Syrma-14-

 まず軍道を駆け抜けていったのは、クレイトスの騎兵だった。

 隊列の乱れは少ない。損害は少ないようだ。

 打ち合わせの際、しつこく深追いをするな、大した打撃を与えられなくても敵の迎撃準備が整う前に逃げろ、と、言った事は無駄ではなかったんだろう。

 これならいけるはずだ。実際クレイトスは、俺達が潜む地点でも馬の足を止めずに駆け抜けた。事前の打ち合わせでは、敵戦力が想定を上回っていた場合、クレイトスが撤退の合図を送ることになっている。


 作戦を決定した際に、俺がクレイトスへと依頼した内容は大きく二つ。

 威力偵察と敵の誘引だ。

 敵が部隊を分離し、渡河してこちらを挟撃する意図ならば、渡河地点の前に野営地を必ず設ける。糧秣の再分配は、そんなに簡単なものでもないし、兵站の無い軍団は行動が著しく制限される。前進のための物資の集積の意味でも、この地を抑える事には意味がある。

 そして、俺達が敵を偵察しているのと同じように、敵も俺達を偵察し戦力を把握しているはずだ。テレスアリア兵を敵がどう判断したのかは分からないが、テレスアリア兵を戦力とみなしていた場合であっても、二倍程度の戦力差ならばラケルデモンは必ず攻撃を決断する。

 と、いうか、攻撃に傾倒したラケルデモン軍においては、臆して攻撃を躊躇う指揮官は必ず懲罰を受ける。政治的判断――もとい、保身のためにも俺達を攻撃しなければならない。


 敵は、クレイトスを追うしかないはずだ。

 自分たちが追撃しているはずの相手から奇襲を受け、また、迎撃体制が整う前に逃げられたとあっては、面目が立たない。例え指揮官が慎重派であったとしても、兵を抑えられるはずがない。最悪、各個人が勝手に前進する。

 こちらとしては、きちんと隊列を整えて追ってこられるよりも、バラバラに……いや、完全にバラけられてもそれはそれで厄介なので、適度に、無秩序に固まった集団で追ってきてくれればありがたいが……。


 敵の足音に手で合図を送り、兵士達を完全に潜伏させる。

 敵の数は……然程削れては居ないな。隊列の乱れから察するに、多少の戦死戦傷者は出たのだろうが、その隙間を予備兵で埋めている。

 クレイトスの騎兵が野営地で歩兵と合流したところを叩けば良いと思っているのか、進軍速度は然程早くはない。……いや、行軍速度が遅いのは、簡単な手当てや戦闘準備を行いながら進んでいるせいだな。

 さて、次の賭けは、ここで敵が渡河するか否か、だが……。この確率は五分五分だった。陣地全体を包囲して殲滅するなら渡河するだろうし、短期決戦を志向しているのなら直進する。

 こちらとしては、渡河するなら敵の足が詰まり、架橋のための隙が出来るのでありがたい。しかし――。

 微かな落胆を味方の陣地内に感じた。

 敵は直進している。

 おそらく、こちらから攻撃したことで、野営地にも多少の人員を残しているんだろう。敵の装備を観察してみるが、手持ちの水や食料、予備の武具は少なそうだ。俺達を攻撃し、短期決戦でこちらの野営地を占拠し、後から物資を補充するつもりだな。


 ……まあ、いい。

 全てが予定通りというのは、それはそれで気味が悪いものだ。多少の誤算は織り込み済みだ。予定よりも襲撃のタイミングを計ることは難しくなったが、その程度だ。

 いずれにしても、戦って打ち勝つ以外に道はない。


 敵は俺達には気付かずに、渡河せずそのまま前進し――緩くではあるが湾曲した軍道の影響で、隊列が短く詰まり、敵陣の中央が膨らんだ。

 今だ!

 奇襲のため、鬨の声は上げない。

 俺が先頭に立ち、剣を抜き、敵の最後尾目掛けて先駆けた。

 一瞬だけ遅れて俺の動きを見ていた兵が続き、それに釣られるように右翼の部隊も前進し、戦端が開かれた。


 最後尾、投擲用の槍を運ぶ三名の敵兵士に狙いを定める。軍道へと躍り出たことで、俺の足音に敵が俊敏に反応した。無数の視線が突き刺さるのを感じる。

 懐かしい殺気だ。

 足や腕を斬り落としても、真っ当なラケルデモン人なら、這ってでも戦う。避けられ易いが、首の位置を薙ぎ払う。二人は殺したが、ひとりにはしゃがんで避けられた。

 ご、と、足元に転がってきた敵の首を川の方へと蹴飛ばす。足元の障害物は、思わぬ不覚をとる危険があるからだ。

 敵はまず、先駆ける俺へと狙いを絞ったのか、すぐさま運搬中の物資を捨て槍を構えて向かってきた。

 はっきりと認識できる右の視界、その右端から数えて三番目の槍の穂先と四番目の槍との間の隙間に、腰を屈め猫背となって身体を滑り込ませ、補助兵装のハルパーを左手で抜いて、敵兵二人の太股を続けざまに抉った。

 鎌状のハルパーの先端を引っ掛け、引き裂くように掻き上げ、掻き下ろす。動脈を破る手応え、そして――肉の鮮やかな桃色が見えたと思った直後に噴出した血飛沫。

 動脈は体の深い位置にあるせいか、血が噴出すには一瞬の間がある。

 その隙に返り血を避けることも難しくはない。

 敵の真っ只中に飛び込み、ハルパーから手を離し、長剣を両手で握って水平に薙ぎ払い、周囲に固まっていた兵の胴を両断する。

 俺の周囲に敵の死体が転がり、周囲の空間が開けた。今更手練だと気付いたのか、俺の周囲を囲むように摺り足で敵が寄って来るが、後続の兵士が俺の周囲を固め、敵の退路は完全に塞がれた。

「勝機は我にあり! 続け!」

 部隊が完全に戦闘状態に入り、敵を川と追い落とすような形で半包囲することに成功したのを確認してから俺は声を張り上げた。

 味方の鬨の声。

 そして、一拍後、敵陣からも大声が響いてきた。

「今こそ殲滅の好機である! 突き破れ!」

 敵将の声に追従する兵士の声。やはり、戦力はほぼ互角だ。

 だがしかし、その声を聞いて微かな違和感も感じていた。言葉の選び方、アクセントの位置が、なんだからしくない。どこがどう変だとはっきりはいえないんだが……。

 いや、もしかしたら地方の部隊で、俺の知らない地域の連中なのかもしれないしな。今は余計な推測よりも敵を殺すことに集中すべき時だ。

 声から敵将の位置を予想してみるが、将は先陣をきるというラケルデモン式の布陣であるためか、敵の最後尾を襲撃している俺からは距離がありそうだった。

 ならば――。

 不意打ちの影響で密集し、槍を正面へと突き出してくる敵の部隊。俺の鉄製の長剣で柄の木の部分を狙って、斬り――もしくは叩き折りながら間合いを詰め、叫んだ。

「ラケルデモン人には、将帥へと一騎打ちを挑む猛者はいないのか! 臆病者どもめ!」

 先ほど味方へと声を張り上げたことから、敵も俺を認識はしていたんだろうが、向かってくる敵意が大きく膨れ上がるのが分かった。

 なにか叫びながら、一直線につっこんできた雑兵を軽く身を捻って躱し、躱し様に首を刎ねた。

「雑魚が笑わせるな!」

 そのまま、ひとりが殺される度に別の一人が飛びかかってくるという……時間稼ぎを狙う俺としてはそう悪くない敵の戦い方に付き合ってやっていたんだが、右翼や中央の味方の激戦の音を聞くに段々苛々し始めてしまい。

「ここの将は臆病者か! 恥を知れ!」

 一騎打ちの戦場を守るように周囲に間を空けて半円で囲む敵の戦列へと、殺した敵の槍を投擲し、怯んだ隙に――一騎打ちで何人も殺されている状況に、それ以前から足が竦んでいたのかもしれないが――三人を斬った。

 俺の後方で同じように半円に展開していた味方が、俺に続くように敵へと間合いを詰め始めた時、ようやく……とはいえ、然程兵装の違わない三十前後のが前に出てきた。

 雰囲気や兵の反応から察するに、部隊の指揮者なんだろう。身形ではそれと分からない――普通のラケルデモンの成人男性なら髭を蓄えるはずだし、鎧も使い古した感がある――が。得物は両刃のラケルデモンでは一般的な剣サイフォスだ。片刃で、長さを重視している俺の古風な剣コピスよりは太いが、間合いの利はこちらにある。

 俺と目が会うと、敵将は――……ん?

 思っていた以上に、俺の姿に驚いていた。

 俺がラケルデモン人だと気付いたのかもしれないが、なぜそんなに動揺する? 臆病者を取り立てるほど、ラケルデモン海軍は人手不足なのか?

「ようやく御出ましか。テメエのとこの雑魚が、沢山死んだなぁ? この無能が」

 出方を見る意味でも、近くの死体を足蹴にし挑発してみる。俺の後方の味方からも嘲笑が沸いていた。

 指揮者としての覚悟と責任があるのなら、もっと早くに前に出て然るべきだ。技量差を悟り、俺が疲れるのを待っていたのかもしれないが、それで仲間から信用されるはずはない。

 恥さらし、それ以外の評価なんて出来るわけがない。

「お前に。お前……に、オレ達のなにが分かる!」

 敵将の反応は、バカにされたことによる羞恥ともとれるが、周囲の敵兵士の反応とあわせて考えてみると、なにかひっかかるものを感じた。

 もしかしたら、昔俺と会っているのか?

 ……いや、レオ達を助けた際、過去俺と付き合いがあった者でラケルデモンに残り存命の者はいないことを確認している。口調からも同じ少年隊だったとは思えない。

 それに――。

「知らねえよ、バァカ。てめえだって、俺が誰だか知らねえんだろ? とっととくたばれ」

 ――ここは戦場であり、互いに武器を構える以上、殺し合う以外の道もない。

 腰を低くし、突きの構えを取り、切っ先を向ける。

「お前等は、いつも、そうやって俺達を! あぁああ!」

 なぜ感極まったのかは知らないが、台詞を言い切らないままに、敵は突っ込んで来た。


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