Algolー7ー
敵の気配を感じたのは、山が途切れ、次は平野の森を掠めるような道へと入る四日目の昼だった。
「レオ」
ガキの手を引いているレオは、静かに俺に頷き返した。
山に響く足音や囁き声は、方向と距離を測り難いが……。後方からの気配だな。そう遠くもない。装備のぶつかる金属音から察するに、大人数だ。部隊を別けず、こちらの痕跡を確認し辿って来た、か。設置した罠で、多少は損害を出していてくれればありがたいんだがな。
ただ、この距離感だと夜襲に持ち込まれる危険がある。暗闇の中で襲われ、戦闘に不慣れな連中がバラバラに逃げれば、再集結は出来ない。
――ッチ。
あと三日もすれば、海岸線から海へと逃げられたんだがな。間の悪いことだ。
襲撃を避けるには、時間稼ぎが必要だった。
選択肢は二つ、こいつ等を先に進ませ、俺が敵と一戦し、再合流する。もうひとつは、この場に何人かを置き去りにすることだ。
…………。
後者、しかないか。
もし仮に俺が負傷もしくは戦死した場合、その後の脱出計画が進められなくなる。マケドニコーバシオへの口利きも難しいだろう。
子守役みたいな連中を四~五人生贄にしたところで、こちらの戦力は減らない。確かに、雑用する人間が減りはするが、その分食い扶持も減る。奪う船の大きさを調整すれば、漕ぎ手の減少による不利益も小さいと言える。
それに、大身の物が居なければ、自分達が今まで追いかけていたのが、本隊と分離した囮だったと敵に思い込ますことが出来るかもしれないし、尋問に持ち込まれれば、追跡の方向を欺瞞できる可能性がある。
俺はなにを犠牲にしても、マケドニコーバシオへ帰ると誓ったんだ。
非道の謗りも汚名も、今更だ。奈落で責められる罪状が増えたところで、どうとも思わん。
そう、死ねと命じる相手が、かつてラケルデモンのアクロポリスでの友人であっても――いやだからこそ、失脚した俺を無視した罪悪感に付け込んで、それを行わせる。
三叉路で足を止め、冷徹に命じた。
「五名、残れ」
俺とレオの目配せから、追っ手が近付いていることぐらいは分かっていたのか、何人かが肩をビクつかせ、また、何人かが唾を飲み込んだ。だがその後は、全員が微動だにせずに固まっていた。
目の色で分かる。
こいつ等は、死にたくないだけだ。
生き延びて成すべきなにかがある面じゃない。
「経緯、家柄、そうしたことじゃない。貴様等が自発的にこの企てに参加したのなら……その目的のための捨て駒になれ。敵を引きつけ、遅滞戦闘を行い、我々の退避の時間を稼げ」
今だけでも、なけなしの勇気でそういう気分にさせられればいい。
胸の痛みは感じなかった。
悪いが、本当に俺は思い出せないんだ。こいつらと過ぎした日々を。だから、友を失うという実感に乏しい。
そして、そんな冷めた気分で説得を続ける自分自身を、心の中で少し嘲っていた。
きっと、王太子ならもっと別の命令を出すんだろうな、なんて。
「敵を始末したのなら合流を許す。偽情報を流し、生きながらえるのも、まあ、許してやる。しかし、正しい情報を敵に漏らしたなら……必ず、殺す」
自発的に名乗り出る者は、まだ居ない。
本当は、こうして足を止める時間も惜しい。
だが、足を速めたところで、この程度の錬度の連中とガキの集団では、夜通し歩きぬくことも、敵を撒くことも不可能だった。
もう一度戦い、敵を全滅させることも考えないわけじゃなかったが、気配から察するにかなりの大人数だ。よしんぼ、俺が敵を皆殺しに出来たとして、その時点までレオとガキが生き延びている保証もない。そんな賭けに出るわけには行かない。
「生まれてきたことに意味があると思うなら、ここで死ね!」
苛立ちもあって、つい声を荒げてしまった。
説教されている子供の気分なのか、その一喝で、余計に連中は萎縮した。
「このまま、ただダラダラと死んでいないだけの人生を生きるのか? 自らが存在する意味など必要ないのか? そんなのは、その辺の獣と同じだ。自の人生は、全て無駄だった。それでいいのか⁉」
もう無駄かもしれないと心のどこかで思いつつも、いや、だからこそ堰を切ったように出てくる言葉を抑えなかった。
「お前達は、お前達自身が、本当になにかを成し遂げられると思っているのか? 断言する。それは無い! 自らの人生を自らの足で歩んでこなかった者がそんな簡単に変わるはずが無い!」
冷静なつもりでは居たんだが、ガキの一件もあったし、なによりこんな連中が同じラケルデモン人だと思うと、憤りを感じていたのかもしれない。
確かに、あの国は戦うためだけに国力を磨り潰している。だが、それを是正しようとする者が、こんな連中で良いはずが無い。
「未来を作れる人間の礎となれ。五名がここで命を投げ出し、本体を逃がせ! それが、お前達の唯一の存在意義だ」
……だめ、か。
今度は無言で暫く待ってみたが、それでも誰も身動ぎひとつしなかった。
所詮はクズの寄せ集め、だ。
惜しくないわけじゃない。だが、名乗り出る者がいないのなら人柱に出来るのは、一人しか居ない。
レオに目配せをする。
脱出するための人選を誤った責任が、無いとは言えない。それに、レオなら充分に戦って敵を足止めできるし、捕虜になったとしてもそう簡単には口を割らないだろう。ウソは下手かもしれないので、偽情報を流せはしないかもしれないがな。
レオとは、こんな別れのために再会したわけじゃない。
が、こうして再び面が見れただけでも奇跡みたいなものだろう。
あの関所でが最後の別れだったよりは、今の方が幾分気分はマシだった。
小さく、静かにレオは――。
「残るよ。ここで、僅かでも、……時間を稼ぐ」
レオが顎を引き、小さく頷こうとすしている時に、声が割って入ってきた。
顔を向ける。
野営の時なんかにちょくちょく俺と喋っていた、あの幼馴染だったらしい男だった。
つられた様に、そして、自然な流れとして、その周囲の四名がそいつに合わせて前に出た。
「アーベル、その……いや、怨んでるのかもしれないけど、ボク達は、その……」
不安と緊張からか、泣きそうな顔で言葉を紡ごうとしているが、心が平静を欠いているからなのか、上手く言いたいことが伝わってこない。
結局、最後にはくしゃくしゃの顔で「いや、なんでもない」と、ソイツは俺に告げた。
右腕を挙げ、残りの十五名を先に出発させる。
「いつか――」
と、呼びかけると……どういう心境かは分からないが、少しだけそいつは明るい顔で俺の目を見詰め返してきた。
「あ。うん?」
「奈落で再び出会うことがあれば、今度は、友人になってやるよ。本音でぶつかり合って、喧嘩しあって、な。お前等も、ラケルデモンの王太子としてじゃなく、俺を俺として見てくれたら、な」
目の光が薄くなるのを見て取り、ああ、そうか、さっきの変化はやっぱりついて来いと言われる事を期待したのかもしれないな、とは感じた。
しかし、俺はそうするつもりは無かった。
残された五人の男達は俯き――。
「ああ、あぁ。うん、……そうだな。そうだよな。ボク等は……。アーベル、その、ごめんな、色々と。……今度こそ、達者でな」
泣くだけなら良いが、泣いて取り乱す姿を人前で見せることは恥だ。
俺は嗚咽に背を向け、レオ達が進まなかった方の道に深く足跡を残しながら暫く進み、欺瞞は充分と判断したところで森を突っ切ってレオ達と合流した。
夕暮れは静かに訪れた。
敵があの道を迂回した可能性は低い。森と山道がぶつかる場所で、森を迂回する二本の道と、突っ切ればアルゴリダのアクロポリスへと直行できる平原とが重なり合う場所だから。
確かにあの場所から距離は大きく離れていたが、壁となる山がある以上、戦闘音は反響して聞こえてくるはずだった。
もしかして、こちらの仕掛けた罠で敵の指揮官が負傷でもしたのか、なんて期待していた時だった。
微かな悲鳴、絶叫が、山に木霊するのが聞こえた。
「アーベル様」
ガキと素人には聞こえなかった様子だが、歴戦のレオにはきちんと聞き取れていたようで、その呼び掛けに俺は頷いて応じた。
それは、聞き慣れている、命の消える叫びだった。
軽く頭を掻き、鼻から溜息を逃がす。
「俺が、怨まれる分には、別に構わねーよ。これまでも、クソほど憎まれて来てるしな」
レオは返事をしなかった。
それが気まずいわけじゃないが、答えやすい言葉を投げる俺。
「薄明には出る。準備をしっかりさせろ」
「御意」
深く息を吸い。
長く吐き出す。
上手く、自分の感情が理解出来なかった。悲しむには関わった時間が短過ぎ、だが、多少なりとも言葉を交わした相手だったので、なにも思わないわけでもない。
敵の気配を探りながら、俺は暫くの間、声の聞こえてきた方向を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます