Algolー8ー

 五人を置き去りにしたその日の夜。

 俺やレオはともかく、それ以外の連中は平静を欠いていた。感覚が優れていないので、断末魔を聞き取れてはいないようだが、夜になっても合流しない以上、二度と戻らないことは察しているらしい。

 怯えている者もいたし、憤りを――敵に対してか、俺に対してかは分からないが――感じている者もいたし、その辺の物にやつあたりするヤツもいた。

 意外だな、と、思うのは、どちらかといえば精神的に細そうなヤツがすんなりと寝付けている点だな。多分、敵を警戒しよう、警戒しようと思っているうちに、つい無心になって寝てしまったんだろう。


 ……明日が、勝負だな、と、思う。

 海岸線までは、あと二日程だが、多少無理をさせるつもりでした。最悪、途中で何人かにガキを背負わせて走らせ、潰れれば置き去りにする。

 漁村なりなんなりに辿り着き、船を奪ってこの国を脱するのに必要な最少人数は、俺とレオとガキ、そして、あと二~三名で充分だ。

 まあ、二度目の置き去りの指示を素直に聞く可能性は低いが、それでも、足の腱を削いででも、時間稼ぎをさせるつもりでいた。後戻りできない場所にいる以上、どんな手を使ってでも勝たなくてはならない。


 野営地の中心にはレオがいるので、俺はそこから少し離れた木に背を預け、敵を警戒しつつも、軽い仮眠に入ろうとした時だった。

「あの……、兄さん」

 ガキがもそもそしていたのは知っていたが、小便かなにかだと思っていたので無視していた。それが俺の目の前に……多分、本人的には小走りで、しかし、俺から見れば、なんだかイラつくぎこちない動きで回り込んできた。

 いや、歩く姿もそうだが、呼ばれ方もなんか、変な感じだな。

 いきなりこんな中途半端な歳の弟が出来たところで、対処に困る。

 つか、俺とは似ていなさ過ぎて、全く親近感がわかない。いや、子供だから線が細いってだけじゃなく、容姿も気性もまるで正反対じゃないか。

 出自そのものは、二つの王家が混ざった血なので、俺よりも高貴なはずなんだが、なんでこうなったんだ?

 正直、どう接したら良いのか分からないので、あんまり話しかけてもらいたくない。

 しかし、まだ子供だからか、こっちの気持ちまでは考えなかったようで、真面目な顔でガキが勝手に話し始めた。

「戦い方を教えてください」

 表情に嘘はない。ずっと牢屋に居たせいか、ラケルデモンの男子としては長過ぎるぐらいの髪が、北風に微かに揺れていた。ああ、後、寒風のために頬が赤く、若干鼻水が出ているがな。

 ただ、意外だとは感じた。そもそも、俺はこの異母弟を自発的に会話するようなヤツだと思っていなかったし、まして、闘争心なんて微塵もありはしないと思っていたから。

 多分、レオの部下のどいつかが、嫌味のひとつでも言ったんじゃないか、ということは察せられるが……。

「無駄だ」

 短く吐き捨てるように言えば、ガキは小動物のようにビクッと肩を震わせた。

 身を縮め、次いでゆっくりと姿勢を戻しながら、大きな黒目がちな瞳でまじまじと俺を見上げてくる。

「今、貴様がすべきことは、戦うことじゃない。戦う人間の邪魔をしないことだ、理解できるか?」

 トントン、と、自分の頭を人差し指でつついて見せ、皮肉っぽい笑みを向ける。

 さしもの異母弟も、流石に怒ったのか、口を尖らせ「……だって」と、呟いて視線を地面に落とした。

 暫く待ってみても、だっての続きは聞こえてこなかった。

 だって、どうしたっていうんだ? 牢屋に居たから? 教わってないから?

 アホか、俺だってなにも教えられずにクソみたいな少年隊の訓練所に捨てられたっての。

 その俺が、なんで俺よりは楽な環境にあったコイツに同情する義理がある。

「泣き言なら、他のヤツに言え」

 と、言った後で、その泣き言を言うべき雑務兵自体が、戦闘や逃亡生活によって、精神的に追い詰められているのを思い出した。アイツ等もアイツ等でほっそい人間だからな、クソの役にも立ちやしねえ。

 苛立ったように溜息を吐くと、それを聞いたガキの顔が歪んだ。

「なんで、兄さんじゃないの。兄さんで良いじゃないですか。どうせ、ホントは、誰も、皆、……ぼくに期待なんてして無いくせに」

 まず、ガキが感情を露にしたことに驚き、次いで、その内容に驚いた。

 意外な……いや、意外でもなんでもないのか。このガキが、王権が欲しいと言った事は、少なくとも俺が合流して以降、一度もなかった。

 王家に生まれた以上、それを望むのは普通の事だと思っていたので、コイツもそれを欲していて、例え今は実権が無くとも、レオ達にそういう位置に据え置かれたことを内心では喜んでいると思っていたんだが。


 ふん、俺とは別の苦悩があるってことか。

 歯を食いしばって、目を潤ませる姿が、どこか昔の自分に重なって見えた。

 そうだな……。

 俺にも、自分だけが不幸だと思って、他の全てを呪った時期がある。

 ただ、それは、このガキに必要なことではない。

 憎しみを伝播させるわけには行かない。未来のためにも。

「なんで俺が選ばれなかったのか、か。一番、それを神様に訊きたいのは、この俺だ。愚弟」

 泣くのを堪えていたはずのガキの顔が上がる。

 俺の言い草に少し驚いたようで、涙は引っ込んだらしい。

 そしてそのまま、俺の目をじっと覗きこんでくる異母弟の視線に負け「敢えて言ってやるなら」と、前置き、俺は少しだけ付け加えることにした。

「貴様を俺にしないように、皆、腐心してんだよ。その俺に教わりに来るな、愚弟」

「ぼくに、なんの才能が、あるってんですか」

 真摯な表情で問われ――。

「さあ? なんもねえんじゃねえの? 今んとこ、見所なんて一個もねーんだし」

 事実だったので、鼻で笑った後で、はっきりあっさりとそれを告げてやったんだが、ガキは……自覚があるから余計になのか、さっきよりもくしゃくしゃで、今にも泣き声を上げそうな顔になった。

 その扱い難さに額に手を当てながら、眉間に皺を寄せつつ俺は更に話し続けることにした。

「が、それを望む人間も多い。欲しいのは血筋の正統性だけってな。それが政治の世界だ」

 多分、異母弟が選ばれたのは、その可能性に賭けたからなんだと思う。周囲の多くは、このガキを自分の色に染めて傀儡にしようとするだろう。

 でも、それでも、ほんの僅かながら、嘘や甘言に騙されず、自分自身の意思でラケルデモンの過去を清算し、国家を刷新出来る可能性があり――。そして、それは、マケドニコーバシオへと連れて行けば……、先生や皆と会わせることが出来れば、飛躍的に高まる。

 そう土台が歪んでしまっている俺と違い、異母弟なら、しっかりとした基礎の上に、新たな時代の価値観を築き上げられる。

 所詮古い価値観の中にいる俺としては、少し、寂しいような、悲しいような気はするがな。

 まだ、気持ちそのものと、論理的に導き出した結論の乖離には悩んでいるが、それでも、俺は自嘲めいた笑みを浮かべ、最後に付け加えた。

「俺はどうも他人に嫌われる性質でね。ま、貴様はこうはなるなよ」

 マケドニコーバシオへと帰ったら、このガキに俺の名を与えるのも良いのかもしれない。他人に奪われたからって名無しのままじゃなんだしな。

 その後の俺は――、まあ、俺らしく、ヘタイロイの暗部として汚れ仕事でも引き受けるかな。んで、最後は人知れず消えていくってね。そういうのも、悪くないさ。誇れるものでも、いさおしを歌われることもないだろうが、戦士としての生き様のひとつとしてはありだ。


 話は終わりだ、寝てろ、と、虫でも散らすように異母弟を追い払った。

 だが、ガキは俺の近くを離れず、隣の木の根元で蹲った。


 ッチ、と、舌打ちをひとつして、俺も明日に備え、仮眠に入った。

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