夜の終わりー2ー

 家、もしくは部屋と言うヤツは、個性を強く反映すると誰かが言っていた。

 別に、それに対して特に何か思ったことは無かったが、ここにきて、なるほどな、と、思わず納得してしまった。

 どうも俺は、敵が隠れる隙間の多い広い家や家具の多い部屋が嫌いで、狭くて物が少なく、窓の多い――視界が確保され、逃走経路の多い――部屋が好きなんだと、はっきりと自覚した。


 都市を占領して三日。将軍詰め所の、一番小さな部屋を執務室として二日。

 町は……どうしても贔屓目に見てしまっている部分もあるのかもしれないが、俺達がここに上陸した時よりも――そしておそらく、アテーナイヱ軍に敗北する前よりも――、活気に満ちていると感じた。

 潮風に混じって、壊れた城壁や家屋を修理する槌の音が高らかに響いている。


 ついさっきラオメドンから上がってきた、キルクスの書いた報告書に目を通し――備蓄は問題ないな。北のメテュムを攻めるに充分な過剰分がある。麦にしろ、その他の乾物にしろ、倉庫に寝かせて来年商品価値を落とすよりは、むしろ年内に使い切った方が得だ。

 モノがあるなら、こっちから積極的にアヱギーナ人を煽って、メテュムに攻城戦を仕掛けた方が利益に繋がる。なら、その場合の、直通街道の整備費を物流を委託することを条件に……そうだな財力のバランスを取るためにも、影が薄いアヱギーナ人の商人共にそれを任せるか。じゃあ、その場合の、街道整備費を金をどこから引っ張ってくるかって話になるよな。アヱギーナ人勢力だけの貯蓄だと、整備後に利益が出始めるまで持つか不安もあるし。なんとか上手く元の島民の貯蓄を投資として吐き出させるには……。

「順調ですね」

 都市の修繕費を上乗せするか、メテュムを攻める戦費として臨時の課税をするか、いずれにしても住民感情的にどうなんだと腕組みしたところで、ノックもなしにドアを開けたネアルコスが、開口一番、いつもどおりの満面の笑みで告げた。

「お前は、あんまりフラフラしてるなよ」

 組んでいた腕を解き、机に頬杖ついた俺。

 朝からずっと働きづめだったので、休憩には悪くない時間だった。ただ――。

 ……いや、自由市民との交流と懐柔が仕事である以上、アゴラなんかで汗を流し、柱廊で議論し、夜は酒宴に招かれるのも必要なことだと分かってはいるんだが。

 俺が執務室で現行の法令の改定と、市民裁判の再開準備――いくら俺たちの軍団兵が市内を巡回しているとはいえ、連続して二度も戦禍にさらされた市内は、貯蓄に乏しい半自由市民や無産階級の窃盗なんかの細かな犯罪は起こっている――、城壁の再整備に軍船の修繕指示を出しており。また、ラオメドンに関しても、地母神神殿に籠もりきりでキルクスと帳簿をまとめ、国家に対して借金のある市民への取立てや、ドクシアディス達の海上哨戒の報告をまとめたりしている。

 それと比較すると、どうしても、遊んでいるように見えてしまうんだよな。

 もっとも、それに関してはネアルコスも自覚があったようで、苦笑いを浮べて、壁際の椅子に横向きに座り――。

「本当に、予想されたよりも仕事が少ないんですよ。エレオノーレさんの演説、うちひしがれていた市民には好評でしたから。なにか手伝いますか?」


 占領統治は、初動での治安回復と市民の懐柔には、多大な労力がかかるのが普通だ。

 だが、今回においては……。

 周辺の村は、あっさりとこちらに恭順を示してきた。一応、人質を出させたり、相互防衛協力を約束し、その保証金を出させたりといった最低限の地盤固めは行っているが、特に問題がおきたって話は聞かない。

 そもそもが、ラケルデモンを頼ろうとしていたんだし、それなら、同盟関係であったとしてもそれなりの貢物を要求されると覚悟していたはずだ。ところが、結局到着した救援がマケドニコーバシオで、生命と財産の安全を保証した上でアテーナイヱ軍を追っ払ってくれたんだ。感謝される要因は多く、恨まれる理由は少ない。

 この島は、貨幣製造の拠点、そして、交易の中間地点として優秀だ。新しい支配層の俺達に商売の話が通じる以上、商工業を軽視し、奴隷による農業中心で、市民は全員兵隊なんていかれた国よりも、こっちに靡くのは、損得を重視する商人としては当然の事なのかもしれない。


「いや、船の修繕の指示や予算に関しては、今回の手順を見て覚えてくれないと。いきなり、完全に放任は出来ないしな。裁判に関しては、陪審員をこの町の市民から選ぶ以上、根回し中のお前を使うわけにはいかないだろ」

 微かに嘆息したネアルコスは――。

「船って意外と面倒なものですよね。櫂は買い換えないといけないし、船底の木材も傷みやすいですし、防水の油代に木材代と維持費も馬鹿になりませんし」

 不満そうに口を尖らせたネアルコスの言葉は、かつての俺と同じだったので、ついクスリと笑ってしまった。

 それを非難するような、拗ねたような目を向けられたので、俺は隠し立てせずに正直に答えた。

「俺も昔、同じことを思ったよ。まあ、傷みの激しい船は解体して木材として家屋の建材に回したり出来るしな。修繕を怠って、航海の途中で沈まれたら大損だ。少しずつでいいから、最終的な損益を意識してくれ」

「はい……あ」

 返事をしたネアルコスが、決済済みの書類に目を落とし、声を上げた。

「ん?」

 見落としたつもりは無かったが、なにか計算が会わないところが合ったのかと思ってそちらに目を向けると――。

「目を瞑っとけ。無理だ、アイツの理想をそのままこの世界に当て嵌めるのは」

 ネアルコスが見ていたのは、言葉の通じない異民族の奴隷バルバロイの水夫に関する書類で、付近の港へと移送を指示した民間転用する旧式のガレーに関する有償譲渡の書類だった。あくまでは、備品という扱いのままだ。

「ああ、いえ、すみません。反対だとかそういうわけじゃないんですけど……。実際、マケドニコーバシオにも奴隷制はありますし。そうじゃなくて、アーベル兄さんの指示で良いのかって部分です」

「ん? エレオノーレの名義じゃなければ、なんでもいいさ。そもそもが、アイツの助け合いとか、そういう価値観で言えば、俺は人殺しの極悪人なんだからな。……まあ、それを否定するつもりも無いが」

 ふん、と、皮肉げに鼻を鳴らす。

 ネアルコスは目を細めてなにか言いたそうな顔をしていたけど、すぐには返事をせずに、一度言葉を飲み込んだのが分かった。


 そもそも、全ての村や都市に対して、無条件で奴隷を解放するのは無理があった。そんなことをすれば、労働人口の急激な変化で都市が自滅する。ので、エレオノーレの前……つまり、このミュティレア限定で奴隷を廃し――正直、解放されたばかりのはした金で使われる無産階級は、奴隷とそう変わらない状態かもしれないが――、付近の村では、依然、奴隷制を認めている。今回、漁船に転用させる船に関しても、厄介払いも混みでバルバロイを船と併せての売却だ。

 無論、その売却益は、この島の拠点化と王の友ヘタイロイ受け入れのための資金にする。実際、馬の世話をするための施設は、新たに建造する必要があるんだし、そのための金も早急に必要だった。


「……エレオノーレさんには、才能があるのかもしれませんね」

 どうとでも受け取れる言葉に、多少の毒を混ぜてきたネアルコス。

 俺は、遠まわしな意味には気付かないふりをして、冷静に、今回の攻略作戦の責任者としての視点で答えた。

「その才能だけでは、ダメさ。人を誑し込んでも、非情に使い捨てられないならな」

 しかしネアルコスは、追撃するように机に肘を突き、身を乗り出してきた。

「でも、としては、それがいいんですよね」

「ああ、狡賢いだけの小悪党も、エレオノーレに危害を加えれば支持を失う以上、表向きは真面目にするしかないしな。しかし、裏でなにかする事は、俺達が陣取っているから不可能だ」

 あくまで持論を曲げない俺に、はぁ~あ、と、どこか呆れたような、諦めたような長い溜息を吐いたネアルコスが、一瞬だけ素の表情で……感傷的な目を向けて――。

「勉強になるなぁ」

 言い終えた後はもういつも通り、さっき座っていた椅子に座り直し、頭の後ろで腕を組んで不真面目そうに椅子を揺らしている。

 自分の容姿を自覚しているのか、戦士っぽくない仕草だった。


 行動に、いや、さっきの『勉強になるな』という部分においても、なにか深い意味を折りたたんでいたのかも知れないが、上手く解釈出来なかった。占領土地における人の支配に関する部分に関しての感想なのか、感情よりも現実を優先する俺の態度に対するものなのか、はたまた、性格的な面で特徴的なので今後の人付き合いの参考になるという意味での発言なのか。

 まあ、ネアルコスに関しては、考えすぎても考えなさ過ぎても泥沼にはまってしまうので、程々に、分かりやすい部分だけを汲む形でも問題ない――きちんと伝えたい場合には、それに応じた表現を選びなおすだろうし――か。


 単純に、業務面での呟きとして受け取り、返答する俺。

「もう二~三回実地で占領統治について学べば、この程度まではすぐだろ。むしろ、単純な指揮能力だけなら、俺よりも上だろうしな」

 俺の場合、どうしても自分が前に出てしまうので、兵にあっちの隙を衝けだとか、ここの防備を固めろだとか、細かい指示を出すのは苦手だった。事前に作戦を説明はするが、一度始まれば、戦っている最中は個々の判断任せな部分も多い。

 逆にネアルコスは、自分自身も弓を使うので、前衛に対して射崩した戦列の折れを指摘し攻勢を強めさせたり、敵の中央に射撃を集中させて混乱させるといった柔軟な対応が可能だった。

 生国も違う者の多い傭兵を指揮していることからも、すぐにこうした裏方の仕事では俺を追い越せると思う。本人にその気があれば。


 しかし、俺の推察とは裏腹に、ネアルコスは若干渋い顔で答えてきた。

「そうだと良いんですけどね。中々単純な話ではないですよ。ボクでは、アーベル兄さんほどの奇策を命じても、兵は動かないでしょうから」

 そうだろうか?

 やれ、と言われたら、納得出来ようが出来まいが、命じられた作戦を実行するのが良い兵士なのではないだろうか?

 ……確かに、場合によっては捨て駒、時間稼ぎとして死ね、と、承服し難い命令を出す場面もあるかもしれないが、殿や押さえがいなければ味方全体が全滅するんだし、そこは名誉を重んじ、損害の多寡について冷静に判断すれば納得してくれると思うんだが。


 俺の表情から考えていること察したのか、ネアルコスがどこか悪戯っぽく肩を竦めて見せた。

「理も必要ですが、尻を蹴っ飛ばして追い立てられるだけの気迫も必要じゃないですか。戦争なんて非日常には」

 ああ……まあ、普通はそうか。

 毎日、奴隷の村を襲って略奪の訓練をしたり。生意気にも柵を設けて抵抗したりする奴隷を、城攻めの練習として皆殺しにしたり。少年隊の訓練時に、臆病な振る舞いをした仲間を間引くことも、上官への服従を徹底するとこもなく、普通の市民として不自由の無い生活を送ってきた人間にとっては、戦争は、奴隷や金品を得る経済活動、そして名誉でもあると同時に、厄介な義務でもある、か。


 あの国での日々を忘れても、染み付いた習性は……やっぱり抜けない。が危惧したように。

 時々、その先入観から、一瞬、別の国で別の主義思想で育てられているってことを忘れそうになる。兵士なんだから、俺と同じようなことが出来て当然と思ってしまう。

 ……そう、だな。

 ネアルコスは、良い方の意味で尻を蹴っ飛ばすと表現したのかもしれないが、恐怖だけで部下を締め付けることのないように、少し、気をつけないとな。

「勉強になるな。俺はあまり人の心を慮れないのでな」

 皮肉……でないとは完全に言い切れないが、それでも純粋にネアルコスの見立てに感心したのも本心だったので、さっきの言葉を返すように返事する俺。

 ネアルコスは、今度は俺の真意を量りかねたのか、ちょっと困ったような顔になった。

 良い気味だ、と、軽く鼻を鳴らす。


 途切れた会話は、話題を変えるのには丁度良い。だから、俺はネアルコスにまた変な話題を振られるよりはと、自分から訊ねてみることにした。

「そういえば、兵站の管理状況はどうだ?」

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