Porrimaー16ー

 人が掃けた所で、ネアルコスが俺へと訊ねてきた。

「あの後、エレオノーレさんとお話しましたか?」

 あの後? あの後って、アイツが過呼吸になってから、だよな?

 ……いや、話すもなにも、俺には会う機会さえ無かったはずだが。王太子の歓迎の夜宴にアイツは出てなかったと思うし、王太子と話した後は、やけに上機嫌なアデアにずっと捕まっていた。

 首を横に振ると、ネアルコスは珍しく逡巡するような顔になった。

「俺の事、なにか言ってたのか?」

 そう訊き返すと、プトレマイオスが気を利かせたのか部屋から出ようとして――ネアルコスに袖を引かれて押し止められている。プトレマイオスは、訝しむ顔になっていたが、それでも足を止め再びネアルコスの方へと身体ごと向き直っていた。

 俺とプトレマイオスの視線と表情を観察し、ん――と、天井に顔を向けて唸っていたネアルコス。

 なんとなく、アデアとの婚約について思うところがあるって話なのかもな、と、察してプトレマイオスへと視線を向ける。プトレマイオスも同じ事を考えていたようだが、速攻で口を開こうとしているのを見て、慌てて視線を逸らせた。

 ここで、変に揉めるぐらいならエレオノーレとも婚約しろ、とか言われては堪らない。アデアだけでも持て余し気味だってのに。

 俺が溜息を飲み込むのと、ネアルコスが話し始めたのは同時だった。

「まだ婉曲的ではありますが、キルクスが、エレオノーレさんへと求婚しています」

「婉曲的?」

 意外だったっていうか、うん、少し驚いて固まってしまい、その隙にプトレマイオスがネアルコスに詳しい話を促している。

 ネアルコスは、どこか気まずそうに俺を上目遣いにちらっと見上げてから、あくまでプトレマイオスへと向かう形で、でも、俺にもはっきりと聞き取れるような声で答えている。

「ミュティレアの上層部や御付の女官に金を握らせ、贈り物を渡してもらったり、些細な報告でも拝謁を願い出たりといったことが中心ではあります。けど……」

「その程度なら、単にあの……アヱギーナ人の水夫や、都市内部の権力争いの一環ではないか?」

「そこが、難しい所なんですよね。あくまで自分から動かずに、間に人を挟んで、自分の事を良い男だと言わせたり、お互いに結婚するには釣り合いが取れる年齢だと意識させたり……」

 ふむ、と、プトレマイオスが腕組みして、ネアルコスはちょっと困ったように小首を傾げ――、二人とも、俺が口を開くのを待っている。

 うん。ネアルコスもプトレマイオスもこの件に関しては当事者ではない以上、何か俺が言わないといけない、とは思うんだが……。

 って……。ん? これ、俺が当事者の話か? まあ、エレオノーレもキルクス達も、確かに俺が引き連れてた連中だけど、今も監督責任があるんだろうか?

 なんでアイツは、こういう部分をはっきり出来ないんだろうな。

 いや、アデアの件をそのままにしておく俺が言えた義理でもないのかもしれないが、戦略的な意味のある結婚にはならないだろ、キルクス相手じゃ。それに、俺のように命令による結婚でもないんだから、気に入らなければ、はっきりとそれを口にして良いってのに。


 いや、まあ、確かにキルクスの求婚の仕方は、なんか遣り口が

 ラケルデモンなら、力で奪って浚って結婚するのが普通で、そういう直接的な求婚ならエレオノーレもはっきりと意思表示するのかもしれない。事実、アイツも過去には剣を抜いて戦った人間だ。

 だから、ネアルコスのいう婉曲的な求婚は、どうしたらいいのか解らないってところなんじゃないのかな。

 昔っから、俺以外の人間には気を遣っていたし。


 まったく。

 エレオノーレの年齢が、結婚を考える歳だってことを失念してたわけじゃないんだが……。なんとなく、エレオノーレが誰かと結婚をしている場面を上手く想像できずにいたせいか、そういうことは無いと勝手に思い込んでいた。

 メタセニアの女王に祭り上げる以上、早めに相手を探す必要がある、なんて、普通に考えれば、解り切っていなければならない話だったはずなのに……。


「消しますか?」

 不意にネアルコスに正面から訊ねられ、自分自身が黙ったままでいたことに気付いた。そんな台詞を向けられるとは、思ったよりも長い時間そうしていたのかもしれない。

「おい」

 プトレマイオスが苦笑いを浮かべ、軽く叱るようにネアルコスの頭に軽く手を乗せるが、ネアルコスは肩越しに振り返ってプトレマイオスを見上げ、真顔で言い返した。

「いえ、これは、感情論だけではなく」

「うん?」

「あの男の発言権が偏った形で上がるぐらいでしたら、ここで排除した方が良いですよ。確かに、一時期は交易面でも海軍を保有していると他所に見せ付ける面でも役に立ちましたが、ミュティレアの完全支配が近い今現在は、もう用済みでしょう? 無能な味方は下手な敵よりも厄介になりますよ」

 ネアルコスの言は正しい。

 陸軍国であるマケドニコーバシオは、十分な制海権をこれまでは持っていなかった。しかし、この島を奪ったことで、海軍力と海運力は飛躍的に高まる。造船技術に操船技術、そして、船を維持するための資金力……。単純な規模で比較するなら、キルクス達の価値は以前の十分の一程度まで下がっていると言える。

 なので、以前と同じ発言力や権限があると誤解したままでいられては困るのだ。

 では、キルクスに他にどんな価値があるのか。

 まず第一に、アテーナイヱの権力者の一族ではある。ただ、その血筋を利用できるかと訊かれれば微妙なところだ。貴族はいるが、あくまでアテーナイヱは民主制だし、キルクスの親父の持っている金や権力をどの程度引っ張って来れるのか、保証が無い。

 実務能力の方も、書類仕事は中々だが、王の友ヘタイロイの文官の中ではごく普通といったところだ。戦いに関しては、操船指示はまあまあだが、それ以外が平凡過ぎる。商才は、無くは無いが、平均より上ってぐらい。

 能力以上に野心が強く、小さな武装商船隊の頭としてなら無能ではないが、王の友ヘタイロイの一角として海軍を預けるのは危険だ。

 それらを総合して考えてみても、キルクスから得られる利益は、キルクスを使った際の危険性や損失を上回るとは思えない。


 ……恩を仇で返しあがって、なんて、思うつもりは無い。実際問題として、マケドニコーバシオで皆と出会うまでの間、俺にとってもキルクスは必要であり、それなりに役に立ったんだから。

 だが、過去の関係を、あくまで利用し合っただけと言うのなら、利用価値が無くなった際に斬り捨てても別に問題は無いよな?


 ネアルコスの言に難しそうな顔を返してたプトレマイオスだったが、不意に俺と視線が合うと――。

「……って、なんて顔をしているんだ、お前は」

 言葉を発する前の息の飲み方から、俺は相当に酷い顔をしていたんだとは思う、が、自覚してそういう顔を作っていたわけではなかったので、取り合えず、眉間を揉みながらとぼけてみた。

「ん?」

 だが、あまり効果はなさそうだった。

 プトレマイオスの大きな二重瞼の瞳が、疑わしげに細められている。

 キルクスになにかあれば、俺が疑われてしまうな、これは。

 もっとも、俺もミエザの学園に行く前の俺じゃないんだから、理由も無く人を斬るわけにはいかないことぐらいは理解してる。

 今、下手にキルクスを殺せば、俺に対しきちんと裁判を行う必要があり、無論、相応の罰が下されなければ統治機関としての信用を失くしてしまう。

 ……で、そこまで皆に迷惑をかけるつもりは無かった。


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