Saidー6ー
俺を包囲する人垣の中段から、一人、背を向けて逃げ出そうとした者が出た。
軽く小首を傾げて見せると、俺の視線につられた敵が仲間の逃亡に気付き――。
「逃げるな!」
「殺すぞ! 戻れ!」
芸の無い罵声だが、怒鳴ってる方も声に動揺が混じっている。指揮官も死んだので、一度引いて立て直しても許されるんじゃねえか、なんて、甘い事を考え始めているのかもしれない。
敵を見て逃げ出して許されるのかどうなのか。自分達が生きてきた国がどんななのか、嫌という程分かっているだろうによ。クソが!
「フン」
苛立ちを鼻で笑って逃がし――。
踏んでいた
「ギャッ!」
逃げた敵の背中に剣が刺さり、前のめりに倒れていった。
しっかりと鎧を着こんでいるようなので、致命傷になるほど深くは刺さっていないだろう。ただ、背骨と右肩の間に斜めに剣が刺さっており、長時間走ることが出来るような軽傷ではないはずだ。
尋問用の捕虜はアレで良い。
後は、アレが死なないうちに他を殺すだけ。
ただ……。
「敵も味方も、雑兵とはいえ錬度が足りねぇな」
嘆息し、あえて肩越しに軽く振り返り、レオに向かって皮肉を言う。
「訓練方法を根本から見直す必要があるんじゃね~のか?」
ふざけた態度で、一瞬の攻防の後訪れた短い間を引き伸ばし、周囲の状況を探る。
というか、俺の狙いは――。
「返す言葉も」
って、ほんとに返す言葉もなさそうだな。レオのヤツ、ちょっと前に出させただけで、息が上がってら。
最前線で切り崩したのは俺だったんだがね。多分、俺の側面と背後を守るように動き、部下と合同で数人は斬ったんだろうが、それだけで疲労困憊の様子だ。
今回の戦闘が、逃亡して何度目なのかは知らないが、寄る年波に、なんてのもあながち嘘ってわけじゃなかったみたいだ。
……まあ、考えてみれば、それもそうなんだけどな。殺された俺の爺さんよりも二つ三つ若いだけなんだし、普通は隠居していて、戦場に出るような年齢じゃない。
もっとも、あんまり役に立ってないレオの部下の下っ端の若いのに関しては、後で二~三発ぶん殴ってやらないと気が済まないが。
ちら、と、横目で敵を確認する。
逃亡を防ぐために包囲していた敵は、俺が先頭に立って攻勢を掛けている現状、後方や側方の戦力をゆっくりと、俺達に気付かれないように――って、俺はそれを誘っているので、気付かれないもなにもあったもんじゃねえが――俺の前面に移している。
敵の陣形の再編は、八割ってとこだな。
正面の隙間が埋まってないし、おそらくレオの後方にいたであろう部隊は、迂回して遠回りし、後列として呼び戦力になるんだろう。
次を考える上で、レオ達のこれ以上の損耗は避ける必要がある。だとすると、残りの敵は全て俺が処理する必要がある。
「無理せず休んでな」
話の片手間に、概ね移動が終わり機会を窺っていた敵に向かい、左手で手招きして挑発すれば、誘いに乗った敵が、わっと一斉に突撃してきた。
戦略も何も無い、数に任せた突撃だ。味方の太股や膝が触れあい、小型の盾であるペルタが隣の敵兵と重なり、ぶつかり合う。そんな密集突撃だ。
どうも、一対一で圧倒出来ないことを悟った敵は、数で押し包む作戦に切り替えた様だな。
普通ならそう悪い手ではないが――、今ここで行うには、逆効果だと感じた。半端な数の兵隊が、たった一人に向かってくるんだ。過密状態では、剣も槍も充分な予備動作を取れずに、一撃が甘くなる。
そう、こんな場面、マケドニコーバシオのミエザの学園の訓練で何度も経験した。その度に、訓練の相手を説教してたっけ。
自分の長剣を右肩に乗せ、手を離し、真っ先に斬りかかってきたヤツが、剣を降り抜く前に、柄を握る手の上に自分の手を重ねる。と、同時にソイツの足を払い、重心を崩して浮いた敵を盾に前方に押し出した。
盾にした人間に、無数の槍と剣が刺さる手応えが俺にも伝わってくる。
とはいえ、同士討ちに怯む連中でないのは知っているので、そのまま仲間の剣撃で死んだソイツの背を蹴り上げ、押し出し、敵の下方向への視線を遮り、敵の無防備な下半身……足が届くヤツの金的目掛けて爪先蹴りを放つ。
今日の昼になに食ったんだか知らねえが、くっせえ吐瀉物を吐きながら、タマを潰された敵がのた打ち回り――敵部隊の前進の妨げとなった。
そう、こういう場面で、長物に頼ると、思わぬ所で刃をとられ、傷を負ってしまうことがある。見切りは苦手じゃない。そして、重量のある剣を振るよりも、無手の方は動きは早い。
だったら、密着しての格闘戦術がここでの正解だ。
前方に手早く障害物を作り、背後の気配に即座に振り返ると――。いきなり上段から斬りかかってきた、一人目の敵の喉にほとんど反射で肘を入れる。敵の首が、あらぬ方向に傾いた。剣を奪い、槍の穂先を三つ四ついなし、槍を持つ敵の手が伸び切った所で懐に――いや、密着している敵集団の中に体当たりするように身体を捻じ込み、一人目の槍兵に頭突きを一発、右隣の敵兵の頭を掴み、今し方、頭突きをかました敵の頭に打ち据え……。間合いを取ろうとした三人目の槍兵の右太股を思いっきり蹴り付ける。
倒れた敵、気絶した敵、そして、敵の死体によって俺の周囲に、ぽっかりと間が空いた。突撃における助走の勢いが完全に削がれ、足の止まった敵。
戦闘には流れがある。
今、潮目が変わった。
先鋒を潰された敵が止まった距離こそが、俺の長剣の間合いだった。
肩に乗せ保持していた長剣の柄尻付近を左手で握り、柄の中程に右手を添える。
転がる味方を踏むのを躊躇したというよりも、その予想出来ない動きに足を取られるのを嫌い、一歩引いて回り込もうとした背中側の敵集団の先頭の兵士。その兜の隙間。眉間を突き殺し、手首を返し、軽く肘を引いた二段目の軽い突きで、同じように二番手の目を突く。
「は、っが、あぁぁ!」
混乱し、叫びながら剣を滅茶苦茶に振り回しはじめた敵を放置し、軽く短く後ろに跳ぶ。間合いを取り、着地し、そのまま腰を落とすと同時に地面すれすれを水平に薙ぐように蹴った。
こいつらの装備しているペルタという三日月盾は、重装歩兵用の盾と違い、足元までを守れる大きさではない。再び俺を囲み始めていた敵が、足を払われてバタバタと転がっていった。
転倒した敵の首を、周囲の敵の動きに注意しながら突いて回る。一人、二人、三人……。
目を潰した兵士を避けた残存部隊が、間合いを活かし、槍をこちらに構えた。
が、ここまで数が減っては、もう密集陣とはとても呼べない。
俺に当たる軌道の槍を二つ弾き上げ、円を描くように剣を回し、俺から逸れた軌道の槍の柄の木を四つ叩き割る。
そのまま踏み出して、懐に入れば……。
「……あ」
己の運命を悟った敵の、どこか間の抜けた声と、大きく見開かれた瞳。
反射的に、折れた槍を構えようとした敵の腕を斬り上げ、その横の敵の右肩から胸までを斬り、列に割り入り、腕を落とされた敵の脇腹を、ヤツ自身の腰にあった
次の獲物として、腹を裂いた敵の後ろに隠れてたヤツの兜を掴んで引き倒し、首に膝を入れた時には、十名に満たない生き残りから聞こえてくるのは、雄叫びではなく悲鳴だった。
兵数において有利な相手は、不利になったら崩れるのは早い。
レオという古強者と相対するために数を揃えたんだろうが、雑魚はいくら群れても大魚にはならない。味方が減り、指示を出せる者も無く、恐怖が伝染すれば、もう立て直せない。ただの狩りの獲物だ。
俺との距離があまりにも近く、逃げることが不可能だと悟った敵が、武器を捨てた。が、俺は構わずに剣を振り上げた。
「アーベル様!」
レオの咎めるような叫び声が聞こえたが、俺はそれ以上の大声で怒鳴り返した。
「この俺が、これは不要と判断した。今、捕虜は邪魔になる。説得して勧誘するにしても、この程度のヤツは要らん。それともなにか? 今更、あのお前が、同族を理由に殺戮を止める気なのか? 分かったのなら、とっとと残りを処理させろ!」
喋りながらも、刃を振り下ろすのは止めなかった。
無抵抗な首は、あっけなく地に落ち、残された胴が血を噴出しながら仰向けに倒れていった。
多少の返り血を浴びながら振り返り、レオを睨みつけると……。
「……御意」
納得した顔ではなかったが、レオは頷き、味方のまだ動けそうなものに追撃を命じた。
鎧兜、サンダル、脛当、盾に武器。しっかりとした装備品で身を固めた兵士は、守りは固いがその分、足が遅くなる。重装歩兵ともなれば、武具の重量が自分の体重の半分ほどとなるからだ。軽装歩兵とは言っても、その装備重量は重装歩兵の三分の二ほどに達する。
走ったところで全力疾走できる距離は長くはなく。一枚布の服を纏っている普段のように素早い動きも出来ない。
息を切らした敵に止めをさしていくのは、単なる作業で、面白くもなんともなかったが、レオの手勢が思いの他無能だったので、怠けないように監視する意味でも俺が先頭に立って殺して回った。
丁寧に、逃げた敵のほとんどを殺し、尋問のために二人ほど捕縛した後――。
「知っている情報をあらいざらい話させろ。おい!」
他よりも、若干良い武具を身につけていたヤツを身包み剥いで、近くの味方に引き渡す。
面長の、どこか気が弱そうなヤツが俺から……戸惑いつつも敵を縛る縄を受け取った。
ッチ。
どうにも、なんだかな。初陣か? コイツ等。
きちんと情報を吐かせられるか怪しい味方に嘆息し――、しかし、今はレオから現状報告を受けることの方が優先順位が高いので、俺が直接尋問するわけにもいかない。
だから……。
捕虜に顔を近付け、ゆっくりと耳打ちした。
「俺が欲しい話を聞き出せるまで、お前は、絶対に殺さない。致命傷を避け、皮と肉を抉り、何日でも苦しませる。……分かるだろう? もう助からないんだ。早く楽になった方が身の為だぞ?」
きつく唇を噛み締めた捕虜。
戦闘が終わり、ひとまずは命を拾ったので、少しはラケルデモン人らしい振る舞いが出来るまでに心が落ち着いたのかもしれない。
だが……。
「まあ、脅しと考えるのも無理は無い」
泣いて許しを請うならともかく、俺に喧嘩を売るとは、バカなヤツだな。
腰のハルパーを抜き、そっと男のこめかみに当てる。
「ひあ? う……」
冬の金属の冷たさ、そして鋭さに男の口から声が漏れていた。
冗談だろう? とでも言いたげな視線がはっきりと俺の目を見た瞬間――。
「これは、ほんの挨拶さ」
鋭くハルパーを引き降ろし、右耳を斬り落とし、次いで、鎌状の切っ先を目尻に刺し込み、右目を抉り出した。
直後、耳を劈くような悲鳴が上がったので――。
「うるせえ、よ、っと」
穿り出した目玉を、その口の中に放り込んでやった。
「おご、う、っえ……」
押し込まれた目玉を吐き出し、ちっとは静かになったところで、敵よりも俺に対して震えている味方の肩を叩き、どこか呆れたような顔をしているレオの方へと身体の正面を向けた。
「じゃあ、双方、たっぷりと楽しんでくれ。俺が戻るまでに尋問が終わっていなければ……解るよな?」
捕虜と尋問者の双方に、全く余裕がなさそうではあったが、あの状態なら次に俺が訪れる前までに自発的に喋っているだろうと判断し、俺はレオの方へと足を踏み出した。
レオが背中に守られている、四~六歳ぐらいの、嫌なヤツの面影のある黒髪のガキに視線を向けながら。
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