Syrma-12-

 撤退が始まって二日は無事に過ぎた。

 散ったアテーナイヱ兵を掃討するため、ラケルデモンは広く薄く部隊を展開しているらしく、俺達への直接的な脅威はほぼ同数程度ということが偵察により判明している。

 罠や障害物による遅滞効果は、無いよりまし程度。追撃隊が、重装歩兵ではなく軽装歩兵を主体とした部隊で、補給頻度も高くないために思ったように足止めできていない。

 踏破した道程は、まだ半分。

 だがしかし、三日目の昼頃から、敵軍の動きに不審な点が出てきた。行軍用の縦隊が詰まって膨らみ、一時的に足を止めているらしい。

 おそらく、武具や糧秣の再分配を行っている。


「どうにも、捕捉された臭いナ」

 大休止のための野営地で、テレスアリア傷病兵の死亡報告をまとめている俺に、付近の地形を探っていたクレイトスが文章仕事を邪魔するように乱暴に話し掛け、実際にテーブルの上の煩わしい木札の報告書を腕で払い落とした。

 まあ、俺もやりたくてテレスアリア兵の死亡報告をまとめてるわけでもないんだけどな。


 戦闘により直接的に死亡……まあ、簡単に言やあ戦死だが、それを免れても、傷を負った兵士は生きて帰還することはかなり難しい。元々命が強く、かつ、治療に金をかけられるだけの財力のある自由市民でなければ、たった一度斬り付けられただけでも化膿により死亡することは良くある。敵を斬る剣を清潔に保つなんて、そんな無駄なことをするヤツはいないだろ? つまりはそういうことだ。

 もっとも、今回の撤退線は敗残兵の救援であり、名目上は平等に治療に当たらせてはいるが、やはりどうしても出身都市による差は出てしまう。

 先生達が考案した新しい治療技術によって、生存率は上がっているんだとは思うが、負傷者は見捨てることが多かった俺としては、大きな傷を負ったものの半数が死亡するような現在の状況が良いのか悪いのかは判断しかねる。

 プトレマイオスから……いや、より正確には王太子から半分まで減らして良いと許可はされているが、現状、多めに見積もって救助した兵士の四分の一は戦傷が元での傷病死となりそうだ。


 灯心草で作ったペンと松の枝を焼いた煤をつかったインク壷を放り出し、偵察から戻ってすぐここに着たのか、武具を脱いで汗びっしょりのクレイトスに瓶から水を注いでやる。

「逃げてる俺等の背後を衝くのカ、はたまた――」

 コップの水を飲み干したクレイトスが、俺が言い終わらないうちに割って入ってきた。

「挟撃狙いダな。おい! 誰か地図を」

 クレイトスが騒いでいると、ネアルコスがテントへと入ってきた。すぐさま投げ出された連絡用の木片を見て、俺達を咎めるように顔を顰めたが、戦闘が差し迫っている時の俺達になにを言っても無駄だと悟ったのか、手早くテーブルの上に地図を広げた。

「ここダ。軍道は、川に沿って進んでいるから、この先蛇行している部分で渡河して回り込むつもりダろう。ンで、足が落ちたところで後方から押し潰す」

 まあ、追いかけっこしてチマチマ戦うよりは現実的な案だとは思うが……。

「なにか、兆候があるのか?」

 逆に、一戦を避けて背後からの嫌がらせ攻撃に徹し、俺達に逃げることに集中させたいと考える可能性もある。

 俺達を捕捉したということは、マケドニコーバシオの象徴であるヴェルギナの太陽と呼ばれる紋章をつけているところまでを確認しただろう。その場合、見逃すまではしてくれないと思うが、現在ラケルデモンを支持しているマケドニコーバシオとの直接対決を避けるために、程々で手加減してくれるかもしれない。

 しかし、淡い期待はあっさりと打ち砕かれた。

「部下が浮橋用の資材を確認シた」

 なら、こちらの殲滅を狙っているのはほぼほぼ確定か。

 いくら作りやすい浮橋とはいえ、俺達の陣の側面に敵前強行架橋なんてしはしないだろうしな。先の戦いでの完勝で油断していないわけじゃないだろうが、戦術が雑になるってわけでもないだろう。

「対処方法を決めなくてはなりませんね」

 ネアルコスが、俺にもコップで水を渡しながら、いつもの人好きのする笑顔を向けてきた。

「追撃速度を重視したラケルデモン軽装歩兵、か」

 別に喉は渇いていないが、本格的に喋る前に口を湿らそうと軽く口をつける。


 応手はいくつかあるが……。

 まず、俺達が架橋して敵が使うであろう経路を使うことだが、数を考えれば、架橋やそれを使った渡河の際に追いつかれる公算が高い。戦力が拮抗しているというのは、俺とクレイトスの騎兵を合わせた数と向こうの兵力が同程度ということであって、足手まといのテレスアリア兵がいる分、隘路や悪路を通ることになれば俺達の方が大きく速度を落とすことになる。

 逆に、敵の渡河資材の破壊だが、それを行うには速度の関係上、クレイトスの騎兵による攻撃しかない。資材を破壊した部隊が本隊に追いつくには、俺の軽装歩兵ではダメだ。ただ、敵もバカじゃないんだから、攻められやすい位置にそんなモノは置かないだろうし、深入りするならクレイトスの騎兵の退路が危うくなる。

 いくら馬による速度と衝撃力があるとはいえ、包囲されては犠牲も大きくなるだろう。


 地形的には、俺達が目指す港はこの川の先にあり、残りの行程では平野部が多くなる。時期的にも、ここで一戦して追撃を諦めさせることは必要、か。

 通常、補給線を撹乱すれば、たいていの軍は足が鈍るが、糧秣が途絶えたラケルデモン軍は、かえってめんどくさくなる。少年隊の頃から、略奪をしっかりと身につけさせられているから。逃げ場も障害もない平野部で密集陣による敵との会敵を避けるには、殲滅とはいかなくても、部隊の再編と後方からの補充が必要になる程度の犠牲は与える必要がある。


 長考していると不意にネアルコスが「どうするんですか?」と、俺を試すつもりなのか悪戯っぽい笑みで訊ねてきた。

 ふん、と、軽く鼻を鳴らせばクレイトスも正面から俺をにやにや笑いで見つめている。

 ここで採用すべき戦術は少ない。この二人ならそれを解っている。

 王太子を前にしての会議を受け、俺がそれを採るのかを見定めている。

 ふん、と、俺はもう一度鼻で笑い――。

「とても名誉ある仕事は、王太子の方の護衛に行けと言ったら椅子を蹴ってきたクレイトスにやってもらおうか。作戦はこうだ……」

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