Algolー9ー

 囮が上手く時間を稼いだのか、翌日の移動は無事に距離を稼ぐことが出来た。脱落者は無し、俺を含め残存十六名。

 そして、その日の夜も平穏に過ぎた。

 なのに――。

 もう、あと少しで海岸線に着くという朝だった。

 森が途切れ、漁村が遠くに見えている。海風の影響で、低い蔓草や雑草が、ちらほらと生えているだけの荒野で、太陽は真上に輝いている。雨期である冬が終わったわけでもあるまいに、雨や雪、霧といった幸運は、降ってきそうにも無い天気だった。

  完全にこちらが丸見えだ。その上……俺達と同じタイミングで、敵も森から這い出してきている。


 部隊を反転させ、迎撃の陣形を整える。レオとガキを中心に周囲に円陣を組ませ、敵の真正面には俺が陣取った。

 見覚えのある、赤い外套を纏い、その外套の止め具に人の頭蓋骨をあしらった、剣と小盾で軽度の武装をした兵士を一瞥し――。

「随分と懐かしい風体の兵隊だな」

 皮肉を込めてレオに向かって微笑みかけるが、レオは生真面目な顔で敵を睨んでいただけだった。

 軽口を返す余裕はない、か。まあ、それは、敵の威容に飲まれてしまっている雑用係の連中にしてもそうだし、ガキに至っては直視できないのか外套に包まるようにして蹲ってる。

 状況は最悪もいいところなので、仕方が無いといえばそうなんだがな。


 敵を見た瞬間、走って逃げてもよかったが、そうすれば敵の攻撃を誘引し、背後を取られると確信していた。敵がゆっくりと陣を整えているのなら、こちらも下手に動かずにまずは出方を窺うべきだろう。

 即座に攻撃してこない以上、なんらかの対話を行う機会があるはずだ。

 それに、応戦するにせよ、逃亡するにせよ、かなりの戦力差があるんだから、敵の指揮系統に打撃を与える必要がある。それを見極める意味でも、陣形を整える際の人の動きを充分に観察する必要があった。


 半円状に百と少しの敵兵が布陣し――背後へ回り込もうとする動きに対しては、摺り足で後退して牽制した――、お互いの得物である剣の間合いの三倍の距離で向き合っている。槍を持っていないのは、山や森での進軍に邪魔だからなのか、最初からそういう装備の部隊なのかは分からない。エレオノーレと逃げてた時に見た処刑部隊も武装は剣だったので、後者ではないかと思うが……。


 いつ戦端が開かれてもおかしくない緊張状態の中、赤茶の髪に、髪と似た色の瞳をした、やけに軽装の兵士が前に出てきた。

 間違えるはずがない。こんな特徴は、もうひとつの王家、エーリポン家の血筋に連なる者だ。

 なら、コイツが指揮官のアギオス二世、か。

 レオに視線を送ると、無言で頷かれてた。


 ……ふぅん。

 歳は、俺とそう変わらないように見える。が、アクロポリスにいた頃に会ってない以上、生母は大身の者でなかったんだろうな。

 赤茶の短い髪を後ろに流すというか、若干逆立てるように灰色の布を額に巻き、左腕に通常の半分程度のペルタ――三日月盾――を、開口部が手の側に向くように、紐で幾重にも巻いて固定している。

 剣は長くはないが、その分幅があり、その幅のためか鍔が無い。重量自体は俺の長剣と大差ないようだが、大人の背丈の半分強の幅広で肉厚の大剣サイフォスだった。

 不意に周囲の連中――こちらの雑用係の連中もそうだが、敵の兵士にも動揺がある――がざわつきはじめて……? なんだ? 王家の人間に対して、怯んでいるわけではなさそうだが……。

 耳を澄ませてみると、表現は様々だがみな同じようなことを囁き合っていた。

 ……俺とコイツが似ている、だと?

 まあ、確かに背丈は近いが、髪型はヘレネスの戦士なら短髪と決まっているのでその辺は似ていない方が変だ。それに俺は、こんな野蛮な髪色をしてはいないし、額に巻いた布もセンスが悪い。顔の作りだって整っているだろうに、この節穴どもめ。


 剣をだらりと引きずるようにして右手で持ち、左手を腰に当てて、斜になってアギオス二世を睨めつける俺。アギオス二世の方は、軽く顎を挙げ、歪んだ笑みを向けてきた。

「殿を残して時間稼ぎしたつもりだったのかも知れねえけどな、連中、ぺらぺらと喋りあがったぜ? どこに逃げてるのかをよぉ?」

 こちらを挑発している部分も確かにあるが、それよりはむしろ自分達を上に見せようとする意図が見え隠れしている。

 言葉戦を仕掛けてきた、のか?

 どうやら、これだけの数で包囲していながら、すぐには攻撃を仕掛けないらしい。心を折りにきていることから察するに、降伏・投降させ生け捕るのが目的のようにも感じる。しかし、生け捕ったところで、俺等を生かし続けては置かないだろうに、なんの意味があるんだ?

 第一声に、意外な感も受けたが、舐められるつもりはなかったし、この指揮官について情報もほしかったので、挑発し返してみることにした。

「ああん? なら、時間稼ぎに成功したってことだろ?」

 レオとの合流時に敵の偵察隊を壊滅させていたし、罠でも……まあ、設置した全てに掛かったとは思えないが、十~二十程度の兵士は戦線離脱したのかもしれない。

 指揮官が責任を問われるには充分な損害の量だ。

 囮の連中が本当にあっさりと降伏して喋ったのか、意地を見せたのかはっきりとは分からない。だが、敵がこれ以上の損害を恐れているのだとしたら、そこに付け入る隙があるかもしれない。


 あ? と、アギオス二世は、大口を開けながら眉間に皺を寄せ、軽く首を右に傾げた。

 俺は、満面の笑みで答えてやる。

「お前等は、連中の話を聞くために、足を止めた。喋ったからどうだって言うんだ? アイツ等に話していたのは二通りの経路であり、アイツ等を残した後、誰にも事前に話さなかった経路を辿ったんだからな」

 激昂させ、上手く一騎打ちに持ち込めれば……いや、不意打ちでも良いので指揮官の首を取れば、撃退できるかもしれない。

 兵の感じ、そして、指揮官が攻撃を仕掛けずにぺらぺら喋りだしたことから察するに、ここにいるのはおそらく本来の――俺とエレオノーレが戦ったかつての――処刑部隊ではないのだ。

 他の部隊から抽出し、急遽再編したんだろうが、戦時中の今、優秀な兵士をこんな場所に送る余裕はない。マケドニコーバシオで知ったラケルデモンの実情として、近年の成年男子の人口が頓に減少しているようだしな。

 無論、この処刑部隊の連中も、無能ではないんだろうが、エレオノーレと逃げている時に感じたような重い重圧は感じない。まだどこか浮ついた感じを受ける。


 ベっ、と、唾を吐き捨てたアギオス二世を更に言葉で追い討つ。

「聞き取りの後、ほんとは俺達の痕跡を丁寧に探して追ってきたんだろ? ハン。無駄な時間を随分と使ったものだな?」

 この男も、指揮経験はまだ浅いように感じる。

 最初から、敵わないと思っていたわけじゃないが、凌ぎ切れるという予感が強まっていくのを感じる。


「薄情だねぇ。おい、後ろの木偶の坊ども! この指揮官は、部下を信用してねえってよ! 裏切るなら今のうちだよ~! ははん!」

「口と頭が軽い指揮官よりはよっぽど信用されるさ。アギオス二世なんかより、よっぽどな。可哀想にねぇ。ほんとは、傍流だか庶子のガキをめっきしただけのバカに使い潰されるなんて。そんなのが、本当のラケルデモンの戦士のあるべき姿なのかねぇ?」

「強いものが統べる。それがこの国だろう? 逃げ出した負け犬風情が吠えようが本気で相手にされると思ってるんだとしたら、可笑し過ぎだろ」

「その統治の結果が、これか? 商業国相手に、攻めきれずに包囲戦をやっている現状が? さーて、んで包囲しているんだろうなぁ? もしかして、よっぽど兵士が減っているのかもしれないなぁ。この戦争の後、果たして国はどうなっていることかねぇ」

 こちらの雑務兵の動揺は質が低いからだが、敵の兵士の動揺はそうじゃない。作戦行動への大きな影響が期待できる。

 背後のざわつきが気になるのか、あくまでもこちらを向きながらではあったが、アギオス二世の視線が横に逸れ――。

 深くしゃがみ込むのと左足の一歩目は同時だった。重心を左足に移し、腰を捻り、右足の踏み込みと同時に右腕を突き出し、喉を突き上げる。

 瞬きの間さえ与えない速度だったと自負している、だがしかし。


 ギャンと、鋭く耳障りな金属音が響き、長剣の切っ先が幅広の剣の腹で受け流された。一瞬だったが、敵の嘲るような笑みが見えた。

 しくじった! 力量を、見誤った……読まれてた。追撃の斬り下ろしの間合いは、絶望的に遠い!


 後ろに跳び退り、敵の戦列に紛れたアギオス二世の声が戦場に響いた。

「行けぇ!」


 敵が、来る!

 気持ちを切り替え、まずは第一波を抑えなければ……。

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