Azmidiskeー6ー

 ヴィオティアのことはひとまず置いておこう。あの国に抱く感情は、個人的なものだ。そもそもヴィオティアの本拠地は、アテーナイヱの更に北西だ。今回の戦争で重要な要素じゃない。


 だが……。

 コイツは、そんな戦線が膠着している状況下で、俺達になにをさせたいんだ? 海も陸も封じられている上、篭城線の最中なんだろ? 補給を依頼する……という様子でもない。まあ、されても断るが。一歩踏み込んで、俺達がラケルデモンを追っ払う? バカか? そんな規模の集団でないし、俺達になんのメリットがあるってんだ。

「……お前、なにしに来たんだ?」

 不審の色を隠さずに問い質してみる。

「逃げてきたんだろ?」

 ドクシアディスが、若干エレオノーレに感化されてきたような、そんな深読みしていない顔で、俺に向かって、どこが疑問なんだ? と、小首を傾げて見せた。

「篭城線の最中にか? 援軍や物資輸送の要請なら分かるが、そういう訳じゃないんだろ? あの場に留まれないなにがあった?」

 キルクスは、今度は苦々しく口を閉ざし――短くない間を開けてから、作った人懐っこい笑みを浮かべて話し始めた。

「アーベルさまのやんちゃの責任、では納得してくれませんよね」

 ハン、と、俺は歪んだ笑みを浮かべる。

 ただ、ドクシアディスがやや膨れたのが分かったので、胸を軽く裏拳で叩いて抑えさせた。

「戦後に家が没興するのは世の常……。あ、イオがこちらに来ていませんか? 来ているのでしょう? それを――」

 無常とでも嘆くように演技過剰気味に肩を落として見せた後、ふと、今思い出したとでも言うように話題を変えに掛かるキルクス。

 あのチビはついでか? 参ったな、予想以上に利用価値が無さそうだぞ。

 まあ、演技が混ざっているので、どこまでが本当なのか判断が難しい部分はあるが、チビの行方についてきちんと把握していなかったらしい、という部分は覚えておくか。

 あのチビが、家人に言付けなり手紙を残さずにこちらに来たって事だしな。

「ガキは、なんだか分からんが紛れ込んでたので保護している。領事館は閉まってたので今もな。ってか、話を煙に巻こうとするな。戦況にあのガキが影響するか。まあ、場合によってはラケルデモンに引き渡そうかとは思ってたけどな」

 それは、なかなかえぐいことを、と、作った表情が割れて素の苦笑いがキルクスの顔から出てきた。

 茶番をいつまで続ける気だ? と、短く溜息をついて肩を竦めて見せる俺。

 ちらりとキルクスはドクシアディスを見て、かなり悩んでいる様子ではあったが、俺が察しがついている上で話させたいんだということをきちんと理解してもいるようで、最後には諦めた様子で口を開いた。

「アテーナイヱのアクロポリスは、ほぼ機能停止状態です」

 やっぱりな、と、思った。

 今は冬だ。俺達の得意な手を使ったんだろう。少年隊の授業でも、アレの取り扱いは、かなり厳しく教えられている。下手をしたら、自分達にも被害が出るからな。

「伝染病か?」

 ドクシアディスが眉を動かし、一歩下がった。

 そう、俺達は、常日頃から奴隷を殺す訓練をしていた。その後始末――奴隷によってきちんと葬られる死体の方が多いが、時々は道端や誰も住まなくなった家にそれらは放置され、腐敗が進む。

 適度に腐った死体は武器になる。

 自分達が伝染病に感染しないように、素手では極力触れないようにして、口や鼻も二重にした目の粗さの違う布で覆って扱う。ドクシアディス達が片手で振り回している投石器を、十倍程度まで大きくしたモノの中に、死体の一部を入れ、城壁内へと放り込む。

 冬場は更に取り扱いが楽になる、凍った死体を夜のうちに投げ入れれば、翌朝には朝日で解けて腐敗液が周囲へと広がって汚染していくんだから。

 ある程度汚染が広まって二~三日すれば、嘔吐や下痢から始まり、七日から十日で皮膚に黒い壊死の染みが広がって死体と同じような腐った体液を身体から漏らして死んでいく。

 投げ入れる死体の数にも寄るが、内部で何人か発症者が出れば、後はなにもしなくても連鎖的に患者が増えていくって寸法だ。

 病気の症状と、外港都市ペイライエウスからここまでの日程を考え――。

「感染してたなら、船での移動期間に発症している。用心はすべきだが、過剰になる必要はない。一応、明日には医家に渡りもつけよう」

「安くないぞ?」

 ドクシアディスが、不満を露に俺に詰め寄る。

「診察だけならそこまででもない。この船を安全に使えるか使えないか、はっきりさせる必要もある。死体の瘴気がこもっててヤバいなら、ばらして海水に浸けた後、木材として売るしかないんだからな」

 苦々しい顔で引き下がるドクシアディス。その間に割って入ったのはキルクスだった。

「僕も海の民ですよ、船上で逃げ場も無く伝染病を出す怖さを知っています。疑わしい人間は、全て見捨てた上で出航しました。航海での発症者もおりません」

「非情だな」

 どこか悲しそうに呟いたドクシアディスに、キルクスが今度は凄みのある笑みで返した。

「苦肉の策です」

 予想外の反撃にドクシアディスが口を噤むと、キルクスは目を細め――。僅かに顎を突き出すようにして空を見上げ、次の瞬間、溜息と共に顔を落とした。

「……そうですね。元々、僕も、色々と無理して権力に近付こうとはしていたんですけど」

 顔を洗う仕草のように、両手で顔を抑え、その手をゆっくりと下ろしたキルクス。諦めというか、うちひしがれ、途方にくれたような――どいうしたら良いのか分からないような顔だった。

「死んだら元も子もないですからね」

 キルクスの実感のこもった声に、ドクシアディスの態度がやや変化していくのが分かった。同情というか、複雑な感情なんだろうな。

 今のキルクスの境遇に、ドクシアディスは多分同情している。しかし、その、同情するもとになった体験は、キルクス達アテーナイヱ人が行った仕打ちだ。

 エレオノーレの観点で言うなら、復讐の連鎖を止めるのか続けるのかで悩んでいるんだろう。

「虫がいいかもしれませんけど。僕等を高く買ってくれるところに売りに来たんです」

 俺を真っ直ぐに見たキルクスは、言い終えると、ドクシアディスにも視線を向け、軽く礼をした。

「上手く営業しろよ。最大の山場は、明日だからな」

 反応に戸惑うドクシアディスを他所に、俺は軽く答えて船から桟橋に飛び降りる。

「イオは上手く取り入っててくれたりは――」

「しないな。我侭なガキだ。エレオノーレは普段通りだが、アテーナイヱ人への反感の方が多い」

 キルクスは、きちんと渡し木を渡りながら、ついでというように俺に探りを入れてきたので、一言で切って捨てる。

「本当にダメな妹ですね」

 ゆるゆると首を横に振り、まあ、元々期待してもいなかったのか、食い下がることもせずに話を終えたキルクス。

 ふん、と、鼻を鳴らしてからからかうように言い返す俺。

「本当のお前の妹ならな」

 キルクスは、あからさまに驚いた顔で裏返った声を上げた。

「イオはそこまで話したんですか⁉」

「いや、鎌をかけただけだ。成程な。正当性はあのガキの方が持ってるのか」

 意外と陳腐な二人の関係に、多少つまらさなも感じながら、俺はにんまりと笑う。

 まあ、焦らせただけでも面白かったから、いいか。

 キルクスは、しまったと言う顔の後、どこか気恥ずかしそうな顔で、訊いてもいない話を詳しくし始めた。

「まあ、僕は連れ子ですからね。弟が生まれなかったので、なんとか僕がフレアリオイ家を継げないかと手を尽くしていたんですけどね」

 結局、全部無意味だったか、と、独り語りに勝手に俺は終止符を打つ。特に使える情報でもないな。


 さて、町の上層部への言い訳と、仲間内での情報共有をどうしたものかな、と、頭の後ろで手を組む。すると――。

「アーベル様」

「なんだ?」

 呼び止められ、振り返る。

「権力ってモノは、厄介ですよ。善意も打算も下心も、深慮も浅慮も全てがごちゃまぜで――、ばらばらに見えるのに、時として。そう、油断があったひとりに攻撃が集中し、生贄にされて……。すみません、……そうですね、僕はもう少し自分が上手くやれる側の人間だと思っていたんですけど……」

 弱気な様子ではあったが、最初に出会った頃と比べれば、多少は大人びたようなキルクスの容貌。

 かつての俺もそうだったが……。

 安心できる自由市民からの転落の経験。追い落とされた先で、自分自身を知り、それで絶望せずに這い上がることを決めた覚悟。

 危機感が人を成長させるのだと思う。

 このままでは自らが破滅するという危機感が。

 尤も――。

「分を弁えられるヤツは嫌いじゃないさ。痛い目を見て、頭の使い方を覚えたヤツもな。だが……。まあ、お前は色々と不安だろうが、俺はこれ以上言わない。出来もしない協力の約束をする気は無いからな」

 キルクス程度の境遇と、一人の味方も居なかった俺を比較すべきじゃない。

 

「冷たいですね」

 多少、非難するような色も混じったその声に、俺はからかいを含んだ声で返した。

「それが為政者だろう?」

 反論も出来ずに、困った顔になったキルクス。

 もう一度、今度はニヤッと笑って俺は付け加えた。

「目を掛けて欲しいなら、実力を見せろ。お前は実戦向きじゃない。この程度の会議の方向性をコントロールして切り抜けられないでどうする」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る