Marfakー6ー
「キルクス! もしもの場合は、お前の兵を捕虜としてアゴラに引き出す。役者を選べ。第一報が既に到着していた場合、アテーナイヱ本国が赦免しようとしているのは誤報だったと証言させろ。そいつは、その証言により助命、残りの占領軍を殺すという作戦でいく」
「悪い人ですね……」
呼ばれるのを待っていたのか、やや演技過剰な態度で――俺が役者を選べといった部分に対する皮肉なんだとしたら、直接的過ぎるし、鼻につくだけだが――呟いて見せたキルクス。
「ハン、同じことを考えていたくせによく言う」
キルクスの隣のドクシアディスの士気を落とさないように、口に出さないだけで同意があった、と、楽に察せられるように俺は言い返した。
おどけた様子で応じるキルクス。
「バレてましたか?」
「別に、簡単な推理だ」
顔を立てられる程度には話しに付き合ってやったと判断し、続けてキルクスの行うべきことだけを俺は命じた。
「情報を隠しきれた場合は、エレオノーレの演説の裏でこちらの仕事を手伝わせる。いいな? 必ず、エレオノーレの護衛の一隊と、もうひとつ部隊を編成し、城壁に旗が上がった時点で、一隻で入港しろ」
「演説の台本はどうしますか?」
こちらでも用意できますが、と、顔に書いてある。
が、それは無用というか、逆効果だと判断した。この男は、野心と実力が見合っていない。多分、ここでそれを採用すれば、アヱギーナ人側の反発が再び激しくなるだろう。
アテーナイヱ人勢力としては、辺境とはいえ自国の領土で、その正統性は自分達にあると判断しているんだろうし、知識層の亡命者や難民が少なかったアヱギーナ人――及び解放奴隷――勢力としては、日々の肉体労働に見合った対価という認識のはずだ。
対立そのものは、別に構わない。むしろ、批判の矛先がマケドニコーバシオへと向かせないために、多少強引でも不満の矛を突き合わせる形の方が望ましい。
が、島内に二つの国を作るのは好ましくなかった。
島が、誰の名義でどんな理念を掲げようとも構わないが、最終的に利益をこちらで吸い上げる以上、他国に付け入られるほどの隙は見せるべきではない。また、島民の内乱も嫌だってのに、基本的な金蔓のこの二つの民族の内乱になれば、財政がどうなるのかなんて火を見るよりも明らかだ。
「不要だ。エレオノーレの好きに喋らせろ。どうせ、目眩ましだ。裏で、不正の証拠をかざした上での権力者の排除が本命なんだからな」
短く否定した上で、俺は敢えてエレオノーレの名を出してまとめた。
エレオノーレは、ラケルデモンを連れ出した頃と比べれば現実が見えてきている節はあるが、結局、ただ甘いだけの人間なのは変わっていない。――いなかった。
それなら、下手にこちらで指示を出して表情を曇らせるよりも、今度こそ皆で幸せに、なんて希望に満ちた顔で喋らせた方が、よっぽど利益になる。
敗戦に絶望し、死刑の順番待ちで恐怖する民衆には、充分な偶像になってくれるだろう。
「やるべきことは理解したな? なら、速やかに船へと戻り準備を整えろ。昼過ぎには突入を開始する」
キルクスは、有利な守り手に対して、夜陰に乗じることも無く攻める判断を下したことを若干疑問に思った顔をしていた。だが、上陸戦はこちらで取り仕切ると事前に決めていたので、口を挟まずに、ドクシアディスを連れて部屋を出て行った。
部屋の奥の壁に背中を預ける俺。
ラオメドンが入り口を警戒し、ネアルコスがニコニコしたまま、空になったものの捨てずに取っておいた木箱に腰掛け、膝に肘を乗せた後、組んだ両手に顎を乗せた。
「あの二人は、艀に乗り込みました」
その報告は俺の兵士が伝えてきたが「ご苦労」と、一言返せばそのまま持ち場へと戻って行った。
完全に部外者が消えたのを確認し――、最初に口を開いたのはネアルコスだった。
「で? どう攻めます?」
「城壁の手薄な部分に俺の部隊が上陸する。後続はネアルコス、お前だ。俺の部隊が確保した橋頭保から、精密射撃を頼む。ただ、人や死体で城壁がごったがえすようなら、船上から牽制してくれればいい。敵の遠距離攻撃を掣肘してくれれば、俺の軍団の足で攪乱出来るからな。悪路での近距離戦闘はこちらに任せてくれ」
普通なら高低差の関係上、甲板に梯子を乗せたガレーでやっとやっとという状況のはずだが、戦闘終結後の城壁は早い段階で崩されるのが通例だ。城壁がそのままだった場合、伏兵に城門を閉じられ、都市内部の反攻軍に逆襲される恐れもあるから。
綻びがあるなら、俺の軽装歩兵で飛び移れる。
「ラオメドンは、重装歩兵を完全武装で待機。海上の城壁をこちらが押さえた段階で、港に強襲上陸し、アゴラ及び周辺施設を押さえろ」
指示に意見や不満は無いのか、ラオメドンはすぐさま頷いて応えた。
連絡船が行き来している以上、海まで張り出したご自慢の城壁にも充分な穴があると見てまず間違いない。それに、城壁が崩れていなくとも、市民が占領軍に協力する可能性が低い今なら、正面からぶつかるのは下策ではない。
なにより――。
「いいな? 事前に通達した名簿にある名前の男は、全て殺す。顔や身形もしっかりと確認するんだ。漏らしが無いようにな」
そう、最大の目的が都市の指導部の壊滅である以上、しっかりと顔を確認し、誰何し、確実に目標を殺す必要がある。夜陰に乗じて逃げられるわけにはいかないのだ。
それには、占領中のアテーナイヱ兵が都市に封鎖線を敷いている今こそが好機なのだ。
ただ、懸念が無いわけでもない。
アテーナイヱ本国からの船がこちらの海上の封鎖線を突破してくると、少し厄介なことになる。それに、最初に援軍を求められていたというラケルデモンの動向も不明なままだ。現状、海で負け続けているラケルデモンには、そこまで冒険する余力は無いと思うが……。
どう転ぶのか分からないのが戦場だ。
「あの連中は、どうせ小物だ。成功をそこまで期待していない。充分な予防線を張る。最悪の場合は、都市市民全員を殺す」
市民は資産だ。
労働力を減らすことは、自分で自分の首を絞めるようなものなんだが、下手に内応されるよりはましだ。それに、ラケルデモンからの長期の遠征軍なら、マケドニコーバシオの新式ファランクスでの撃退もそう難しくは無いと判断する。
可能性を頭の中で数え……それを潰していく。
完璧とはいえないかもしれないが、大きな漏れは、無い筈だ。
と、そんな考え事をしていると――。
「さっきの小僧はどうするんです? 随分と増長しているように見えましたが」
ネアルコスの言い草に、思わず吹き出しそうになってしまった。
まあ、歳だけは俺とネアルコスよりは上なんだが、どうにもキルクスは表面だけで中身は薄っぺらいからな。平時には自立心は旺盛だが、なにか困ったことがあれば、すぐに他人を頼るし。
安全な場所で、下をいびる程度の小者。上に取り入りたくて、ちょっと小賢しい真似を見せる小役人。
そんな程度の男が、
っていうか、ネアルコスの場合、本当に嫌いなヤツのことはこんな顔で話すんだな。
結局、軽くだけ笑って俺は答えた。
「いや、あれはあれで構わん。むしろ、あの程度の頭のヤツがリーダーの方が、こちらとしては組みやすい。キルクスの名前では、全てのアテーナイヱ人が団結はしないからな。下手に始末して、実務能力の高い人間が台頭してくる方が問題さ」
言いたいことは充分に伝わったようだが、それでもどこか面白く無さそうに組んだ両手で口元を隠してしまったネアルコス。
「傀儡も育てないといけませんね」
「いや……アレの妹のイオが、アテーナイヱの現在のトップの血筋で、そっちが本命だ。まだガキだが、エレオノーレに引っ付いてここまで来ている。適当な
言い終えてふと、色恋なら任せておけと大言を吐いたヘタイロイが目の前にいることを思い出し――。
「ボクはちょっと、あの手の娘は……要らないです」
結婚しろ、もしくは、誑しこめと命じる前に、ネアルコスは断ってきた。それも、普段余り見せない、子供が苦い薬を噛んだような顔でだ。そして、そのまま――。
「ラオメドン兄さんはどうです?」
俺にからかわれたくなかったのか、ラオメドンに話題を振っているが、ラオメドンも無言で首を横に振って――、こちらはいつも通りの無表情のまま……しかし、いつもよりもきつく口を閉ざしてしまった。
人望無いな、あのガキ。
まあ、年齢を差し引いても魅力的とはいえない身体つきだし、あの性格だからな。それも当然か。
ん――。
アイツ等がそこまで考えが至るかどうかは不明だが、ドクシアディスとイオが結婚した場合、ちょっと面倒になるかもな。
しかし、王太子の嫁には、側室としても家格が低すぎるし……。
「後続のプトレマイオスの側室にでもするかな。アイツ、前に俺にも結婚しろとか煩かったし」
少年従者の一件のお返し、もとい御礼にと冗談半分で呟けば、ネアルコスが、プトレマイオスへの同情半分で「それはそれで……」と、苦笑いを浮べたが、目の色はどこかそれはそれで面白いことになりそう、なんて残り半分では期待しているようだった。
ふふん、と軽く笑う。
「そろそろ行けるか?」
「誰に聞いているんですか。ボク等は、
確かに訊くまでもないことだが、そもそもの俺の質問も単なる合図みたいなものだ。
ミュティレア攻略作戦開始の、な。
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