夜の終わりー3ー
「元々物資はかなり余裕を持って準備させていましたし、全く問題ありませんよ。戦闘による戦死十三名、重傷者九名、軽傷者は多いですが既に手当てが済んでいます。重傷者も持ち直すだろうと医者が。今回直接的に戦闘に加わった兵士が八百名だったことを考えれば、充分な数字でしょうね」
場所が場所だったので、二千五十八名の兵士全てを展開すると作戦行動に支障が出る。そもそも、上陸地点も多くは無いんだし、そこに味方の船が一斉に押しかけては混乱をきたしてしまう。
少数の戦力を、更に複数地点に分散させて上陸させる作戦となってしまった。もっとも、駐留していたアテーナイヱ軍が三百程度だったので、予想以上に犠牲は少ないようだが……。
町が持ち直してきた以上、そうした方面での戦後処理も始めなければならない、……か。
「ここで火葬するしかないよな」
国外で出た死者は、基本的に最も近い都市で火葬され、簡単な葬儀を行った後、改めて国で葬儀を行うのが通例だ。プシュケーを構成する四要素のひとつである火とそれによって起こされる風により、死者の魂は楽園であるエーリュシオンへと飛翔する。残された土と水の要素の骨を、骨壷に治め、これを不可侵の墓地へと埋葬する。その死後の安らかな憩いを妨げることは、どの都市国家においても重罪と定義されている。
もっとも、外国の地では墓への埋葬まではせずに、骨を骨壷に収め、糸杉の棺にその骨壷を納めて保管し、帰国後に改めて葬儀と埋葬を行うことになる。他所の土では、憩うに憩えないだろうから。
「……まあ、そうですね」
微妙な顔で頷き返してきたネアルコス。
そう、どんなに優勢な戦いであっても、犠牲が出ないことなんて無い。人の死なない戦争なんて無い。死は、戦士の日常だ。遠い未来の話ではなく、すぐ側にある現実だ。
分かりきっていること、覚悟していること。
しかし、それでも……ん、む、惜しいというか……悲しいとは違うんだが、どうも死人が出たことを、そういうものだと割り切れないような気持ちもある。
いや、感傷なんてらしくないな。
とりあえず、火葬のための木材と、戦士として相応しい香の調達。香は、出来るだけ高いものを商家から徴発するか。後は、火葬後の消火のためのワインに、骨を収める陶器の骨壷に糸杉の棺の発注。
そして、棺の中に敷き詰める花か。
冬に咲く花……か。いや、そもそも、ここの植生はどうなんだろうな? 付近の地理を把握するためにも、近いうちに周辺の探索に出てみようかと思う。その際に、案内人を雇って、この島の動植物に関しても少しは把握しておこう。
「兵の様子は?」
大凡のやるべき事を頭の中でまとめ、改めてネアルコスに訊ねてみる。
「戦勝に浮かれているので、士気への影響は無いですね」
まあ、それもそうか。
割合で表してしまえば、作戦参加者中に占める死傷者の割合は一割にも満たない。城や陣地を強襲すれば、もっと多くの犠牲が出るのが通例だ。今回連れてきた兵達も、それを分かっている。だから、少ない犠牲者は、それを悼むよりも、指揮官が優秀であることの証明――まあ、自分で言うなって話かも知れないが――とされている。
それに、金、食事、そして娯楽にも不自由はさせていないんだしな。悲しみも、尾を引くものでもないか。
上がってきている書類から町の復興状況を判断し――。
「あと五日の内に町をまともにして、盛大に行おう。ここの都市の連中にも、自分達が誰の下についたのかを解らせる必要がある」
葬儀に必要な場所の修復が終わり、自由市民も集まるだけの余裕があり、そして、ヘタイロイの俺達の業務もひと段落するであろう時期を計算し、葬儀の予定日を五日後とした。
ネアルコスからは、反対や違う意見は出なかったが、代わりに予想外の質問を投げ掛けられた。
「横領や利敵行為で死刑にした連中の死体を海に捨てたのと比較ですか?」
若干、意図が読めなくて首を傾げてしまったが、その訊くまでも無い質問に対し、一応、頷いて答えた。
「ああ」
そう、葬儀を実施しない為政者は、為政者とはみなされないが、だからこそ死刑後に埋葬を行わない刑罰も存在している。そもそもアテーナイヱ人は、政敵は陶片追放で国外に放り出す民族だ。実際、犯罪者として裁いた事実がある以上、ミュティレアの市民から大きな反感は出なかった。
ネアルコスの出方を窺うように、それ以上は口を開かずに待っていると……。
「……どういった意味での憂鬱ですか?」
思いの外、直截的に訊ねられてしまい、……いや、自覚が無いわけじゃなかったんだが、隠せていると思っていたので、つい苦笑いが浮かんでしまう。
「憂鬱そうに見えるか?」
「…………」
ネアルコスは無言だったが、それは、肯定と同じ沈黙だった。
むしろ、ネアルコスが喋らないので、俺が口を開くことを強要している、とも受け取れるな。くそう。
「よく分からん。まあ、憂鬱そうに見えたって言うのなら、そうなんだろうが」
頭を掻くが、それだけで誤魔化せるような話でもなかった。
「アーベル兄さんは、少し、自分の気持ちを口に出すことを覚えた方が良いですよ。そして、ボクは、日頃の言動ほど軽薄な男ではないですよ?」
俺は、充分に正直に答えたつもりなんだが、ネアルコスには納得してもらえなかったようだしな。
ネアルコスはネアルコスで、他人が自分と同じように気持ちや気分をきちんと表現できると思ってしまうのかもしれない。
いや、むしろ、俺が苦手としている部分だから補助しようってつもりでの質問なのかも。ミュティレアを落として余裕が出てきたのは、兵だけじゃないって事か。
……やれやれだ。
微かに嘆息し、上手くまとまらないまでも漠然とした心の輪郭を言葉で固めようとしたが――。
「一言では言えない。其々に事情はあって軍に入り、納得してこの作戦についてきた連中だ。が、どうしてもマケドニコーバシオの兵を死なせてしまったという……借りというか、んんむ」
やはり、気持ちを上手く表現できずに、言葉に詰まってしまった。
そう、レスボス島攻略作戦は、ひとまずは成功した。与えられた任務――期待――には、応えられたと判断して間違いないと思う。そういう満足感はある。
が、やはり、死人の数を聞くと、軍に与える影響以上に水を差されたような気がしてしまうというのも本音だ。
なんで、だろうな?
「アーベル兄さんを、もう、単なるお客さんだと思っている人間は居ませんよ」
少し眉を顰めたネアルコス。
声色には出ていないが、不満は隠しきれていない。
「そうかもしれないが、……いや、だからこそ、なのかもな」
いや、ん――、難しいな。
仲間じゃないって言いたいわけじゃなく、こう、仲間になって日が浅いって部分とか。それに、俺の軍団に関しては編成してから日が浅く、……いや、初陣で死ぬこともあるのは――むしろ、初陣でこそ死ぬ確率が高いのは――分かっているんだが、訓練で足りない部分があったのかもしれないといったような、微かな後悔もある。
そうした心の機微は、感情を読むのが上手いネアルコスの方から汲んでくれるとありがたいんだけどな。
「自分が先頭に立っていれば出なかった犠牲だと思っているんですか? 申し訳ないですけど、それは驕りというものですよ。確かにアーベル兄さんは、桁違いに強いんですけど、それだけで勝てるなんて甘い戦場はありませんよ」
「それは、分かっている。そういう意味じゃなく……」
「自分の命令で仲間が死ぬことが、衝撃的でしたか?」
「んん、そういう気持ちも無くはないと思うんだけどな。難しい。簡単な感情じゃない」
実際、前にアテーナイヱ・アヱギーナ戦争に関わった時には、俺の指揮下の部隊で死人も出ていたが、こんな感覚にはならなかった。死んだ人間が弱かっただけ。それ以上の感情は抱かなかったし、そもそも死人に興味も無かった。兵がどれだけ減ったか、その戦術上必要な数字的な事実以外の事は、頭に入ってきさえしなかった。
ああ、いや、そうか。
……奴隷は言葉を話す家畜、そういう基本認識がある。だから、あの時の俺は、俺の兵隊に関しても、そういう認識だったのかもしれない。自分ではなにも出来ず、命令があってようやく動く愚図。なんの能力も無い、死んだとしてもいくらでも代わりの利く道具。
……そう考えると、やっぱり、どこか俺の中に、マケドニコーバシオに対して感じるものがあるのかもしれない。良い意味でも、悪い意味でも。
う、ん。
これまで、同じ場所に立っていると感じる人間に出会えたことが無かったから、少し仲間との距離をはかりかねているのかもな。ラケルデモンにいた頃は、同じ少年隊の連中は、仲間っていうよりも、競争相手もしくは子飼いの愛玩動物って認識だったし。
「……なんだよ、その顔は」
真剣に、必死で考えていたから気付かなかったんだが、テーブルに腕を衝いたネアルコスが、思った以上に至近距離で俺の顔を眺めていた。それも、楽しそうなとびっきりの笑顔だったから、なんだか考えるのが馬鹿らしくなった俺は、椅子の背凭れにぶっかかり、足も投げ出して完全に業務外の姿勢で応じた。
「なんか、可愛いなーって思いまして」
不貞腐れたのは見て分かると思うんだが、ネアルコスは尚も表情を変えなかったので、答える返事もげんなりとしたものになってしまった。
「なにを言ってるんだ、お前は」
「そういう所を、もう少し素直にエレオノーレさんに見せられれば良いんですけどね」
人の話を聞いているのかいないのか、的確に俺の嫌がる――いや、からかうのに最適な話題を差し向けられ……。
「アイツは……アイツの前では、なんかダメなんだ。あの女も、変なところで我が強いから、油断してると、思い込みで解釈され、とんでもないことをしでかされる。ちょっと冷たくするぐらいで丁度良い。……って、おい、アイツに変なこと言うなよ」
つい、返事が饒舌になってしまった。
あくどい顔をネアルコスがしているのに気付いたが、時既に遅し。
「大丈夫ですよ。アーベル兄さんが本気で嫌がることはしませんから」
悪びれもせずに『本気で』と前置きしたネアルコスに、即座にはっきりと抗議する俺。
「少しでも嫌だと感じることの無いように振舞って欲しいものだけどな」
俺のしかめっ面が面白かったのか、ケタケタと笑ったネアルコス。
「それじゃあ、人生つまらないじゃないですか。それに、さっき『借り』って言いましたよね?」
「あ? ……ああ」
文脈の変な部分だけを取り上げられ、すぐにはなんの事か思い出せなかったが、マケドニコーバシオの兵の戦死に対して、どこか感じる後ろめたさを、確か、そう表現していた。
意識していたわけじゃないが――、いや、選んで発した言葉じゃないから、余計に問題なのか?
ネアルコスは、目を大きく見開いて机の上に身を乗り出してきた。
「そこですよ! ボクだけじゃなく、ヘタイロイの中には、またアーベル兄さんが、ふらふらとどこかに行ってしまうように感じている人間がいるんですよ。事実、今回の攻略作戦でギリギリまで頭数に入っていたリュシマコス兄さんも『アイツは、まだここに根を張っていない』と、ちょっと寂しそうにしてましたし」
アイツ、そんなこと言ってたのか。
……ああ、だから、ちょくちょく訓練とか仕事後に夕飯に誘って来ていたのかもな。細かな予算管理が苦手ってのも嘘じゃないんだろうが。リュシマコスは元々騒がしいのが好きな男だったので、そんな裏――というか気持ちだったとは、気付けなかったが。
だがしかし、俺をマケドニコーバシオに帰属させたいのに、エレオノーレを持ち出してくるというのも変な話じゃないか? エレオノーレも、一応はラケルデモンの人間――正確にはラケルデモンに滅ぼされたメタセニア人の奴隷だが――なんだし。
「それと、アイツとの関係は?」
軽く肩を竦めて見せるが、あっさりと「自分でも分かっていますよね」と、一転してヘタイロイとしての裏のある笑顔に切り替えたネアルコスに迎え撃たれてしまう。
「まあ、な」
商売をしながら、船でヘレネスのあちこちを回った。だから分かる。アイツを受け入れるとは言わないまでも、有る程度自由にさせておくだけの度量の有る国はここしかない。
っていうか、それを保証させているのは、エレオノーレだけの才によるものじゃない。
打算だけではないが、友情だけではない。俺とみんなの関係は。
そして、エレオノーレに関しても、扱い難いが利用価値が無いわけじゃない。マケドニコーバシオにとっても、俺にとっても。
子供の遊びじゃないんだ。単純じゃない。人と人との関係性というものは。
ふ――、と、長く息を吐く。
はっきりとした言質を与えたくは無かったので、遠まわしに……というか、最初の話題に立ち返って俺は放し始めた。
「もし――」
「はい?」
「もし俺が、どこかの戦場で死んでも、その時は顧みなくて構わない。葬式も、不要だ。都市や、墓所は、俺の帰るべき場所じゃない。最後まで戦場にいる。それでいい」
最後まで共にある。王太子と、皆と。
ただ、あくまでも俺は俺だった。ラケルデモンのアーベルだ。最後まで。完全にマケドニコーバシオの人間になるわけじゃない。……なれはしない、と、思う。
自らの意思で、仲間として共に征くだけ。
……同盟ってのが一番近い表現なのかもな。
それに、これまで数限りなく殺してきたからこそ分かることもある。死体には、なんの意味もない。人だろうと、奴隷だろうと、獣であろうと死ねば単なる骨と肉だ。
俺は、貴方の身体は丁重に葬られました、と、冥界で聞いて喜べるような人間じゃない。
ふぅ、と、これみよがしに短い溜息を吐いたネアルコスは、しょうがない人だなぁとでも言うように方目を瞑って悪戯っぽい笑みを見せた。
「無理を言わないで下さい。葬儀で慰められるのは、故人のプシュケーだけではありません。葬儀は生き残ってしまった人間の慰めでもあるんですよ。アーベル兄さんが死ぬような戦場なら、その名誉も推して知るべしです。国葬で、全てのマケドニコーバシオの主要都市が弔辞を出すような盛大で荘厳なものしか出来ません」
少しは、意図が伝わっているんだと思う。そして、勘違いじゃなければ、俺の行動に対する支持――とまではいかないだろうが、有る程度の配慮は示してくれているとも。
「難儀だな。俺は、ただ人を殺すのが少し上手いだけだってのに」
攻略作戦が終わった途端の腹の探り合いに対する批判も混みで、どこか投げ遣りに答え、話題を打ち切ったつもりだった。
事実、短い沈黙が間に入っていて、そのまま遅めの昼食って流れでも良かったはずだ。
それなのに、ネアルコスが素の表情で口を開くものだから、俺も応じざるを得ない状況になってしまった。
「……本当に、もしもの……仮の話ですよ」
「ん?」
前置きだったとしても、厚過ぎる予防線に、よっぽどの質問を投げ掛けられるんだろうな、とは覚悟できたが――。
「もし、その時が来てしまったら、お墓は、ラケルデモンに作った方が良いですか?」
訊ねているネアルコスは、真顔だった。まあ、そもそも冗談で訊けるような話ではないが。
しかし、また、エレオノーレに対する質問以上に答え難いことを。
薄く目を閉じてみるが……瞼の裏に思い起こせるだけの愛着をラケルデモンに抱いてはいなかった。
「……いや、任せる。死んだ俺にも利用価値があるなら、政治的判断を優先してくれて良い。まあ、特になにもないなら――、皆と同じ場所で構わんさ」
俺は、ラケルデモンに帰りたいわけじゃない、と、思う。自分の物を盗られたので、奪い返したいというだけ。舐めた真似したアギオス家の連中に対して、報復を行いたいだけ。
そして、陸軍最強国を率いるのならば、他国の誰かよりも俺が適しているという自負があるだけ。
「はい」
ネアルコスは、ちょっと安心したような、それでいて少しだけ悲しそうな……でも、やっぱりいつも通りの人好きのする笑みで応じた。
皆と一緒に、世界を奪い取る。
同じ場所を目指している。
俺は、他所に根を張っているわけじゃない。どこにも根をおろさないだけだ。他に、行きたい場所があるわけじゃない。居場所があるわけでもない。
だから、ここにいる。
一度失うも、未だに渇望しているものを、手に入れるために。
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