Algolー6ー

 レオの連れてきた連中が移動にも馴れ始め、多少は余裕が出てきた三日目の夜。

 もっとも、実際問題として、時間が空いてもやるべきことは多い――周囲の木々や石を使って、簡易的な武器の量産や、敵の追跡を欺瞞するための偽の痕跡を設置したり――が、この国を脱する前に話しておきたいことだったので、時間を作り、レオと二人で話せる場をあつらえた。


 雲の切れ間から半月に二日三日足りない月が覗いている、うそ寒い夜だった。

「レオ……」

 と、呼びかける息が白い。

 話し合いう場そのものを整えるのは難しいことではなかったんだが、訊きたい内容が、その、上手く口から出てこなくて、言葉に詰まった。

 レオの方としても、必要な情報を伝え終わった後での話し合いなので、こちらの意を汲んでくれるとは思うんだが――。

「あの奴隷の女の件ですか?」

 どこか呆れを隠さない口調だったが、俺自身、未だに執着してしまっていることを恥ずかしく思っているのも事実だったので、素直に頷いた。

 そう、レオなら調べていると思っていた。エレオノーレが、外に出ても良い人間なのか否かを。

 いや、確かに農奴に逃げられたとあっては体面が保てないのも事実なんだが、奴隷の逃亡なんて良くある話だ。見つかって殺される場合も多いが、無事に逃げ延びる場合もあるし、大きな戦争においては奴隷を国有化し、戦に勝てば解放する場合もある。

 ただ、エレオノーレに関しては、もっと別の意味があったんじゃないのだろうか?

 エレオノーレは、処刑部隊に生まれた村を滅ぼされ、たった一人で俺と出合った村へと捨てられたと話していた。それが、ずっと引っ掛かっていた。

 殺さずにおく理由がなにかあったのではないか?

 無論、処刑部隊の単なる気まぐれかもしれない。農産物の収穫をするのが面倒で、ひとり残し、それがたまたまエレオノーレだった可能性もある。

 いずれにしても、確証が無い。ラケルデモンの外に出た俺には、調べる術もなかった。

「国の外に出られたのでお分かりかとは思いますが、一部の貴族を除き、家族名を持つ氏族は極めて少数です」

「結論を言え」

 まだるっこしいレオの説明を遮り、本題に切り込む俺。

 レオは、一呼吸の間を空けた。

「メタセニア王家は、確認されている血統の全てを断たれております。それは、貴族や、反乱を指揮した将軍も然り。メタセニア人に、知識層……貴種は一系統さえも残されておりません」

 落胆は、なかった。

 まあ、メタセニアの歴史や文化、その存在を徹底的に潰したのは知っているし、今でも反乱を恐れ、少年隊や青年隊の狩りの訓練と称して間引かせているんだからな。

 可能性は薄いとは思っていた。

 うん、もし、そうだったら話が早いし、楽なんだがな、と、思っていただけだ。

「あの奴隷の女は、どこにでもいる普通の娘です。気に掛けるほどの者ではありません」

 それは、お前にとって『気にかけるほどの者』ではないんだろうが、な。あの国を抜けた俺が、今でもお前と同じ価値観だと思うなよ。まったく。


 異母弟をマケドニコーバシオへと連れ帰り、俺が……そう、もし今後王の友ヘタイロイから外される事があっても、せめてエレオノーレぐらいは守っておきたかった。

 あの海が見える坂道で、約束、しちまってたんだからな。

 アイツの監督官となって、自立出来るまで面倒見てやることを。

 せめて、そのぐらいは完遂したい。

「レオ。復唱しろ」

 俺の口調から、なにかを感じ取ったのか、レオの眉間に皺が寄った。

「エレオノーレは、メタセニア王家の隠された末裔だ」

「…………」

 レオは口を閉ざし、全く身動ぎしなかった。従えない、と、その姿勢が語っていた。

 無理もない。

 処刑部隊を率いていたこともそうだし、俺のジジイと一緒に戦った経験もある以上、メタセニア人に対して、思うところのひとつふたつあってもおかしくはない。

 しかし――。

「どうした? 逆らうのか? 全員を殺すぞ?」

 譲れないのは、こちらも同じだった。

 自分の立場を危うくするだけの異母弟を、マケドニコーバシオへと連れて行くんだ。この程度の些細な欲求、無理やりでも飲ませてやる。

「出来ますかな?」

 試すようなレオの視線。

 隻眼になった所で、その鋭さは変わっていなかった。

 レオの気配が変わる。重く、強固で、こちらを押し潰しにかかってくるそれは、今のレオの武器である戦斧ととても似ていた。

「出来るさ」

 レオの怒気や殺気を受け流し、微かな笑みを口の端に乗せて即答する。

 レオは、驚いて――いや、意外そうな顔で、少し気配を緩め、こちらを窺っている。

「俺が死んでも、俺の仲間は止まらない」

 王太子が、プトレマイオスが、クレイトスに、リュシマコス、ネアルコスにラオメドンに……沢山の、仲間の顔が浮かぶ。

 アイツ等は、そう、きっと俺が死んでも、なにも変わらない。

 俺も、ミエザの学園で過ごすうちに単なるお客さんではなくなったはずだが、いや、だからこそ、か。

 皆で、目指すと決めた未来、なんだからな。

「そう遠くない未来、必ず、ヘレネスに統一国家が出現する。もしその瞬間に俺が立ち会えなかったとしたなら」

 レオは、夢物語とでも思っているのか――まあ、確かに何百年も都市間で争い続けてきて、また、その人生の大半をめまぐるしく変化する敵と対峙してきたレオにとっては、容易に信じられる話ではないのかもしれないが――、どこかバカにするような、というと語弊があるかもしれないが、でも、若いからそんなこと思っているのだとでも言いたげな目をしていた。

 だから、俺はいたって真面目な顔で続けた。

「皆は、必ず、ラケルデモン人を皆殺しにする。手に負えないんだ、気性もなにもかもが。特に、この戦争でそれが広く知られるところとなった」

 侮辱されたとでも思ったのか、レオの表情が変化したので、手でそれを制して少し早口で続きを述べる。

「お前等が、俺に従わないのならそれでいい。ラケルデモンの国体を護持する術がなくなるだけだ。それなら――、今ここで、ラケルデモンの新たなる可能性を摘んだところで、大した違いは無い」

 言うべき事を言い終え、睨み合う、というと、少し違って伝わるかもしれないが、お互いに真顔で見詰め合う。


 以前の俺は、マケドニコーバシオの軍事的革新にその根拠を求めていたように思う。でも、今は、また少し違った考えでいた。

 レオ達は、俺ではなく異母弟をラケルデモン王太子として認めている。なんの実績も無い、ただのガキを。

 自らの希望と、自らの目的を全て達した姿――エンテレケイア――は、中々に一致できないものなのかもしれない。しかし、もしそれが一致し、同じ夢を追うことをエンテレケイアとする仲間に巡り合えたのなら、それは、大きな力になれるのだと思っている。

 王太子と、王の友ヘタイロイなら、その可能性を完遂出来ると、信じている。


 葛藤があったのだと思う。でも、レオは嘆息し、渋々ながら口を開いた。

「あの奴隷は――」

「エレオノーレだ」

 指摘すると、レオの右の眉がピクリと動いた。

「他国の王女だぞ? さまを忘れるなよ」

 折角なので、からかうように付け加えると、レオは露骨に面白くなさそうな顔と苛立った声で――。

「……エレオノーレ様は、メタセニアの唯一の王位継承者で、アーベル様がその慧眼により見出し、保護されておりました」

 ハンと、こちらに素直に従うだけじゃなかったレオの言葉を鼻で笑う俺。

 余計な修辞語をつけたところで、特になんの意味も無いだろうにな。

「余計なのがくっついてたが、まあ、それでいい」

「…………」

 言質は取れたので、この話はこれで終わりだとばかり思っていたんだが、レオはまだ不満そうな顔で俺を見ていた。

「なんだ?」

 物言いたげな顔で俺を見続けているが、自分から話し始めなかったので促してみると――。

「あの女を妻に?」

「ぶは? ははは」

 レオが真顔でそんな事を訊くものだから、思わず噴出して、ついでに笑ってしまった。

「バカかお前は?」

 声は押し殺していたが、なんか、俺の保護者のような立場に居るレオから、意外と下世話な話が出て来たので、笑い過ぎて少し目尻に名前が浮かんでしまう。

 コイツも、そんな事を言い出す様な歳か。

 仕舞いには、死ぬまでには、俺の子が見たいとか言い出すんじゃないだろうな。

「失言でした。アーベル様には、もっと相応しい方を見つけて頂かなくては」

「それも含めて失言だ。お前までアイツ等みたいなこと言うなよ」

「アイツ等?」

 口にするのはどこか気恥ずかしかったが、いつまでそう思われ続けられるのか、何度そう紹介出来るのかわからなかったので、俺ははっきりと口にした。

「仲間だよ。皆で世界をとるためのな」

 口に出すと、少しだけ誇らしい気持ちがした。


 そう、皆、大切な仲間だ。

 いつからか、そう、自然と思えるようになっていた。


 レオは、ほんの少し黄昏たような顔をしていたが、最後に頭を下げ、話は終わったと言わんばかりに自分の寝床へと戻っていった。

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