夜の終わりー1ー

 ネアルコスが気を利かせ、演説後に速やかにエレオノーレを神殿へと押し込み、そのまま軟禁したので、アイツは俺の築いた死体の山を目にすることも、インチキな裁判――まあ、公金の横領や、俺等が攻める前にこの都市がアテーナイヱ軍と戦った際の利敵行為があったのは事実だが、本来、その程度なら処刑されるほどの罪ではない――を見ることも無かった。

 亡命アテーナイヱ人、そして、無産階級の貧乏人を演劇場のテアトロン――壇上を見やすいように傾斜を造った観客席――に入れていたおかげで、情報操作も問題なし。

 殺されたのはミュティレアに仇なした連中で、あっさりとアテーナイヱ軍に敗北したのもソイツ等のせい、市民である自分たちは悪くない。

 弱い人間ほど、用意された言い訳に飛びつくのは早い。多少の疑念は勝手に都合良く解釈してくれる。

 そして、強い意思を持つ人間は既に排除していた。

 敗北者であるこの都市の人間が頼るのは、もはや俺達以外に存在していない。いや、

 充分だ。

 統治のための第一段階は、完璧に終了した。


 事を終え血を洗い流して身形を整えた後、俺は、通常評議員が詰めている円堂でも、エレオノーレを押し込んだアテーナー神殿でもなく、地母神神殿へと向かった。

 そして――軍団兵に、保存されている記録を片っ端から集めさせ、個人の債権から裁判記録、それに出納帳など、種類に応じて分類を始めさせたところで、二人が追いついてきた。

 ……と、いうか、多分、円堂の方で占領後の統治――法令の改定、税率の改定、付近の村への外交団の派遣など――について相談するつもりでいたが、俺がいつまでもそっちに顔を出さないので、痺れを切らして自分達から出向いてきたんだろう。

 だが……。

 占領している都市の中枢でもある円堂に顔も出さずに、書庫で部下を使って羊皮紙の巻子本から、パピルスの公文書、陶器片のメモまであらいざらい引っ張り出させている俺を見て、二人は訝しげに首を傾げていた。

 ははん、と、軽く笑って俺は呼びかける。

「ネアルコス」

「はい?」

「帳簿は読めるか?」

 ネアルコスは、返事をしたときと同じ不思議そうな顔のままで訊き返してきた。

「なにをするんですか?」

「例年の島の歳入と、流通している貨幣量、農産物とその作付面積。外との交易が出来ない今、島全体の食料と貨幣の備蓄状況を早急に把握する必要もある。また、来年の見込みの農産物の収穫高を計算し、穀物の買い付け量の調整、それに、場合によっては受け入れるヘタイロイとその兵士の数も計算しないと――」

 まず真っ先に公文書を押さえに掛かった理由を説明するが、ネアルコスは苦笑いで――。

「……もしかして、苦手なのか?」

 気がなさそうだったので、話を打ち切って問い質すと、あっさりと頷かれてしまった。

「細か過ぎますよ」

 まあ、だろうな、俺も自分自身でそこまでの見積もりを出せる自信が無い。

 単純に、税収を合算させれば良いってだけじゃなく、例えば、自由市民が参政権の返上と引き換えに都市から借金することも商業系の国家ではよくある――ラケルデモンには、勿論無い制度で、あの国で国家から金の無心なんてしたら、金も出されず、弁明なしで一発で半自由人に身分を落とされる――ことだ。

 他にもラケルデモンのような国家所有の奴隷も、数は少ないが存在している。

 尤も、エレオノーレの手前、その奴隷は解放されなくてはならないが、その分の費用を請求することは出来る。まあ、アテーナイヱの国有奴隷は主に公共の娼館で働かせていた連中のようなので、民営化させればその金策にも困らないだろう。

 他にも、国庫の残高に、俺がさっき殺した連中から没収する屋敷と金品の目録も作成する必要がある。


 出てきた数字から、メテュムを攻めた方が得か、懐柔した方が得かを判断することは、そう難しいことではない。が、その根拠となる膨大な計算は、片手間に出来るような仕事じゃない。

 俺やネアルコス、ラオメドンは、自軍の管理に都市の治安維持、戦争で破壊された道路や家屋・城壁の修繕の手配などやることは膨大だしな。

 となれば、他に利用できそうなのは……ああ、船で旅してた頃にドクシアディスが俺の手伝いへと寄越した若いのがひとり……いや、そうだな、むしろ、より実践的な事務能力のある――。

「ああ、キルクスは確か、こうした書類仕事は得意なはずだ。その監視だけならどうだ?」

 かつてはラケルデモンの公共市場都市で、そして、行動を共にしていた時期にも報告書を何度か出させているが、アイツならそうした細かい計算が出来るはずだ。


 そのことを踏まえて、改めてネアルコスに訊ねてみるが……あんまりやりたくなさそうだな、表情が強張っている。そんなにキルクスが嫌いか。

 ……まあ、なんとなく分かるけどな。

 ははは。なんだか、不思議なものだな。ミエザの学園にいた頃よりも、少しだけネアルコスの事が分かってきた気がする。

 あの頃は、嫌われていると思っていたのに。


「ラオメドンはどうする?」

 どうする、と、あくまで訊ねる口調で話しかけたが、ネアルコスが断り、そして、今回の攻略作戦を任されたのが俺である以上、消去法で命令だと判断できてしまうだろう。

 そう、実際問題として、断られたら……かなり困る。

 そして、それをはっきりとラオメドンも分かっている。ので、軽く視線を斜め上にあげ、考えるような仕草をしたが、一拍後、ラオメドンは、不満そうにも、仕方ないと思っているようにも、また、特になんとも思っていないようにも見える判断のし難いいつもの無表情で、軽く顎を引いて頷いたように見えた。

「任せるぞ?」

 念を押すように訊ねると、再び――今度ははっきりと頷かれたので、そのままこちらも頷き返すと、ラオメドンはすぐさま扉に向かって歩き出した。

 多分、キルクスを呼びに行こうとしたんだろう。そう判断したところで、もうひとつの懸念が頭を過ぎった。

「あ、それと、キルクスとドクシアディスには、付近のラケルデモン艦隊の動向も探るように命じておいてくれ。都市が落ちた情報は既に向こうも掴んでいるだろうが、どう出るか読めない部分もある」

 ラオメドンはドアへと伸ばしていた腕を引っ込め、俺の目を真っ直ぐに覗き込んで頷き、今度こそ円堂を出てキルクスとドクシアディスの詰めているアテーナー神殿へと向かっていった。


 来れないはずだ、とは、思う。

 常識的にはそうだ。救援に向かうべき都市は既に落とされていて、今や俺達マケドニコーバシオ王太子派の占領下にある。補給の当ての無い長征は無謀だし、それ以上に海戦で何度も負けていることを鑑みれば、船舶の余裕はもうほとんど無い筈だ。

 しかし、その常識に縛られないのもラケルデモンである。

 片道分の水と食料しか用意できなかったとしても、命令があれば突っ込んで来ると俺は判断している。問題は、その命令が出るか否かだ。

 艦隊の司令官についてもっと情報があればな。いや、秘密主義のあの国の情報を得るのは容易ではないが……。


 もし来たとしたら……厳しいといえば、厳しい戦いにはなるだろう。

 いや、単純な部分――軍資金や兵士の数、糧秣の問題じゃない。の問題だ。ミュティレアの連中が、ラケルデモン艦隊を見てどう思うのか、まだ判断出来ない。遅れた救援を不満に思ってくれるならありがたいんだがな。

 そう簡単に操れないのも、また、人の心だ。

 特に俺は、人を脅すのは得意だが、人を誑し込むのは苦手だしな。

 んで、その人の心の機微を読むのが得意な男は――。

 ラオメドンが出て行ったので、次は自分の番だと分かっているのか、こちらもいつも通りに、ニコニコとした人好きのする笑顔で俺の指示を待っていた。

「住民の調査と懐柔。民会での議論の誘導工作に、付近の村との交渉」

「ボクらしい任務ですね」

「兵站の管理もな。前線に出た兵士は、三日ほど休ませよう。予備兵だけでも数は充分だ」

 今度の任務は不服ではなかったのか、あっさりと引き受けたネアルコス。

 俺も人の事は言えないが、ネアルコスも中々に好き嫌い……いや、任務の選り好みが激しいな。


 やれやれと腰に手を当て、ラオメドンと違って神殿に残ったネアルコスは好きにさせておくことにした。日は既に落ちているので、どの道、ネアルコスの仕事は明日にならないと始まらない。急かす理由は、俺には無い。

 俺は、とりあえずニヤニヤしてこちらを観察しているネアルコスの前を離れ、キルクスとラオメドンに引き継ぐため、分類の進捗をまとめにかかった。


「どうですか? 司令官になった気分は」

「あん? ああ、ん――、別に」

 時系列順に並んでいるのは、パピルスに記された収支記録だ。欠けている年度の物も無く、問題ないことを確認してから箱に収め、生返事を返す。

「別に?」

 意外そうな声を耳にして、視線と思考は書類に向けつつ、少し本音で語ることにした。

「今回の俺の仕事は、他のヘタイロイでも同じように――いや、同じようにではないな。其々の個性が其々の手段を選ぶだろうが、結果としては上手く攻略出来たと思う。ただ、状況が俺を推挙しただけだ」

 プトレマイオスでも、リュシマコスでも、いや、今回俺の補助として作戦に参加しているネアルコスやラオメドンが司令官であったとしても、問題なくこの島を攻略できただろう。

 そして、俺と性格が近いと評されることの多い黒のクレイトスであっても、俺と全く同じ手段は使わなかっただろうとも思う。

「意外と弱気なんですね」

 心の底からそう思っている声だった。

 弱気、なわけではないんだがな、と、民衆裁判の裁判記録を持ってきた軍団兵に、書類の置き場所を指示してから答えた。

「冷静な状況判断ってヤツだ。油断や驕り、思い込みが身を滅ぼすのは、トロイア戦争の木馬を例に出さなくても分かりきってることだからな」

 この程度の、事前にしっかりと準備された作戦が成功した程度で、得意になることは出来ない。俺がそれを出来るとも――完全に裏で動く必要のあった、王太子の異母兄へと毒を盛ることは別として――、思っていない。

 そう、俺の発案する作戦だけが、唯一絶対の解ではない。


 ……もしかしたら、それを自覚させるためにも王太子はこの作戦に俺を選んだのかもな、なんて考えが頭を過ぎった。

 王太子だったらどんな作戦を選ぶのか、俺には予想出来ないからかもしれない。


 分類された書類を見やすく並べる手を止め、俺はネアルコスに正面から向き合った。

「……ネアルコス、お前は俺とは違う思考で動いているし、ラオメドンもそうだ。状況によっては、俺じゃない方が上手くいく場面も出てくると思う。その場合は、指揮権を移譲することもある。それを忘れないでくれ」

 全部自分で決めたいという気持ちも、確かにある。しかし、前回はそれで失敗した。いや、前回の敗因はそれだけじゃない。が、ただ、今の俺には、同じ次元に立ち、同じように世界を見れる仲間が存在している。

 それを――、悪く言えば利用、良く言えば信頼することも帥としての俺の役目だと、今は思う。

 いや……信頼することも利用することも、大きな違いは無いのかもしれない。その境界線は、あまりに曖昧だ。命じる者の心次第、受け取る者の感情次第だ。


 王の友ヘタイロイ、……友か。


「アーベル兄さんは……」

「ん?」

 思っていた以上に神妙な声に小首を傾げると、ネアルコスはいつもと少し違う澄んだ笑顔で続けた。

「もっと、独りきりでなんでもやっちゃう、出来ちゃう人だと思っていたんですけど……」

 意外だったか? と、さっきと反対側に首を傾けて見せると、無邪気に楽しそうに笑みを深くしてネアルコスは答えた。

「最初に会った時よりも、少し、王太子あの方に似てきましたね」

 そんな、ネアルコスの予想外の反応に、つい、フン、と鼻を鳴らしてしまった。

 嬉しかったのも本心ではある。

 ただ、いずれにしても――。

「まだまだ道程は遠いさ」


 その俺の返事を待っていたかのようにドアが開き、キルクスを従えたラオメドンが部屋に入ってきた。ちょっと不思議そうに目を細めたラオメドンに、後でね、とネアルコスが意味深に目を細めて応じている。


 もう一度だけ、フン、と、鼻を鳴らしてから、俺はこれみよがしに肩を竦めて見せた。

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