Syrma-15-

 やはり、弱い、と、確信した。

 足運び、重心の移動、剣の振りの速さ。なにもかもが俺へと届いては居ない。殺さずに生け捕ることも出来なくはない。だが、この戦場で捕虜にするれば、それを確保させるための味方を割かねばならない。

 敵の態度や行動に疑問はあった、だが、仲間のためには殺すのが正しい判断だ。


 上段から振り下ろされる敵の刃を突きで折り、そのまま喉を貫通させる。首の骨を砕き、敵将がだらりと前のめりに倒れてくる前に剣を抜いた。

 敵の折れた剣が、左の死角側へと飛んだのか、軽く頬が斬れた熱さを感じたが、それだけだ。戦闘への支障はない。

 これで敵の足が止まるのか、それとも、敵討ちと前へ出るのか。普通なら、あの指揮官の態度を見れば前者となってもおかしくはなかった。

 だが、敵は前進した。驚くべきことだが。

 再び乱戦となり、押し合いながら四人を斬り――陽が完全に昇りきっているのを確認し、俺は再び指示を出した。

「前列は、間隔を広げ、後列はその隙間を埋め、前進せよ! 隊列を入れ替え、敵を追い詰めろ!」

 俺自身も一度後列へと下がり、頬の掠り傷を兵に手当てさせながら改めて戦場を確認する。

 然程深くはないが、戦闘に影響が出ないわけではない川。実際に戦っている兵数ではこちらが勝る。敵軍の中央部では味方の密集により踏み潰されている兵士もいるはずだ。

 重装歩兵と違い、軽装歩兵は大盾を持たない。だから、回避や得物を振り回すために味方との間隔は重装歩兵よりも広くなる。その隙間を利用した前列と後列の入れ替えによる疲労の軽減と負傷者の離脱。

 戦術上は、全てが上手くいっている。

 だがしかし……。

 やはりマケドニコーバシオ軽装歩兵では、足を止めさせることは出来てもラケルデエモン兵を潰しきれない。

 らしくない命令といわれればそれまでだが、今回の戦いにおいては兵には絶対に無理に攻めるなと厳命している。今回ばかりは、敵を殺すよりも、敵に殺されないことに注意を払えと。

 入れ替えたことにより、後方で治療を受ける兵士や、折れた剣を新品と交換する兵士。敵の槍に貫かれた三日月盾を交換する者。ざっと状況を確認するが、味方の損害は大きくはない。戦死者は少ない。

 ただ、上手く凌いでいるが、徐々に押され始めているのは、戦線が押し下げられていることからも明らかだ。

 部隊の正面同士がぶつかり合っている今は、相互に犠牲は少ない。

 厚みを増した俺の居る位置は戦列を薄くしながらもその栓としての役目を保っているが、野営地に近い側の部隊は、押し下げられると同時に、徐々に徐々に隙間が広がっているのがはっきりと見て取れた。

 ここでもし包囲が綻べば、敵の陣の中央の現在戦えていない部隊がその隙間から脱出し、俺達を逆に包囲しようと機動するだろう。

 もし、そうなれば、野営地から分断された俺達は、逃げることも抗うことも出来ない。

 奈落の蓋がゆっくりとゆっくりとこじ開けられていく。川に接した部隊が押されると同時に味方側へと寄り、軍道が開いていく。

 敵の中央の厚みが急激に減った、敵の決死隊が包囲から抜け出し始めたのだ。

 そして、包囲を抜けたラケルデモン軽装歩兵が、交戦中の俺の軍団の背後を衝くために、急速に旋回を始める。

 その瞬間――。

 本来は重装歩兵が歩調を合わせるための笛の音が、戦場に響いた。


 それからは、ほんの一瞬だった。

 一度俺達の眼前を通過し、野営地で再編を行ったクレイトスの騎兵が、密集している敵の軍勢へと突っ込んでいった。

 軍道を活用し、充分な助走距離を得た、完全に速度の乗った一撃だ。

 部隊の方向転換中だった包囲を抜け出した敵部隊は、無防備な横腹を衝かれる形となり、一瞬で血煙に消えた。

 馬上の槍よりも、むしろ馬の質量が脅威となっている。


 敵の進行方向が、急激に変化する。さっきまでは包囲を抜け出すために、敢て薄く布陣させていた右翼を攻撃していたが、今は、退路をふさいでいる俺達左翼へと敵が殺到していた。

「踏み止まれ!」

 隊列は維持しているが、最早、模擬戦のようなお行儀の良い戦場じゃない。自らの身体を障害物とし、そして、向かってくる敵を斬る。

 背後から聞こえる馬蹄の響きに追い立てられるように、ただひたすらに突撃してくるラケルデモン兵。

 当たるを幸いと長剣を振り回す俺。その眼帯でふさがれた視界にに、折れた槍の柄がぶつかった。王太子が特別に作らせた眼帯は、青銅で補強されているため傷は負わなかった。反射的に、足元にあった敵の死体を思いっきり蹴り飛ばし、敵の戦列へとぶつける。

 左右の味方を確認する余裕は、俺にもなかった。ただ、目の前の敵と剣を打ち合わせ、押し合い、戦列を維持している。金属音に、悲鳴に怒号。鼓膜が割れるほどの音の洪水。

 だが、そんな激戦は長くは続かなかった。


 最後の敵の戦列を踏み砕き――俺の鼻先で、クレイトスを先頭にした騎兵の突撃が足を止めた。

 不意に訪れた一瞬の静寂、そして……。

 俺の突き出した剣の切っ先に、クレイトスが槍を合わせて打ち鳴らした時、空が割れんばかりの歓声が沸きあがった。

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