Syrma-11-

 陽が落ち、先行する王の友ヘタイロイとテレスアリア軍幹部が出発準備を整えている間、軍団兵には休息をとらせていた。

 今日はこのままここで一泊することになる。

 戦わずに済むに越したことがない状況で一日の浪費が痛いのは確かだが、テレスアリア兵を再編し行軍隊形を組ませられないと、進軍速度が出ずにかえって日数を要することになる。撤退とはいえ、ただ適当に全速で走って逃げればいいというわけではないのだ。

 寝不足では注意力も散漫になるし、そもそも俺達もテレスアリア兵も昼に一戦していたわけだから、士気を維持させるためにもここで寝させることには充分に価値と意味がある。

 とはいえ俺自身は、クレイトスのところの騎兵による偵察の報告が頻繁にあがってくることもあり、少し時間が空いても横になるような気分ではなかったが。

 しかし、夜も半ばを過ぎ、下弦の月が東から登る頃には、それも落ち着き……なんとなく手持ち無沙汰だったので、厩の方へと足を向けることにした。

 特に意味があって目指したわけではないが、起きているのは昼に馬車で休ませる予定の偵察の騎兵ぐらいしかいないだろうと思っていたし、偵察の際に見たラケルデモン兵の印象についても――きちんとした報告に値する内容ではなくとも、直感的にどう見えたのかを聞ければな、ぐらいの感覚だ。


 天幕を出ると、鈍い灯りが陣内を照らしていた。遮蔽物を使い、遠方まで明かりが届かないように工夫している。敵に気付かれるわけにはいかないが、近付く敵に気付く必要があるからだ。

 話し声は聞こえてこない。

 しかし、夜気の中に、不安や悲しみ、緊張感、戦場の昂ぶり、闘志、様々な感情が揺らいでいる、戦場の空気が漂っていた。

 どこか急きたてられているような気になるこの空気は、嫌いじゃなかった。


 夜そのものを吸い込むように、大きく静かに息をしながら、焦らすようにゆっくりと厩へと歩いていくと、その入り口で意外な顔を見つけた。

 向こうも俺に気付いたらしく、ちょっとだけ首を傾げて訊ねてきた。

「どうした?」

 プトレマイオスの大きな二重の目は、夜だと少し目立つな、なんて考えながら答える。

「いや……なんとなく。偵察の連中の状況視察も兼ねて」

 そうか、と、返してきたその表情になんとなく陰があるような……いや、もっと具体的に、なにか言いたいことがあるような雰囲気を察し――思い当たることはひとつしかなかったので、思い切って俺の方から訊ねてみることにした。

「キルクスの件、聞いているんだろ?」

「……ああ」

 口調や表情から、言いたいことはそれだとはっきりと分かったものの、プトレマイオスの方から俺を詰問してくることはなかった。

 見捨てたことを快く思っていないと表情に出ているのに、特にその話題に触れようとしないプトレマイオス。

 だから、焦れた俺がまた訊ねることになった。

「咎めないのか?」

 ふ、と、少しだけプトレマイオスは笑って見せた。

「お前は子供か」

 的を得過ぎている言葉に、普通に怒られている時よりも衝撃を受けてしまったが、全く否定できないので俺は苦笑いで誤魔化した。

 が、そんな俺をプトレマイオスは追い打ってきた。

「お前は、責任を自分自身でとれるはずだ。私が叱るとか、叱らないとか、そういう基準で考えるな」

 その通り過ぎて、なにも言えない。

 キルクス達が俺達の利害に大きく関わってくるのならきちんと相談するが、現状、アイツ等がどうなったところで俺達の行動に大きな変化は生じない。戦略的な意味がない以上、現場の判断で処理して構わない問題だ。

 ただ――。

「しかし、面白くは感じていないんだろ?」

「まあ、な」

 プトレマイオスとキルクスは、仲が良いってわけではないはずだ。と、いうか、そもそもそこまで一緒に行動をしている二人ではないのだから、顔見知り程度という認識でいた。

 そんなプトレマイオスだからキルクスを気に掛けるというのは、どこか意外な気がしてしまう。

 まさかエレオノーレのような、人死にが嫌だってわけでもないだろうが……。

 エレオノーレへの求婚の件で、俺が冷静さを欠いた判断をした、とでも思われてしまったのかな。

「死人は生き返らない。神話のアスクレーピオスは死者を蘇らせた罪で大神に罰せられ、その技術は永遠に失われた。後から悔やんでも取り返しはつかないぞ?」

 プトレマイオスの説教からは、俺がキルクス達を捨てた件を嫉妬の問題と考えているのか否かは分からなかった。もっとも、プトレマイオスの性格上、それをはっきりと訊けないだけかも知れないが。

「しかし、アスクレーピオスは、結局は天上に取り上げられ、星座となったたんだろ?」

 だから俺も、軽い受け答えになったんだが、プトレマイオスに嘆息されてしまった。

「屁理屈を言うな」

「分かってる」


 話題が途切れ――しばし沈黙を挟んだ後、ふとプトレマイオスが口を開いた。

「お前は、仲間の死になにも感じないのか?」

 キルクス達を仲間と呼べるか否かという問題はあるものの、基本的には武装商船隊として短くない期間行動を共にしていた以上、否定までする必要性は感じなかった。

 しかし、さっきプトレマイオスがしたのと同じだけの沈黙を挟み、考えてみるが、感じるという観点では確かに俺はなにも感じてはいなかった。

「悪いが、その通りだ」

 アイツ等が島に無事に帰れる可能性は低いと知っている。が、あれが最後の別れだったとして――正直、なんの感情も湧いては来なかった。

 多分、死んだと聞けば分かったと答え、すぐに忘れてしまう。


 ただ、そうか、と、答えたプトレマイオスの声は沈んでいた。

 今になって、仲間を殺すという部分に、キルクス達を見殺しにする以外に、同じラケルデモン人と戦うことについても訊ねているのかもしれないと気付いたが、なら、尚の事答えは変わらない。

「ラケルデモンでは、同じ少年隊のヤツでも沢山死んだし、殺してきたからな」

 いまひとつ納得していない様子のプトレマイオスに、少しだけ迷ったが……そういう気分だったので、少しだけ語ることにした。

 思えば、必要な情報以外でラケルデモンの思い出を口にしたのは、初めてかもしれない。

「昔、仲間、というほどではなかったかもしれないが……まあ、よくつるんでいた連中がいた。ラケルデモンにいた頃にも」

 少しだけ首を傾げて見せてから、プトレマイオスは軽く頷くだけの相槌を打った。

「その二人を殺したのは、エレオノーレだ」

 なんと言って良いのか分からないのか、プトレマイオスは複雑な表情で話の成り行きを見守っている。

「まあ、エレオノーレにアイツ等が殺される頃には、既に能力的にも性格的にも溝が出来つつあったが、それでも険悪というわけではなかった、と、思う。でも、なにも感じなかった。むしろエレオノーレの方が、人を殺してしまったことを思い悩んでいた。そうしなければ、自分が死んでいたって言うのにな」

 ふと、プトレマイオスの視線の動きから話がエレオノーレの方にそれていってしまったことに気付き、多少強引ではあったが方向を修正してまとめにかかった俺。

「俺は、どうも、そういうことに拘れない男らしい。だから――、その判断に不満があるなら、言ってくれた方がありがたい」

 キルクスの件、アイツがエレオノーレに求婚していると聞いた時から、なんとなく、面白くないと感じている部分は確かにあった。

 ただ、それでも、王の友ヘタイロイの誰かに命じられたなら、俺はキルクス達を置き去りにはしなかったと思う。……文句は言っただろうけど。


 瞳を覗き込んできたプトレマイオス。

 俺が本気で言っているのだと理解したのか、プトレマイオスはどこか寂しそうな表情を浮べた。

「どうした?」

 まさかそんな顔をされるとは思っていなかったので、自然と訊ねてしまっていたが、プトレマイオスには、いや、と、曖昧な返事をされただけだった。

「悪いが、俺は察するというのは苦手だ。はっきりと口にしてくれ」

 プトレマイオスは躊躇うように下弦の月を見上げたりしていたが、俺が見詰め続けていると最終的には折れて話し始めた。

王の友ヘタイロイは、王と共に戦うものだ。確かに事務方のもいるが基本的には生死を共にする共同体だ」

「ん? ……ああ、それで?」

 なにを今更、と、いう顔をした俺を真っ直ぐに見つめてプトレマイオスははっきりと言った。

「私が死んだ時、お前はなにを感じる?」

 心臓を直に掴まれたような感覚がした。

 そして、俺が自発的に気付き、察せなければならない問題だったんだと気付いたが、既に遅かった。


 アイツ等と皆は違うと言いたかったが、後付けの言い訳のような気がして、それも言えなかった。

 プトレマイオスは、俺の様子を見て――多少は感情を推し量ってくれているのかも知れないが、静かな声で続けた。

「こうして戦場へと出ているんだ。いつかその時が来るだろう、戦いの場ならお前が助けるとかそういう話じゃない。私も戦士である以上、戦場で自分自身の死が必要な場面を見出すこともある。そうでなくとも、私の方が年上なんだからな。お前よりも早くその時が訪れるさ。その時、お前は、私の訃報をどう感じる?」


 上手く言葉が出なかった。

 もしそうなったら悲しい、とは思うが、正直、まだ実感がないと言う方が正しい。

 常在戦場のラケルデモンでの日々の中で、人は必ず死ぬと分かっていたはずなのに、いつのまにか王の友ヘタイロイの皆に関しては、死ぬことはないと思い込んでいたのかもしれない。

 皆、強く賢い、だから大丈夫、と。


 プトレマイオスは少しだけ穏やかに微笑み、俺の肩に軽く手を乗せ――。

「いつか私が死んだ時は、少しだけ泣いてくれれば嬉しい」

 それだけを言って自分自身の天幕の方へと歩き去っていった。

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