夜の終わりー2ー

「す、すんません!」

 女だけじゃなく、周囲で話の成り行きを見守っていた連中も頭を下げてきた。

 どうも、俺以外のヤツは事情を把握しているらしいな。

 俺にだけ秘密ってことは、またエレオノーレ関係、か。まあ、他にこんなこと――俺の命令を無視しての奴隷の買取――をしそうなヤツに、心当たりは無いしな。

 ……ッチ。

 うんざりする気分だったが、下っ端にやつあたりをする意味は無い。余計な嘘を重ねられるよりは、今ここで膿を出し切っておきたかった。

「謝る前に、事情を説明しろ」

 鋭く睨みつけると、周囲に集まっていた雑兵は顔を見合わせ――、そのなかのひとりが「見てもらったほうが早いかもしれません」と、言って来た。

 問題の規模――奴隷をどれだけ水増しして買っていたのかや、それ以外のトラブルの有無――もよく分からなかったし、幹部を集めるのも手間だったので、まずは言い出したヤツに案内させて輸送艦の方へと入る。

 すると……。

 船室は満員だった。

 あんまり過ぎて、咄嗟には声が出ない。俺に気付かれないようにと今日の上陸でも、一部を除いては船に留まらせていたんだろうが……。

 一拍遅れて、船に乗っている人間の体臭が鼻を衝いた。顔色なんかを見た感じ、食事や水には不足していないようだが、食い物以外の部分までは手が回っていないな。

 船倉まで降りる気はしない、降りる意味も無い。どうせきちんと書類で上げさせないと、これはダメだと理解していた。

 隠れて乗っていた連中も、俺については水夫から聞いているのか、一様に怯えたような顔をしていた。

「まさか、これほど奴隷を買い込む――つーより、解放か。してるとはな」

 俺が指示した数ではない。

 いや、しかし、いくら交渉して値引かせたとはいえ、奴隷解放用に組んでいた予算だけで足りたのか?

 儲けの一部を中抜きされた可能性は……。上がってきている取り引きの報告書に不審な点は無かったし、銀貨や銀のインゴットを主な資産としているので、その量を見間違えた可能性も低い。

 なら、どこから金を捻出していたんだ?

「で、ですが、全体の運営資金には手をつけてませんし」

 無意識にだったが、近くの兵士を睨みつけてしまっていたようで、慌ててそんな弁明を口にされてしまった。

 ……まあ、全体で管理している予算に手をつければ、自分達の首を絞めることになることぐらい、普通の大人なら分かるか。なら、給金の過剰分や、町での日雇いの仕事の結果がこれ……か。

 いや、しかし……。

「当たり前だ。んなことしてみろ、首刎ねて海へ捨ててやる。しかし、買い取る際の金は給金から出せるとしても、だ……糧秣どうしてた?」

 そう、そこが問題だ。

 今輸送艦にいることから考えれば、こいつ等は北東エーゲ諸島の島々で買った奴隷だろう。その際に、食糧も買い増していたとしても、船につめる量には上限があるし、そこまで大きな物資を運び込めば、流石に俺も気付く。

 ん?

 いや、穀物は売れなかったのではなく、売らなかったのか?

 確かに食料在庫には、帳簿と合わないような感じがしていた。ティアがその原因なのかとも思ったが……。

「出来る限りは、折半でどうにかしていたんですが……」

 俺が何を考えているのか気付いたのか、雑兵は慌てて言い繕ってきたが、声の調子は最後までは持たなかった。

 途中で、資金繰りが悪化したんだろう。陸なら、公共事業なんかの管理しやすいところで人を自由に働かせてはいたが、船ではそうした副収入も無い。

 んで、俺がティアを捕まえたので、罪状を上乗せして――その罪悪感から、ティアをドクシアディス達が庇ったって所か。

 ……はは。とんだ道化だな。俺は!

「バカ者! とっとと見積もり直して報告書上げろ。残金を見ながらだが今後の調達量を変える」

 クソ、大麦以外の食料品も売りに出すんじゃなかったな。値も、悪くない程度の額だったし。しかし、どれだけ食い扶持が増えるんだ? 十や二十じゃきかねぇぞ、これ。

 百か、そこらか……。

 しかも、兵士になれそうなのがどれだけいるかも問題だ。

 見た感じ、本当に無秩序に村を丸ごと一つ持ってきたような構成で――戦闘可能な連中は、二割……老若の兵を入れても三割弱だろう。

 どうすんだ、これ?

 土地を求める必要性は増したが、奪える可能性はさほど上がっちゃくれないぞ?


「じゃ、じゃあ?」

 考え込む俺に、恐る恐るといった感じではあったが、雑兵が訊ねてきた。

 下っ端にけじめをとらせても仕方が無い。っていうか、下っ端に出来る責任の取り方なんて、せいぜい自害する程度で、こちらの利益になることなんてひとつも無い。

 それなら、過酷な労働でもさせて過労死させた方がまだ元を取れるってもんだ。

 幹部連中もグルだった以上、あいつ等の給金を減らして、ひとまずは生活必需品の問題の解決を優先させるか。

「もう乗せちまってんだろ。ったく、ガキじゃねえんだから、その場しのぎでなんとかしようとするな。で? コイツ等はアヱギーナ由来の奴隷か?」

 溜息混じりに返せば、あっさりと首を横に振られてしまった。

「いえ」

「あン?」

「国は様々です」

 ……ああ、確かに、野営地で見かけたのは南方系だったし、ここも暗がりでよく見えないんだが、目の細くて吊り上がった感じとか、東方系のも交じっている。

 んん⁉

 いったい、どういう基準で買い取ったんだ、コイツ等?

「その、エレオノーレさんが、片っ端から……」

 すぐには言葉が出てこなかった。

 予想できたことではある。そう、予想した最悪の方だが。あの目付けは、本当に無能だな。こういう暴走を止める為にニッツァをつけさせたんじゃねーのかよ。

 ……ッチ。

 舌打ちをすると、近くの兵士が肩を震わせた。


 しかし、予想したのとはかなり方向が違うが、前もって規則を明文化しておいて正解だったな。他民族がこれだけいるのに、目立った問題も出ていないようだし、役に立ったんだろう。

「良く賛同したな?」

 暗に、止めろよクソが、という気持ちも込めて皮肉を口の端に浮かべて訊ねたんだが、雑兵はそこまでは理解しなかったようで、少し困ったような顔で返してきた。

「なんだかんだ言っても、我々も元は戦災難民ですからね。やっぱりほっとけないって言うか」

 声色が、エレオノーレへの信頼の強さを物語っていた。

 不思議なものだな、アテーナイヱとアヱギーナ戦争の時点では、非常識であまっちょろい女という認識のされ方だったのに、今じゃお姫様か。

「ふむ……」

 少しだけ引っ掛かりというか、疑問を感じて、俺は雑兵に向き直った。

「ひとつ訊きたいんだが」

 はい、と、雑兵が頷く。

「お前等は、俺を信用していないのか?」

 訊かれた雑兵が困っているのが、はっきりと見て分かった。困ったような顔で、近くの水夫に助けを求めるような視線を向けている。

 はん、と、鼻で笑ってから、俺は助けを求められていた水夫――と、それ以外に二~三人を手招きして集め、少しだけ補足した。

「この程度の事で怒るほど子供じゃない。作戦立案と、分散行動の上で指示の精度を高めるためだ。答えろ」

 仲間同士で相談するって感じでもないのか、集められた連中は互いの顔を見詰めあって……他の連中に押し付けられるようにして、ひとりの水夫が口を開いた。

「信用してないわけじゃないんです」

 ほう? と、続きを促してみる。

 なら、なんで俺の指示にない行動をしたのか、その理由を知りたい。俺はエレオノーレよりも下だと認識されているのか、否かを。

「ただ、大将に付いていくのは、その、強くて勝てるからであって――」

「負けそうな時に、大将と踏み止まれるかって聞かれると、その……」

 ひとりが話したからか、周囲の連中も庇うように言葉を重ねてきている。

 話を邪魔するつもりは無かったんだが、強きに従うのは当たり前の事だと思っていたので、それについて改めて口にされ、つい口を挟んでしまった。

「別に、それは普通の事だろう。負けそうな国だって謀反が相次ぐんだしな。単なる軍閥じゃ、鉄の結束なんて意味が無い」

 一呼吸の間があり、水夫は答えた。

「そうですね。でも、エレオノーレの姉御は、どんな時でも誰も見捨てないから、だから、一緒に頑張ろうって気になるんです」

「ふむ」

 損得じゃなくて、崇拝に近い感情なのか?

 いまひとつ、扱いに悩むな。

「あ! でも、大将の判断も否定するわけじゃないんですよ」

 考え込む俺を、落ち込んでいるとでも思ったのか、露骨に媚を売るような明るい調子の声が掛けられた。

「少人数を犠牲に、他の多くを守れるならそうするべきだって分かりますし、それに、大将が指揮しなかったら、犠牲が出てたって場面もひとつやふたつじゃありませんから」

 フン。

 つい、鼻で笑ってしまった。

 無能だ無能だとは思っていたが……、ここまで俺の意図を上手く理解出来ないとは。


「その……今からでも、行動を改めては? もう少し優しくするなら、きっと――」

 俺は雑兵の発言を遮って、会話は終わりだと掌を突き出し、リーダーとしての立場を明確にしたうえで今後の指示を出した。

「断る。俺は、目の前の現実以外を信用しない。増えた人間の名簿をもってこい、すぐにだ。あと、ドクシアディスと各部門の代表は速やかに俺の部屋に来い」

 キルクスは……ダメだな。

 あいつも協力しなければこれだけの事は出来ないだろうし、その場合、キルクスは俺を見限って他の連中に取り入ることを選んでいる。

 と、いうか、今の所、俺はキルクスがこの一件の黒幕じゃないかと思っている。俺以外の連中には仲間の顔をして近付き、奴隷の買取で信頼を得て、財政を逼迫する。

 多分、船を乗っ取る野心からだろうな。厄介な俺を外せば、後は丸め込むのは難しくない。買い取った奴隷も、マケドニコーバシオが拡大中なので、そこで売りに出せば儲けにはなる。いわば、先行投資だ。

 俺がいなくなった後、エレオノーレも消えれば、奴隷制度はすぐにでも復活できるだろうし。


 ふん。

 負け犬風情の思い通りになんかさせてやるものか。

 対キルクスの作戦を練りつつ、俺は二番艦の艦長室へと戻った。

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