Syrma-13-
四日目の薄明。
夜の色が薄くなり始めてはいるが、空にはまだ星が見えている。
テレスアリア兵を野営地へと残し、連中のお守りはネアルコスに任せた。
俺の軍団は軍道の側面を衝く形で――更に言うならば、敵の陣地に近い側の部隊を増員した斜線陣と似た布陣で、軍道を挟んで川を正面に見る形で潜伏している。
おそらく敵が渡河地点として選んでいる、軍道が大きく右へと曲がる地点だ。
敵と接触するにはまだ時間がある。
今回の作戦は、遮蔽物が少ない地形である以上、日中に行うには危険すぎる。だが、夕刻では最後の仕上げの際に味方を巻き込んでしまう危険もある。
敵との接触が視界の利かない時間であり、決着ははっきりと敵味方の区別が出来る時間――つまり、暁に行うしかない作戦なのだ。
最も危険となる厚みを増した左翼の最前列は、俺自身が直接指揮する。寝そべりながらも周囲の兵の様子を注意深く観察してみるが、普段よりもざわつきが大きかった。規律が緩んでるって雰囲気ではないが、陸戦最強の名をほしいままにしているラケルデモンとの戦いを前にして、不安や緊張が大きいのかもしれない。
言ってみれば、北伐前に編成し、まだ一年も経っていない新造の部隊なんだから。
時間的に、まだお喋りを放っておいてもよかったが、時間を持て余しているのは俺も同じだったので、気まぐれに近くの一番大きな声で雑談している集団へと足を向けてみた。
俺が近付けば姿勢を正したので、軽く手を払って構わないと態度で示したんだが、それを拡大解釈したのか兵の一人が俺にも話し掛けてきた。
「将軍は、どう思いますか?」
ちなみに、正式な
別に好きに呼べばいい事だけどな。よっぽど舐めた呼び名でないのなら特に気にはならない。
……ただし、異母弟を救い出した後は、ラケルデモンと関連する呼称だけはさせないようにしてる。
「なにがだ?」
直前まで話していた内容を俺が聞いていたと思ったのかもしれないが、生憎と、陣全体の空気を探っていたので、個々の会話に耳をそばだててはいない。
俺は要約した会話を好むが、端折りすぎて伝わらない話は一番嫌いだったので、つい右のこめかみが動いてしまったが、熱くなった兵士はそれには気付かなかったようで――。
「いまや、栄えあるマケドニコーバシオ軍の一員である我々が、身命をなげうって、先見の明のないテレスアリア兵ごときを救援することですよ」
表情は特に変わらなかったと思う。
そう、周囲の兵たちの反応を見る限り、俺に対して萎縮したり恐れたりしていないので、そこまではっきりと表情に出たわけではない。はずだ。
ただ、これまで素直……まあ、内心ではどう思っていたのか不明だが、表面上、命令は忠実に実行していた兵士達に、反抗……とまでは言わないかもしれないが、こんなことを言われると、どうしても過去の記憶が蘇り、苦いものがこみ上げてくる。
俺が独自に組織した武装商船隊は、俺の命令を聞かず、手の内から離れていった。確かに、キルクス達を見捨てたことで報いは与えられたとも言えるのかも知れないが、むしろ、その結末込みですっきりした気持ちではない。
いや……。
過去の俺は恐怖で縛り、頭ごなしに命令していただけ。アイツ等は自分達がどんな状況でなにをしているのかを自分の頭で考えなかったし、俺も大した説明をせずに怒鳴るだけで、相互理解は求めていなかった。
だから、今と昔は違う。と、思う。……そう思いたい。
戦闘における戦術、全体の戦略、そして部隊の存続のための方針、そうした部分は理解してくれていると思っていたんだが――。
「不服か?」
動揺を隠したまま訊き返せば、別の……今度は兵ではなく、俺に話しかけた兵を率いている小隊長が俺の見えている方の目の視界にわざと入るようにして右側に並び立ち、囁きかけてきた。
「ただの愚痴ですよ。命令を投げ出させたりなんてしません。黙らせますか?」
ふむ、と腕組みしてどっか横柄な下級兵達と、その隊長を観察してみる。
勧誘は確かに俺自身が行っているんだが、最近は数がだいぶ増えているので、下級兵の名前を全て覚えているわけではない。確か、文句を言ってるのがアエなんとか、とか、いや、アイなんとかって名前だったと思うんだが……。
「折角なので、お前がどう説得するのか、採点してやろう」
一喝して黙らせることは出来たと思うが、なんだかそれでは昔と同じ失敗を繰り返しているだけのような気がして、まずは様子を見る意味でも小隊長へと矛先を変えさせてみた。
おっと、と、慌てたふりをしてみせた小隊長は、しかし、大袈裟な口調や態度とは裏腹に、余裕のある口振りで話し始めた。
「良く聞けアニケトス。これは、テレスアリアを属国化するための非常に重要な作戦であり、弱く愚かだが真面目なテレスアリア兵と肥沃な穀倉地帯を確保するためなら、元盗賊のお前や元女衒で事業に失敗したこのオレの命など全く気にかける必要はないのだ。むしろ、戦闘において絶大の信頼を寄せられているアーベル様なら、我々の死を糧に更に部隊を強く大きくしてゆけるのだしな」
良い具合に皮肉を混ぜた上申に、自然と苦笑いが浮かんでしまう。
「アーベル様なら?」
見事な弁論に肩を竦めて見せた後「俺は口下手でな。金と飯を積み上げて誠意を見せてやるよ」と、討論を避けて話題の重心を逸らす。
軽い緊張と、その後、俺がはぐらかしたことによる緩和によって、軽い笑いが起こり――。だから、素直に、率直に訊ねることができた。
「待遇が不服か?」
はっきりと言うならば、確かに北伐から始まり、レスボス島攻略、そして今回のテレスアリア救援と俺の軍団は設立以降、常に最前線で戦ってきた。
一緒にレスボス島へと侵攻したラオメドンとネアルコスの所の兵隊は島で留守番をしているし、今回参戦しているクレイトスの騎兵は北伐後に充分な休養を挟んでいる。
ただ、ひとつ言わせて貰うならば、あくまで俺も俺の軍団も余所者やならず者の寄せ集めという側面がある。
結果を見せるしかないのだ、信頼を得たいのならば。
冗談の色を出さず、真っ直ぐに正面から切り込めば、小隊長は微笑を浮べたままで答えた。
「ただの愚痴ですよ。どこでなにをしていたって出てくる言葉です。皆、分かっていますから。なにかあれば、正式な手順を経て、ですよね?」
軽く、側の小隊長だけが気付くように小さな溜息を吐く。
暴動や反逆が怖いのは、理も論もなく、落とし所さえも考えずに暴れられることであり、こうした台詞が出てくるならまだ大丈夫だと確信した。
だが――。
「どうした? 今日はやけにお喋りだな」
内心かいた冷や汗を誤魔化すように、ざっくばらんに訊ねてみれば、どっか悪戯っぽい笑顔で訊ね返されてしまった。
「気に障りましたか?」
「いや、別に。ただ、珍しいと思っただけだ」
他の兵と顔を見合わせ、軽く笑い合った軍団兵は、少しだけ申し訳なさそうにしながらも、その前身の育ちの悪さを隠さない無遠慮さをもって言い切った。
「アーベル様が居ない時は、大体、皆、こんなものですよ」
思わず噴出してしまう。
「なんだそれは」
そして、考えるよりも先に口から本音が漏れていた。
そう、なんだそれは、としか言えない。
「余計なお喋りなんかしたら、ぶん殴られそうでしたので」
「間違っちゃいないが、状況次第だ。敵が近付けば黙れよ、伏兵の意味がなくなる」
軽く右手を上げてさっと周囲を見渡せば、途端にしんと、全ての音が消え、はい、と、小隊長が口の動きだけで答えた。
が、あまりにも急に訪れた沈黙に居た堪れなくなり、口を開いたのも俺だった。
「で? なんで急に俺の前でもお喋りになったんだ?」
「プトレマイオスさんや、ネアルコスさんとのお喋りを耳にしまして」
とはいえ、その二人と話す俺ならば見る機会はいくらでもあったはずだ。部隊の設立に当たって、プトレマイオスと共に行動していたし、レスボス島での統治においてネアルコスと良く相談していたんだから。
一番の切っ掛けはキルクスとの一件だと思うが、おそらくそれを口に出来るほどは打ち解けていないって事なんだろうな、とは思う。
……いや、キルクスとの会話の中には、軍団兵達と打ち解けるような内容はなかったんだし、部隊の再編を行った最初の野営地でネアルコスが気を回してくれたんだろうな。
後でネアルコスには礼をしないとな、と、そこまで考えて、自然とそんな風に考えている自分自身に少し驚いた。
昔の俺なら、良くて放置、場合によっては余計なことをと毒づいていただろう。
以前、アルゴリダに向かった際にラケルデモンの頃を思い出してしまっていたからか、今の人間関係と昔の人付き合いの対比が、鮮明に浮き上がってくる。
後悔はしていない。
当時の俺に、他の選択肢はなかった。
だが、だからこそ、ここでは後で悔やまないようにしようと思った。プトレマイオス達――同じように肩を並べる
コイツ等は奴隷ではない。言葉を理解する家畜ではなく、自らの意思で共に歩んできていたっていうのにな。
「戦神のようなアーベル様でも、どこか歳相応なんだな、なんて今更気付いたんですよ。皆、ね」
どっか分かった風の口で、息子でも見るような目を向けた小隊長に、ふん、と、鼻を鳴らす。
改めて確認しなくても、俺の部隊に俺よりも年下の者はいない。と、いうか、
「おべっかを使っても、戦場で容赦をしないのは変わらんぞ」
軽く踏ん反り返って言い放てば、三十代、いやもしかしたら四十代に入っているかもしれない小隊長は、その年齢特有の繊細さとは無縁の態度で、おっと、と、残念そうにしてみせた。
軽い笑いが収まった後、一度、軽く嘆息してから、俺は静かに語り始める。
「……結局、俺は、お前等をクソな戦場へ連れて行くことしか出来ん。路地裏で世を恨んで運命を嘆いていたお前達に、鬱憤を晴らせと武器を持たせ、暴力を教えた。結局のところ、俺達はみな悪党さ」
周囲を見渡す。
自らを卑下し、どうにでもなれと諦めたことのある者特有の、冷め切った視線。どうにでもなれと、固着した表情。ある種の歪み。それが消えたわけではない。人は、そんな簡単に変われない。
だが……。
自信に満ちた態度とは言い難いが、俺と話していた小隊長ははっきりと俺を見つめ、微かな震えを拳を握って掻き消して声を上げた。
「しかし、今や我々には、我々としての矜持がある」
ふ、と、微かに口元を緩める。
「そうだ! 俺が先陣をきってやる。業の限りを尽くしてついて来い! お前達は……いや、俺達は、失敗したと他者から見下された自らのその
力と狂気が場に伝染していくのが、はっきりと分かった。
白んでゆく空とは裏腹に、濃い闇がまだ俺達の傍らに残っている。
一瞬ごとに変わっていく空の色と、近付いてくる戦いの予感に、俺達は鬨の声さえあげず、自らの根底にある狂気に身を浸し得物を握り締めた。
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