Kornephorosー1ー

 書類仕事のため、馬車の荷台で地図を広げていた時、前方から騎兵が来るのが見えた。が、様子から見るに、緊急性のある内容ではないようなので、馬車を止めず、また、陣形はそのまま――敵との戦闘に備える場合、少なくとも縦隊から横隊への隊形変更を行う――進軍も止めずに報告を受けることにした。戦争の最中でも……いや、戦争中だからこそ、書類仕事も増える。出番がまだなら、見せ場を作るための準備――兵站の管理に地形の把握、進軍経路の調整――も役者の仕事だ。

 馬車と併走した騎兵は、装備を見るにプトレマイオスの部隊の者のようだった。


「ご報告致します。前衛部隊が敵の伏兵を発見、先制攻撃に成功。また、追撃により敵の小規模な野営地を発見し、これを殲滅しました」

 前衛部隊の騎兵からの報告が入った。

 本来なら喜ばしい報告なんだろうが、装備も戦術も劣る蛮族相手では、勝って当然で、むしろ……。

「損害は?」

「ございません」

 まあ、戦死が無ければ大体はそう答えるよな、と、ここまでが予想の範囲だったので、少ししつこいかもしれないが、注意のし過ぎという事も無い問題なので俺は警戒を緩めずに命じた。

「軽傷でも報告はきちんと上げて手当てしろよ。今は進軍中だ。手当てを怠れば化膿する。人だけでなく、馬もな。むしろ、馬の場合はかすり傷でも腫れればそれで使い物にならなくなる。替え馬がまだあると油断せず、丁寧にな」

「はい!」

 と、騎兵が再び前進しようとしたところで、馬車の側面を固めていたプトレマイオスが慌てて呼びとめ「よくやった」と、言い、俺を睨んだ。

 軽く肩を竦めて見せる俺。

「充分な戦果だ。次も頼む。策源地で押収した物資は、後方輸送隊に任すが、戦闘部隊には、戦利品に応じた特別手当を出す。確認するが、前衛隊だけでの対処だな?」

 褒めるほどの事でもないと思うんだが、そうしろと言うなら褒めないこともない。っていうか、俺としては口で色々言われるよりも、モノをしっかり渡して報いた方が良いと思うんだがな。感謝の言葉は、所詮、無料なんだし。

 メモ用の木片を取り出し、名簿から現在前衛にいる部隊と編成、それと一戦した場所を書き記し――。

「はい」

 と、はにかんで答えた育ちの良さそうな騎兵――まあ、貴族のプトレマイオスの騎兵なんだから、少なくとも自由市民なんだろうが――は、全部分かっていますというような顔で俺とプトレマイオスの顔を順繰りと見詰め、再び前衛へと戻っていった。

「これを頼む」

 と、幕僚に、後方の王の友ヘタイロイと酒保商人――従軍し、軍需物資を売り、戦利品や奴隷を買って後方へと運ぶ商人――への指示の木片を渡し、送り出す。

 一区切りついた仕事を察してか、軽く嘆息して見せたプトレマイオスが小言を言いたそうな顔をしていたので、……気は進まなかったが、座る場所を変えて向き直ることにした。

「兵を用いるなら、褒める、叱るをきちんと使い分けろ」

 叱る口調ではないものの――まあ、実際、この現国王主催のトラキア人征伐にあたり、俺も王の友ヘタイロイとして将軍格となっている。一応とはいえ、プトレマイオスとは同格となったので、かつての教育官であってもあまり露骨に叱るわけにもいかないんだろうが――、やや不満そうに言ったプトレマイオス。

「戦功に褒賞で報いているだろう?」

「金を渡して、はい、お仕舞い。で、信頼関係が成り立つか! きちんと言葉にしろ」

「……気持ちが無ければ、金なんて出さないだろ」

 おだてられただけで舞い上がるような軽いヤツなんて、俺は嫌いだ。金を出さない、ケチな指揮官も。

 しかし、プトレマイオスはそっぽ向いた俺に、たしなめるような言葉で追撃してきた。

「言葉もタダなんだから添えてやれ」

 なるほど、確かに。

 堅物のプトレマイオスからそんな言葉が出たのは意外で、ちょっと悔しいが納得させられてしまったのも事実なので俺は素直に負けを認めた。

「分かった、アンタの勝ちだ。戦勝報告の際には、まず、よくやった、と言おう」

 うむ、と、満足そうに頷いたプトレマイオス。

 ただ、こっちとしては、それだけで話を終わらせるつもりは無くて――。

「しかし、優勢においても油断させず、劣勢でも鼓舞するというのが将軍の仕事ではないのか?」

「む」

 風向きが変わったのを敏感に察したのか、プトレマイオスが形の良い眉をぴくりと動かした。

「特に、今回は、兵站線をしっかりさせているんだ」

 もっとも、兵士の為というよりも、結局、王太子の異母兄の結婚を止められなかったので、戦利品を早急に港へと運び出し、新拠点の準備資金にするという俺達の理由で、だが。

「功を焦らすよりは、兵士全体で協力させて損耗を減らすのが肝要になる」

 特に、ミエザの学園という練兵場も失う事になるんだから、熟練兵にこんな戦場で無理をさせて、すり減らす意味は無い。

 まあ、現国王としてはそれを期待して、王太子へと側面支援の命令を下したのかもしれないがな。

 にんまりと笑って見せると、プトレマイオスは口を真一文字に結んでしまい――。

「お二人がいらっしゃることで、軍が上手く中庸となっている。ですよね?」

 ――と、本隊付きの隊長のひとりが割って入ってきた。


 おいしいところを持っていかれてしまったな、と、右足を立て、その膝に肘を乗せて頬杖衝いて見せた俺。

 プトレマイオスは、どこかまだ教師面でやれやれ、と、これまた見慣れた態度で応じ、本隊の警護へと戻っていった。

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