Algolー5ー

 初日の移動を終え、夕刻には野営の準備に入った。

 もっとも、稼げた距離は最悪もいいところだがな。しかし、ここで無理をすれば、雲が厚く垂れ込めていることもあり、夜間の寒さと視界の悪化で遭難者が続出する危険性がある。

 ただ、野営においては、これまで山岳地帯に潜んでいただけのことはあり、レオの部下達はそれなりに効率的に分業されていて、寝床の準備や食事の用意は俺が指揮しなくとも平気そうだった。

「レオ」

 レオが――ああ、そうか、レオの右目はもうないんだったな――身体ごと俺の方を振り返った。

「周囲を索敵する。お前は、俺に次ぐ戦力だ。休んどけ」

 おそらく、これまでも敵への警戒はレオがしていたのだろう。味方の動きを監督しながらも、眼球の動きや仕草から周囲に気を張っているのが分かった。

 だが、今日一緒に移動してみて気付いたが、レオは隠しているだけで相当身体にガタがきている様子だった。歩幅や歩調、上体の揺れ方にそれが現れていた。

 襲撃があの一回限りと決まったわけでない以上、次の戦闘でもレオには役に立ってもらう必要がある。体力の回復とまでは行かなくとも、温存しておいて貰わなくては困る。


 大凡の俺の意は伝わった様子だったが、レオは周囲の働いている姿に引け目があるようで、少しだけ戸惑った顔になった。

 しかし最後には、俺の表情から、言い合いをしても無駄だと悟ったのか、二呼吸の後に頷いた。

「御意」

 まあ、ガキが相変わらず本心が読めない面でぼーっとしてたので、子守でもするんだろ。似合ってないような、以前も俺の教育係だったので、らしいといえばらしいような……。

 って、余計なことに気を散らす必要はないか。

 ここにいるのは、同じラケルデモンの人間のはずなんだがな……。いつのまにか、もう、ラケルデモンは俺の帰る場所ではなくなっていたのかもしれない。

 どこか感じる疎外感に背を向けるようにして、俺は野営地を出た。


 着替えはあるが、冬に汗をかくのは良くない。風邪引く程度ならまだ良い方で、濡れた服を着続けて凍傷になる危険もあるからだ。だから走りはせず、早歩きで周囲の偵察を行う。

 人が潜めるような段差や、大きな石、木々が密集している場所を丁寧に調べ、罠を設置する。木の枝を細い紐でたわませ、雪で偽装し、踏み込んだ瞬間に頭を枝が打つような仕掛けや、雪で一件平坦に見えつつも、足を取られるに十分な段差を地面に設けさせたり。

 また、索敵中、地面ばかりに気をとられていると、樹上に潜んだ敵に狙われる危険性があるので、頻繁に顔を上げることも忘れてはならない。無論、上を取られないようにする対策も。木に登りやすくなっている蔓を落としたり、木の又になっている部分に石を設置し、手を掛けた瞬間に落石し、木から落ちるような仕掛けがそれだ。

 手勢は少ない。それを補う意味でも多くの罠を設置する必要がある。

 それに――……。

 罠を仕掛けたり、人が潜んでいないかを調べる必要のある場所は、他の動物にも格好の隠れ家となる。冬眠中の獣を絞め、多少の食料調達も済ませてから、日が完全に落ちる前には野営地へと戻った。



 未だに思い出せないんだが、昔俺と仲が良かったという男が、俺の目の前に座っている。

 まあ、最初に話しかけちまったし、他の連中が俺を避け気味なので、自分が接さないと仕方ない、みたいな感覚なのかもな。

 レオは、まあ、コイツ等と馴染んでいるようなんだが――。あのガキは俺以外に対しても、積極的に話しかけたりはしていない。となると、必然的にレオがガキの面倒を見る形になってしまい、休息時に顔を突き合わせる人間は決まってしまっているようだ。

 ただ、この男、やや髪質が弱いのか、禿げるような歳でもないだろうに、兜を脱ぐと短い髪がぺたりと頭に張り付いて、なんだか、思った以上に老けて見えた。

 いや、こんな時に思うようなことでもないのかもしれないが。

 ……いや、むしろ、こんな時だからこそ、余計なことを考えるべきなのか?


 夕飯をかっこむ男が、うん? と首を傾げて見せたので、俺はなんでもない、と、首を横に振った。

 夕飯は、まあ、ラケルデモン式である以上、当然といえば当然なんだが……。俺が捕ったアナウサギを絞め、毛皮と骨以外のおよそ全ての部位――血や骨の中の骨髄も含め――を使った悪名高い黒シチューだった。

 懐かしさを感じるとかそういう話じゃない。

 しょっぱ酸っぱくて、食感最悪。

 一口目から、飲み込むなと胃が押し返してきあがる。ちくしょう。

 まあ、どろっどろだし、温まるってか、腹が不自然に熱くはなる。そういう意味では、この季節に適した食事なんだろうよ。味以外は。

 マケドニコーバシオでの日々で、知らぬ間に舌が肥えたのかねぇ。

 つか、よく顔色ひとつ変えずに食えるな、コイツ等。悪食にも程があるだろ。

 食欲は湧かない。が、食わないと持たない。

 休み休み、薬でも飲んでる気分で黒シチューを腹に収めていく。


「ボク、等は、臆病者だったんだ」

「あ?」

 唐突に話し始められて、どうすれば良いのか分からなかったが、少なくとも木の器から視線を外す良い切っ掛けにはなった。が、目の前の男が、黒シチューと大差ないような暗い顔をしていたので、不味い飯の味を誤魔化せはしなかった。

 用兵は、こういうのがめんどくさいんだよな。戦場で敵をぶった切るのは危険だし、心理的負荷も少なくはないが、慣れればどちらも快感になる。だが、兵を指揮する場合、個々人の心情や罪悪感を低減させるための聞き取りや話し合いも重要になってくる。

 マケドニコーバシオで慣れたとはいえ、あまり得意な仕事じゃない。

 しかし、だからこそ、顔を顰めたり溜息を吐くわけにもいかなかった。相手を萎縮させては、より生産性が落ちるだけだからだ。

「アーベルが、いなくなったと知って。父さんから、その名はもう口に出すなと言われて……素直にそれに従った」

 は、と、鼻で笑い飛ばして答える。

「そこは、お互い様だ。当時の俺も、お前等がいなくなったとして、なにか行動を起こしたとは思えない」

 そもそも、アクロポリスに居た頃の俺は、未来の国王だったので誰からもちやほやされていた。皆が皆、同じようにおべっかを言って、俺の希望を優先させ、ちょっとでも俺が気に入らないやつが出てくれば、全員でそいつを虐めて遊んでいた。

 だから、その頃の友人を、俺はひとりの人間として認識していなかったと思う。声を上げれば自然と集まり、飽きれば散らす。言葉を話し、息を吸い、動くことの出来る玩具、みたいな感覚だったのかもな。

 うん、そうだな。

 例え、中央監督官や将軍の子弟とはいえ、どこか奴隷みたいに思っていたのかも。

 国はいずれ俺の物になる、人もそうだ、とな。


 ……ハン。

 もし、その頃の友人に、プトレマイオスとか、ネアルコスとかリュシマコスとか、王の友ヘタイロイの誰かが居れば、俺の現状は変わっていたんだろうか?

 それとも、いかな王の友ヘタイロイといえども、子供の頃のそんな場面では、俺にただ従っていただけなのだろうか?

 ……いや、それはないか。アイツ等は、王太子と親友として育ち、ミエザの学園に集ったんだ。

 なら、その場合、もし俺が王太子のような人間性を持っていたなら、コイツ等はもっと違った人間となっていたのだろうか?

 ……分からない、し、今となっては答えが出るような問題ではないか。


 目の前の男は、俺よりも長い時間悩んでいるようだったが、不意にポツリと呟くように言った。

「違うよ」

「あン?」

「もし、アーベルとボクが逆の立場だったら……同じことが出来たとは思えない。生き延びられなかったと思う。殺されていたか、さもなくば――」

 明日はどうなっているのか分からないこの場所でも、それを口にしたくないのか、言いよどむ男。

 続く言葉を代弁し、俺は問い掛けた。

「自ら死を選んだ、か?」

 神妙な顔で頷かれたので、俺は敢て軽く笑い飛ばした。

 死は、目をそらす問題じゃない。だが、人が人である限り、直視出来るものでもない。静かに、そして、少しだけ楽天的に、側に置いておくものだ。自分自身から不可分の影のように。

「死ぬことなんて、誰でも出来る。いつでもな。それに、。なら死ぬまで生きてりゃ良いだろ。後は運だ」

 これまで、色々なことがあった。本当に、沢山の事が。良い事も、いや、良い事以上に沢山の悪い事が起こったな。

 でも、俺は死にたいとは思わなかった。

 それは、死ぬのが怖いという臆病さからなのか、それとも不屈の復讐心によるものだったのかは定かではないが、少なくとも俺は、生き延びるための努力をしてきたと思う。味方の犠牲を、最小限に抑えるための努力も。

 そもそも、戦場で死ぬ可能性なんてどこにでも転がっている。日常ではありふれているような、ほんの些細な失敗で命を落とすこともある。

 絶望して自死するぐらいなら、前のめりに、笑って戦い抜いて死んだ方が、格好がつくだろう。同じ死ぬなら、俺はそうありたい。

「臆病者で、ごめんなぁ……」

 男は、泣いてはいなかった。

 いや、俺達は、たとえ身内や戦友の葬儀であっても、号泣することを恥とされている。感情を、最低限自分自身で制御できる。それが、一人前の男だ。

 だから、その声だけで、コイツが抱えていた罪悪感の重さが、少し、分かった気がした。

「気にすんな、これからだ」


 少しぐらいは、こんな連中でもマケドニコーバシオへと連れて行っても良いのかな、なんて思い始めていた。

 そうすれば、環境が人をどう変えるのかが分かる気がした。

 俺は生まれながらに歪んでいいて、それは死んでも変わらないものなのか、それとも今後、マケドニコーバシオで過ごすうちに王の友ヘタイロイの皆のように変われるのかを。

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