護し、後方を守り、左右を固めるため、命を賭してでも前進してしまう。

 無駄な犠牲を出すわけには行かない。

 ……損得感情だけではなく、そう、手塩にかけ……愛着の有る部下だから。


「投石隊、水門の確保、解放に向かいます」

 城壁の警備隊と前衛がぶつかったところで、俺の背後から後衛を務めている一隊が船の右舷側を接する城壁へと飛び移り始めた。

「よし、行け! 敵は混乱してる、勢いで押し切れ! ただし、確保後は移動するな。近付く敵のみを狙い、敵の漸減に務め、前進せずに水門を守れ」

「はっ!」

 横幅の限られる城壁では、敵は防衛戦時の数的優勢を全くといっていいほど利用出来ない。高所の有利に飛び道具、通常なら取り付く事が難しい城壁も、内部に侵入さえしてしまえばこちらのものだ。

 しかしこちらの投石部隊も、味方が視界を防いでしまうため、充分な遠距離支援攻撃は出来ない。もっとも――。

 俺の前方を固め、敵と切り結ぶ前衛。敵の後列が、穂先を上に向けて構えていた槍を下ろし、味方諸共こちらを貫きに掛かろうとしたところで……、敵の悲鳴が大きく響いた。

 ネアルコスの弓兵を乗せたガレーが、海上から敵の中段を射ち崩している。

 支援攻撃は任せて大丈夫だろう。むしろ、兵でごった返している今、下手に上陸させてしまうと、俺の部隊が射線を塞いでしまう可能性も有る。良い判断だ。


 予想通りだが、アテーナイヱ軍は戦後処理のため、武装解除した都市の市民を逃がさないように薄く広く外周を覆うように布陣しているようだった。

 油断するつもりは無いが、準備の段階で、すでにこちらに分がある。

 疲労に応じて前線の兵を入れ替えつつ、虱潰しに進んでいけば良い。それに――。


 前線の兵士が、姿勢を崩したのを見て、一撃を受けたのだと判断し、思考を止め、味方を押しのけて前へ出た。

「らあぁああ!」

 声の限り叫んで、敵の胸の少し上、首の付け根付近を横一直線に斬り払う。


 城壁の中央に立てば、俺の刃圏は軍道の横幅とぴったり一致する。こうした隘路では、槍の長さはかえって邪魔だ。俺の軍の装備している投擲用の短い槍や剣の方が勝手が利く。

「左右、固めろ!」

「負傷者を後方へ運べ、船で治療するんだ」

 分かってきている、と、感じた。

 指示を出す前に、するべきことをし始めている。


 しかし……まあ、折角前に出たんだし、少し遊んでやるかな。

 俺の装備を見てか、敵の中の一人が、槍を捨てて剣を抜いて前に出てきた。一騎打ちのつもりのようだった。腕に自信があるというよりは、若いので恐怖を知らないだけのように見える。

 ……こんなのに、時間を掛けるつもりは無い。

 無造作に踏み込み――その作られた隙に慌てて剣を振り抜こうとした敵――、敵の身体の無駄な強張りをはっきりと視認し、だらりと伸ばした姿勢のままにその眉間を貫いた。

 次いで、右手だけで握っていた剣に、左腕を沿え軽く右膝を曲げて、強く左足で踏み込み、敵の死体を敵の戦列へと放り投げる。

 味方の死体、それに心を捉えられ、敵の動きが止まった。再び鎧のない首の付け根付近を、右から左へと薙ぎ払い、左手を離し、半円を描くように剣の軌道を変え、右手だけで敵の脛当の少し上の位置を、今度は左から右へと薙ぎ払う。

 大雑把な斬撃なので、生き残りも居ないわけではない。だが、俺が追撃に移る前に、味方の兵士が倒れた敵や下がろうとした敵を槍で貫いていた。

 最前線に立ってはいるんだが、昔のように縦横無尽には暴れられないな、と、誰にも知られないように俺は詰めていた息を吐いた。

 軍団兵が左右を固め、前方の敵だけに集中できる環境が出来てしまっている。俺が進むよりも早く、後方から警護のための兵が前に出てしまう。

 思ってた以上に優秀な自分の兵には満足だが、ほんの少し、どこか寂しいような、残念のような……この歳で言う台詞でもないのかもしれないが、子供が自立する時は、きっと、こんな風に感じるんだろうな、と、思う。

 ……そうか、俺は、頼られるのは、嫌いじゃなかったのか。


「こうした密集状況では、槍はその穂先の一点から線の攻撃しか出来ん。後れを取るな!」

 突進する代わりに、大声で檄を飛ばす。

 俺の声は、普通よりも大きいらしいので、敵は萎縮するし、味方は安心する……そう言っていたのは、王太子、そしてプトレマイオスだったな。


 敵の抵抗を判断し第二列を押し出し、手傷を負った最前列を下げて後方で再編させる。二千程度の兵は連れてきたが――その内、俺の軍は補助兵込みで四百未満で、ネアルコスが七百前後、ラオメドンが千近い数を揃えている――その全員が一度に上陸しては、味方の数で身動きが取れなくなる。現状、半分以上が予備戦力となっているが、それを使うつもりは無かったし、その必要性も感じていなかった。

 隘路でせめぎあっているせいで、前進速度は遅いが、こちらが押している。確かに敵は、兵士をどんどん送り込んでは来ているが、兵数に見合った圧力を感じては居なかった。


 ここに残留していたアテーナイヱ兵は、戦後処理ということで、戦いへの準備が出来ていない。敵の心が戦闘に備えていない。ラケルデモンとの激戦の中で、ようやくミュテレアを攻め落としたという心理から、里心が芽生えている。現に――。

 こちらの兵に、槍を叩き折られた兵士が、両手を挙げて叫んだ。

「降伏する」

 その兵士を殺せる位置にいた敵の兵士は、しかし、自らの武器を捨て、追従した。

「助けてくれ」

「もう、嫌だ……」

 武器を捨てた兵士を無視し、抵抗を続けている側に攻撃が集中している。躊躇ったように、第二列の兵士が投降してきた兵を連行しようとしたので、その捕虜の三人を斬って海へと蹴り落とした。

「アテーナイヱ人は全て殺せ、命令を忘れたのか?」

 鋭く睨みつければ、ソイツは震え上がり――。

「……行け。この失態を挽回できるだけの戦功を示せ」

 最前列へとしゃにむに突っ込んでいった。


 奴隷として売るにも、時節というモノが悪い。冬の航海は危険であり、島内で個人所有の奴隷として売るしか方法が無い。現地の連中と結託されると厄介だ。また、捕虜として身代金を要求するためには、アテーナイヱとの接触が必要だし、そうなれば処罰を軽減するという話が伝わってしまう危険性がある。

 少なくとも、春になるまではその話をこの島に広めるわけにはいかない。春になり、山菜や海の恵みの増している時期ならば、俺達への反感も鈍っているだろうし、処罰軽減もどうせ後出しの話だとアテーナイヱ本国の心象を悪化させるために利用できる。

 だから、今は、余計なアテーナイヱ人は殺すに限る。


 脅しの恫喝が最後のダメ押しになったのか、鍋で湯を沸かすよりも早い時間で、海上の城壁を抜け、港湾施設へと達した。

 港の敵兵士は、城壁へと援軍を出していたためか少ない。城壁の制圧状況は、海側は占領し、都市をかこっている陸側の城壁の残りが約三分の二といったところか。

「前衛は、港湾施設へと転進する。中段、後衛は外周に沿って前進せよ。伝令、水門へと向かいラオメドンに突入の合図を出せ。仕上げに掛かる」

 三名の兵士が、水門に向かって駆け出した時、俺の左手側を固めていた兵士が叫んだ。

「ネアルコス様の船が、浜へと上陸いたしました」

 見れば、近くの海岸線にネアルコスの率いるガレーが乗り上げ、網が降ろされて兵士が続々と上陸し、砂浜を踏み固めていた。

 流石の判断力だな。

 これなら桟橋をラオメドンに全て使わせられるし、城壁の俺の軍の兵站線を圧迫しない。

「俺とあと十名来い、西門を開ける」

 西門の城壁部分は既に落としているので、都市部からの敵の反抗に警戒できる程度の兵士がいれば充分だ。

 少数精鋭で、門の横手の巻き上げ機を三人がかりで引き上げさせる。通常なら、城門をやすやすと開けさせるわけはないんだが、既に水門を失い、城壁の攻防では劣勢の敵は、完全に浮き足立っていた。

 どこか、のんびりとした調子にも見える堂々とした行進でネアルコスが西門から進軍し――。

「報告! ラオメドン様の重装歩兵展開を完了。アゴラへと続く大通りを二十三名十六列にて進軍中!」

 振り返れば、主要道路は道幅の全てをラオメドンの重装歩兵が埋め、アゴラへと続く道意外にも、東門や北門にも向かって前進が開始されていた。

「城壁は?」

「北門にて、最後の部隊と戦闘中」


 第一目標は既に達しつつある。

「キルクスの船に合図を出せ。水門に旗を掲げさせろ」

「はっ!」

 報告に来た伝令が取って返し、それに合わせるように俺の周囲に円陣を組み、全集防衛に入ったネアルコスの部隊。

 四重の守りが完成したところで、ネアルコスが俺の前に出てきた。

「仕上げに入りますか?」

「ああ、北門を落とした後、すぐに俺の軍で市内の捜索を開始する。公文書館はラオメドンが見逃すはずが無いからな。アゴラは、充分の広さがあるようだし、エレオノーレの演説はそっちでいいだろう。劇場で、簡易裁判を行う」

「では、ボクの兵士で城壁の警戒と、劇場の周囲を固めますね」

「任せる」

 各部隊に指示を出し始めたネアルコスから離れ、西門に登る。


 日はまだ高く、味方の軍船が港にひしめき合い、城壁にも、都市にも、仲間の兵士しか見えない。


 北伐の時はドタバタした状況だったので感慨に浸る時間は無かったが、目の前のそれは、初めて見る圧勝の光景で……なんだか、少し、不思議な気分だった

 まだ、途上にあるんだと思う。

 王太子の居る場所まではまだ遠い、しかし、この道の先にそれがあると、確かに感じていた。

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