Azmidiskeー10ー

 会議も終わり、どっぷりと日が暮れた頃、控えめに宿のドアがノックされた。多分だが、エルじゃない。アイツに、ノックを覚えさせるのは諦めた。許可を取る取らないの前に、部屋まで来たなら勝手にドアを開けている。

 消去法で誰なのか察しはついていて――、正直、なにを言ってくるのかも分かっていたし、それをただ聞いてやるもの面倒だったが、ともかくも俺は「入れ」と、許可した。

 案の定、キルクスがどこかおずおずとした態度で部屋に入り――。

「乗ってきた船の修理の見積もりと、持ってきた資産の目録です」

「早かったな、明日でも良かったのに」

 とは答えながらも、引っ手繰るようにして書類を検めていく。

 船の傷みは――思ったほどではないか。甲板は酷いが、それ以外は無事だったのが大きいのかもしれない。掛かる金も、新しく買い入れる場合と比較すれば、微々たる物だ。

 しかし、船の他にコイツ等が持参してきた資産は、船の修理や増えた人間のために必要な物を揃えれば消える程度の銀貨だった。

 クソ。差し引きゼロ、とは言わないが、儲けが出るかは、やはり今後の商売次第だな。

 いや……まあ、分かっていたことではあるが、そうそう楽は出来ないか。

「リーダーだけに働かせるわけには行きませんよ。貴方が今処理しているのは、僕達の参加で増えるはずの食料や日用品の補充の手配でしょう?」

 お見通しってわけか。

 この辺の抜け目無さは、まあ、他の連中よりは使い出があるんだがな。狡猾過ぎる、だが、野心に実力が伴っていない。一言でいうなら、軟膏の中の蠅ってところかね。

 ちなみに、食料の買い付けが上手くいっていたので――本当は買い付けた量の五割ほどは売りに出したかったんだが――、キルクス達の食い扶持が増えても、来年の収穫期の夏まではかなり余裕がある。

「それに――。今は、なにかしていたいんです」

 付け加えるように言ったそれも本心のようで、どこかしょげたような顔には、寝付けないのか微かに目の下にくまがあった。

 ふん、と、鼻で笑って見せる。精神的に、随分とか細いな。

「負け戦を目の当たりにした感想はどうだ?」

 戦争が終わった直後に調子付いていたのをからかうように訊ねてみれば、照れ臭そう――と言うよりは、反省している様子でキルクスが答える。

「少し前の自分が酷く滑稽に思います。奪うのではなく、並び立つ術、ですか」

「エレオノーレの言葉か?」

「ええ……力による簒奪を正当化していた自分達が虐げられて、初めて分かりましたよ」

 とはいえ、再び支配階級まで這い上がれば、その時は今の逆境を忘れていそうな、そんな軽さをコイツから感じるのは否めない。もう少し痛い目を見てくれれば、もっと使いでのある男になりそうなんだけど、な。


「……貴方は、なぜ?」

「ん?」

「貴方は、エレオノーレさんの側にいるのに、なぜ今も力を信じているのですか? 聞くところによれば、貴方も国を追われているのに」

 ふん、と鼻で軽く笑って、軽々しく信条を変えたキルクスをも嘲笑う。

「色々あんだよ。こっちにも、な」

「彼女の事が好きなんですか?」

 ふん、と、今度はバカにするように強く短く鼻で笑い安易な予想を吹き飛ばす。

 俺とアイツは、多分、そんな関係じゃない。好き、と言うには、それ以上の深い憎しみや対立が、同じ位の強さで胸の中にある。良い意味でも、悪い意味でも、好きに収まるだけの感情じゃない。

 なにより――。

「俺とアイツは違う人間だ。以上、添い遂げるわけにはいかない」

 俺は、ラケルデモンへと返り咲くことを望み、エレオノーレは平穏な暮らしを望んでいる。お互いの感情がどうあれ、目的地が違う以上、道は、必ず別れる。

 エレオノーレの為に夢を諦めることなんて、俺はしたくない。

 女のためにこれまでの全てを投げ捨てるだなんて、バカげている。


 しかし、キルクスは、なぜか穏やかに笑い返してきた。

「心は変わるものですよ」

「貴様のようにか?」

 問い返すと、キルクスは目を大きく開き、一拍だけ間を空けてからやんわりと微笑んだ後――。

「ええ」

 それだけを言い残し、キルクスは部屋を出て行った。

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