Canopusー15ー

 国籍不明線に接する前に、キルクスから被害の第一報を耳打ちされた。アテーナイヱ人に八名の戦死者と十名の重軽傷者が出たようだ。

 とはいえ、船には大きな損害はなし。衝角については――、丘に戻らなければ確認出来ないが、最後の止めの攻撃に成功したことからも、大きくへこんだりひん曲がったりはしていないんだろう。

 遊撃隊の偵察・哨戒艦相手とはいえ、ラケルデモンに対してそれだけの損害で、一隻撃沈の戦果を上げたので、俺としては中々奇跡的な数字だと思うんだが……。

 あくまで防衛線での勝利であり、戦死が出たことで若干空気が重くなっている。

 しかし、アヱギーナ人に認められるためには必要な犠牲だったんじゃないだろうか? 戦死が無しでは、前線を支えているときちんと受け止められなかっただろうし、不公平感もこの一戦で薄れていくように思う。それに、この程度の戦死者なら、アテーナイヱ人側としても大きく問題にはしないと予想している。勢力としての規模・意見力が低下しているという損害ではないだろう。

 まあ、その辺りは、町に戻ってからの心理操作なんかも加味して上手くするしかないが……。


「どうします?」

 国籍不明船が目の前に迫ってきた時にキルクスに訊かれ、……少しだけ悩んでから俺は答えた。

「併走させろ」

 接近して確信したが、逃げる際に敵は全ての兵を引き上げているようだ。

 慌てていたのか、船縁の太い木材に乗り移りの補助として使用したのであろうロープや渡し板の切れ端のようなものが残されていたが、物音が全くしない。武装した兵士がいるなら、鎧や剣、盾や槍の音までも完全に消すのは難しい。

 そして、生存者が居たとしたなら、戦闘が終わったのを音で察しているだろうし、それなのになんの行動も起こしていないということには違和感がある。

 警戒はするが、無人の可能性を確実視し、手早く調査を終えることを目標に据え直す。


 流されていた国籍不明船に並んですぐさま、ドクシアディスとキルクス及びその護衛を連れて飛び移ったが、やはり、敵は影も形も無かった。

 っていうか、あるのは死体だけで、積んでいたであろう物資さえも見当たらない。金銀財宝とかそういうものでなく、最低限の食料も、だ。

 おそらく、逃げた敵艦が掻き集めていったんだろう。

 最低限の仕事は、きっちりとこなされてしまったようだな。

「国が判るようなものはないな」

 ドクシアディスが、死体を仰向けにして改めていたようだが、首を横に振ってそう呟いた。

かねは? 貨幣の造形から国が分からないか?」

 ドクシアディスは肩を竦めて答えた。

「盗られたか、元から持ってなかったか……」

 少し妙だな、と、思った。個人が腰に下げている金袋や財布なんかまであさられるだけの時間的猶予があったとは思えないが……。

 財産まで盗む余裕が無かったとするなら、単なる難民船――まあ、財産も無しで来た連中を受け入れる国は無いだろうし、もし受け入れられたとしても、奴隷よりは上だが、這い上がれる可能性が著しく低い無産階級に振り分けられて終わる――の可能性が高い。

 ……いや。下層市民の難民船なら、アテーナイヱの領域から離れるようにしていたのはなぜだ? 主戦場のアテーナイヱのアクロポリスからさえ離れれば充分で、他国にまで逃げる必要性は薄いだろ。なにか、もっと、別の事情が?

 考えながら、俺も甲板の死体を改めていく。男が多いが、女子供もいるので、いよいよ難民船の可能性が高くなってきたが……。

「服装も、特徴が無いな」

 全員が似たような服ってのが特徴といえば特徴だが、南のヘレネスの国では、どこででも見られる亜麻布の服なので、それ以上は辿れなさそうだ。それに、それを言うなら、調達費を安く上げる為に俺達も服の差は――俺だけは、戦いやすいようにラケルデモン式の格好を崩していないが――ほとんど無いんだし、商船隊はそういうモノと見ることも出来る。


「生存者もなさそうですね」

 キルクスが護衛の腕にすがるようにしながら、おっかなびっくり船室を覗きながら、俺とドクシアディスに向かって声を上げた。

 せめて降りて調べてから言え、と、その縮こまった背中を蹴って前に出る。嗅ぎ慣れた、新しい血のにおいが鼻を刺激した。甘いようでいて、吐瀉物みたいな突き刺さる感じのある匂いは、内臓だろう。

 狭く死角の多い階段を注意して摺り足で降り、周囲の暗さに目を慣らしてから短く跳躍して、物陰に向かって剣を構える。

 右足、左足――、そして右足、と、横歩きでゆっくりと歩を進める。死に損ない、さえもいなそうだな。

 剣を鞘に戻して、甲板からコチラを窺っているキルクス達を手招きする。

「漕ぎ手も、当番制で受け持っていたみたいですね」

「あん?」

 降りてきたキルクスが、すぐに呟いたが、どうしてそう判断したのかが分からなくて、肩越しに振り返ってみる。

 キルクスは、周囲の死体を――指さす度胸が無かったのか、視線でなぞってから「甲板の人達と服装が同じですし、手のまめなんかも、慣れていない証拠でしょうね」

 千切れ飛んでいた誰かの右腕を拾って改めると、成程、確かに専門として船を漕いでいるとは言い難い状態だった。

 まあ、先入観もあるかもしれないが、どんどん難民船という認識が強くなっていくな。しかも、それでいて生存者もいないとなると、得られるものがなにもなさそうだ。

 期待感は薄れていたが、それでも一応船倉まで降りると――。

「瓶?」

 びっしりというわけではないが、かなりの数の素焼きの瓶が船室に敷き詰められていた。

「空の物も多いな」

 ドクシアディスが、船の揺れで転がったのであろう瓶を嗅ぎ――「酒か? こっちは」と、言った。ワインならワインで、冬場に葡萄の加工品が手に入った、と、喜べるんだが……。

「位置的に、残っているのは水瓶だけのようですね」

 中身が入っているとおぼしきしっかりと栓がなされている瓶は、どうも奥の方の物だけで、これまでの旅で無計画に浪費したのか――敵が戦闘中に重たい瓶を船倉から積み出したとは考え難い――、それさえも三つ四つという状態だ。

 海の素人の一か八かの結果、か。

「瓶以外の物資は、甲板だったのか?」

 あまり光が入ってこない船倉。暗がりに何か無いかと、適当に手で探ってみるが、積み込み時に紛れ込んだような雑草や、こぼれた食料なのか、大麦の穂の一部に干し茸、あとは床を這う虫ぐらいで、特に重要ななにかを残しているって雰囲気は無かった。

「おや?」

「どうした?」

 俺が拾い上げた品を見たキルクスが声を上げた。改めて手を見るが、特に珍しいものがあるようには――。

「……なんだ?」

 キルクスの表情が固い。アテーナイヱ関連のなにかがこの中にあるのかもしれない。問い詰める視線を向けると、キルクスは若干困ったような顔になった。

「いえ……。確証があるわけじゃないんですけど……。その麦の穂をもらえませんか?」

 素直に答えないのが面白くは無かったが、俺が持っていても特に役に立たないのも事実なので、手の中身をキルクスの側に放り投げる。キルクスは、麦の穂を――素手ではなく、布切れで包んでから、陶器の小さな瓶――普段は水筒のように使っている――に収めた。

「毒、か?」

 しまったな、バッチリ掴んじまった。

 どうしたものかと右手を上に向けたまま、努めて周囲に触れないようにさせるが、キルクスはそれほど深刻ではなさそうに「確証はありませんが……」と、答え、なにかで濡らした――海水か? ――布で俺の右手を拭った。

「それでいいのか?」

「僕が思っている通りなら、口にしない限りは平気ですし。それも強いものじゃないですから」

 ラケルデモンが疫病で攻めたので、その仕返し、というモノなのかどうか。少し、まだ、判断に迷うな。

 まあ、まずはキルクスに任せるしかないか、と、判断し――。

「なにか分かれば、すぐに報告しろ」

 と、俺は命じた。


 固く頷くキルクス。

 ドクシアディスの方にも視線を向けるが、内容が内容だけに、すぐにアヱギーナ人に伝えるわけにも行かないと理解しているのか、こちらにも頷かれ……。俺も二人に頷き返し、この船からの撤収の準備へと取り掛かった。

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